朝、西の空がどんよりと曇っている。雪の季節の特有の空模様だ。日本海の冷たく湿った空気が入り込み、地上低く雪雲を覆わせる。多分、この地の人々は、毎年この季節の始まりを諦念(resignation)に近い感覚で迎え入れているのだろう。それは、歓迎という気持ちとはまるで異なる感覚だ。できるなら拒みたいが、さりとて拒めない来訪者を迎えるときのあきらめに似た境地である。
大学で院ゼミを終えて、研究室で仕事をしていると窓の外は雪が激しく舞い始めた。今日は、長くは続かなかったが、そのようなシーンが断続した。
冬とのつきあいの長いこの地の人々は嘆かない。冬の生活には、それなりの楽しみやたくさんの受け継がれた智恵がある。雪を忌み嫌わず、それの積極的活用を考えよう。除雪をいやがらず、楽しみに変えるグッズを考えよう。冬の季節に、合理的で環境にやさしい暮らしの改善を工夫してみよう。自然に寄り添いながら自然と対話する時間を取り戻そう。・・・等々。
この10年余、何度この種の話や力説を聞いたことだろう。まったくその通りなのだ。・・・でも、心はやや沈み、resignationを気持ちのどこかで落ち着かせようともがく自分が存在する。
ま、無理しなくて良いのだ。時々脱出すればよいのだ。
南帰行が実現しなくても、途中下車であってもよいのだ。気持ちだけは、思い切り南をめざし、陽光の豊かな海を心に抱けばよいのだ。ほら、聞こえてくるのは、波が寄せる浜辺の情景だ。
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