日々生起去来すること多く、ブログが追いつかない。
8月21-24日、つまり先週末から週明けまでは、長野県阿智村での社会教育研究全国集会への参加で出かけていた。このこともいくつか書いておくことがあるが、それはまた別の日に書いておこう。ここでは、8月9-15日の韓国調査の後半のこと(その3)を簡潔に記録として残しておこう。
8月11日(火)、この日は、全北の益山(イクサン)農村教育研究会の活動についての調査訪問だ。
最初に、聖堂(ソンダン)小学校訪問だ。鄭真興(チョンジンクン)校長先生以下、キョウインソン先生、イ・ジョンヒ先生たちが出迎えてくださる。小学校の校区は、聖堂面で、人口は2613人、児童は81名で、聖堂(ソンダン)小学校は、多彩なプログラム提供をしている。
学校の教師たちの写真(下)に対し上の写真は、夏休み期間の多文化家庭(国際結婚家庭)の子たちを中心とした補習授業である。
韓国のこの地でも人口は減少の一途をたどっており、人々は危機感を抱いている。そこで、益山(イクサン)農村教育研究会という自主的な集まりの智恵を生かして、農村教育の再生を軸に地域再生をはかっている。いわば、農村の小さな学校の特性を生かすための協働実験ともいうべき実践だ。同研究会のイ・ジョンヒさんは、その特色を以下のように整理して解説してくださった。
①農村学校という小さな学校の特性を生かしながら小さな学校のネットワークを築いていく。②小さな学校がメリットになっていくように工夫する。③学校での児童の少なさは、大規模校に比べて、家族的雰囲気の良さが出る。④農村地域の伝統的文化や風習の良さを生かす。⑤教育課程の特徴としては、多様な体験活動を重視していることがある。例えば、周りの豊かな自然体験、地域内の多様な施設を活用しての共同体体験を、学年、生徒個人の条件、教科学習との関係を考慮しながら進めている。⑥他の地域の小さな学校との連携を重視している。また隔週土曜の休みには、週末サークル活動を行っている。⑦他の学校との共同教育課程として、1年14回の共同学習を行っている。⑧小さな規模の学校では、サッカーのチームがつくれなかったり、音楽などの授業が困難になることがあり、共同授業はその制約を超えることができる。⑨運動会は、子どもだけでなく、地域住民、教師も参加して行う。例えば4カ所の学校は一緒に運動会を行っている。その他、キャンプ活動や市民性育成学習を行う。⑩すぐれた成果を生むには、教師の研修が重要で、チョンジュ(清州)大学校の教育方法の教授の指導を受けながら授業分析研究を行っている。⑪児童81名の内20数名は多文化家庭の子ども(フィリピン9人、ベトナム4人、日本7人、その他中国など)であり、その文化を尊重したプログラムを試行錯誤して進めている。親たちには、農村移民女性センターの協力も得て、ハングル、パソコン、韓国文化学習なども行っている。⑫その場合、多文化家庭と一般家庭の子どもとは分離しない統合教育を行っている。⑬また学業問題だけでなく、メンタリングの特別指導を行ってもいる。⑭2008年から学校運営協議会で教育プログラム開発を行っている。⑮2009年9月から校長公募制を実施する。韓国では公募制とは、三つのパターンがある。一つは15年以上の教職経験者の内部応募、二つ目は、中高校に見られる一般開放制、三つ目は、校長資格者の招聘型である。⑯外からの講師の授業も重視している。⑰財政はきついが、2008年には政府から小さな学校振興プログラムに選定されたこと、全国108カ所の一つとして自然尊重学校に指定されたことから、サムスン均等教育財団から地域振興基金として補助金がいくらか出るようになった。⑱農村地域学校の一つのモデルをつくっていきたい。以上がこの小学校の理念と特徴、今後の課題である。
質疑もいくらかされたが、回答には、明瞭な教育理念と実践があることが裏打ちされるものがあった。
聖堂小学校を辞して、次は、錦江探検隊という4つの小学校の合同企画での山川道の学習として2日間かけて歩くプログラム見学に移動した。
子どもたちと一緒に、近くの旧い木造教会(1929年建設)を見学する。
1924年生まれで85才の牧師さんがクンサン教会の建物の由来を説明してくださった。また当時は、儒教の影響が強く残っており、男女はカーテン幕で仕切られて互いに見えないようにしてミサに出席していたという。
この場所も辞して次は、益山市役所二階の益山農民会で、農村教育研究会、農村移住女性センター、の二つの実践について聞き取り調査であった。
最初は、農村移住女性センターへの聞き取りであった。現在同地区では、多文化家庭が増大しつつあり、そのもたらす問題について支援をしている活動がある。この日は、国際結婚した日本人女性2人にインタビューも行った。
旧姓OさんとIさんのお話しがあった。お子さんの教育、ハングルの正確なきちんとした使い方がずっと気持ちの中に課題としてあると話された。
農民会のイジョンワンさんからは、2003年設立の農村教育研究会の活動概略の説明を受けた。同研究会は、教師と地域住民との共同設立である。活動では、益山地域発展計画を作成し市役所に提出したり(やんわりはねられたが)、小さな学校のモデルづくりをしてきた。財政基盤には、前に書いたサムスン財団の補助金獲得が大きかった。なお、常に自治体からの補助金申請を行っているという。制度、財政、組織的根拠をこの際明確にしたいとのことである。なお、今後の展望には、医療生協、教育生協をつくれないか、そのようなビジョンを掲げているとのことである。
この日は、全州に移動して、宿泊。郷校であった文化財での宿泊となった。全州は、古都の雰囲気が漂う美しい町である。同市教育委員会の方々からは、夕食時、生涯学習その他の施策説明を受けた。翌日は、古都の町並みを歩いた。
典型的な韓国皇宮料理形式のひとつがこれである。
宿泊した文化財としての郷校建築物。
p.s.
帰国してから、茨木のり子の『一本の茎の上に』ちくま文庫、2009を読む。小さなエッセイ集だが、香り高い品格が行間を充たしている。多様な主題が採り上げられているが、そのうちで、韓国紀行文がいくらかをしめている。かつて同氏の『ハングルへの旅』を読んだ記憶があるが、そのときは著名な詩人が晩年になってから、Aカルチャーセンターで、隣国のコトバを習い始めやがて原文で多様な作品を読みこなすことができるようになり、韓国の詩人の作品を翻訳し紹介する仕事に加え、みずから自身も旅を重ねていく姿が新鮮であった。が、そのときは僕自身の訪韓体験がなかったので、出てくる地名や歴史事象は、淡い印象的感想に留まっていた。しかし、2004年以来、今回で6回目の訪韓となると、それなりにそこで訪れた地名のイメージが自らの記憶の引き出しにストックされてくる。当たり前ではあるが、そうなると紹介される地名や人物などに、知っている人や行ったことのなる地名に出会うとなつかしさやイメージのふくらみかたが違ってくるのに驚いた。
p.s.2
NHK・教育テレビでETV特集「日本と朝鮮半島2000年」という連続シリーズを、ほぼ1月に一回のペースで放映している。学ぶことの多い良い作品だ。その中で、持続する印象の一つは、朝鮮半島あるいは、中国から見た日本列島という視点である。かつて豪州(南半球)からみた北半球という世界地図を見て、大きな考えの転換を迫られたのと同じく、日頃の固定的な見方に転換を迫られる。大陸側から見れば、日本海は単なる湖であり、日本海側は対岸の岸辺だ。北陸に生まれた身からすると方言のアクセントや抑揚が、ハングルと似ていると感じるのは案外根拠のあることなのかも知れない。
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