賀状 【祝いの手紙。特に、年賀状。《季 新年》「草の戸に―ちらほら目出度さよ/虚子」(デジタル大辞泉 小学館)】
正月明け、元旦。一年の計は、最近はなかなか、この日には定まりきらない。助走が大事なのか、迷いが多いからか?
さて、1日には多くの賀状をもらった。日本の風景だ。こうして、先達、友人、知人の近況その他を知る。松が明ける前後までは、賀状が舞い込むだろう。当方から出したものでも、住所変更で戻ってきたり、喪中ご不幸を知らずに出して返信に寒中見舞いを受け取るものもある。これは、住所録の書き換えが必要だ。ここ10年ほどは、毎年、三百数十人とこの種のやりとりを行っている。
僕の原則は、①職場の人たちとは原則的には賀状のやりとりはしない。互いに不要な負担はしないという趣旨からだ。②友人、恩師、知人、教え子その他の人たちとの境界線は、難しい。基本的には、出す必要を感じる方々は優先し、後は毎年頂く方々には、出すというファジーな基準。③親戚、血縁関係は、相互の関係性によって濃淡があり、それに従う。④外国の友人の方々では、最近はeメールのやりとりで済ますことが多い。⑤亡くなられたり、次第に疎遠となったり、引っ越し等で宛先がわからなくなったりで途絶えるものもあれば、あらたな出会いや交友から始まるものもある。⑥一定の年齢を超えると、賀状をやめると宣言される先達もおられ、その辺の機微も心得る必要もある。
僕の場合は、移動や経歴上、圧倒的に道外が多い。文面を眺め思わずほほえみが出たり、絵模様やデザインに感心したり、ああそうなのかと頂いた相手の近況変化に心が動いたり、体調アドバイスや人生の道行きの助言などをもらうときもありと、賀状から受け取る情報やメッセージは多様だ。その意味では、虚礼を廃して、やりとりをすれば、賀状も悪くはないものだ。
2日には、家で、ささやかな新年会を行った。今年は、正月早かったこと等で、留学生の2人の院生が来宅。用意した食材が余ったが、その分対話は濃密になった。それはそれで、良いことだ。夕刻、仕事モードに入らなければというスイッチと正月は体を休めようというスイッチが交互に葛藤し、なんだかすっきりしない心持ちだ。
3日からは、前に予約を入れておいたので、道内のスキーリゾートへ家人と出かける。翌日は、仕事始めだが、幸い講義はない。会議があったが、事前に謝罪を言って、しばらくはとっていなかった年休を取ることにもしていた。
家人は、ウエアを新調し、スキーもチューンナップして、万全の心構えだ。小生は(僕は・・)、ところが、原稿仕事のはかどりのはかばかしくないこともあって、いまいち気分がのらない。体調も今ひとつだ。何と遊び下手なのか。さすがにパソコンは持っては行かなかったが、校正仕事は持っていった。
行き先はニセコアンヌプリ。暮れに宿の予約をとろうとして、ホテルは満杯だった。空いていたペンションで食事の良さそうなものを選んでみて、2泊できる計画では、三日からしか空いていなかったので、そうしたのだった。片道、途中、中山峠で休憩をとって、ゆっくり車を動かして行くと二時間半強である。思い出せば、数年前には、年末年始を昆布温泉近くのホテルで過ごし、ニセコヒラフでスキーを楽しんだこともあった。さらに、学生たちとはかつて一度、ルスツスキー場でロッジを借りて、楽しんだこともあった。しかし、昨年は多忙で一度もスキーには行けず、一昨年に韓国の友人家族の方々と札幌国際スキー場に行ったのが最後だった。時間をかけて行けないからと、クロスカントリースキーも、一昨年買ってはみたが、用具を整えただけで、出動は過去数回、近くの公園でやってみただけだった。なにせ、運動不足とウエイトオーバーの身が見るも無惨で、情けないところだ。
行った日が、仕事始めの前の日ということもあって、また不景気か、あるいはスキー人口減少のせいか、スキー場は空いていた。こどもを連れた家族客、オーストラリア人の家族、あるいは同じ豪州の若者グループ、韓国のグループ、それに冬休みの長い北海道のせいか教員グループなどが多いようであった。前日まで荒天でさんざんだったようだが、3-4日はおだやかな天候に恵まれた。もっとも、家人はしっかり飽きずに楽しくすべって休暇を満喫していたが、僕はゴンドラやリフトを使って数回滑り降りると、汗ばかりをかいて、日頃の寝不足、体力不足か気分が悪くなる。一度も転ばずに滑り降りるものの、なぜか余り楽しいものではない。途中で、古びたコーヒーロッジで休憩して、窓から雪模様とスキー客やスノーボード客を眺めている時間が多かった。
宿は、手作りの料理、近場の食材をつかってのヘルシーな食だった。ワインで酔いも回り、ゆったりとした。
左及び下の写真は、初日の夕食メニュー。前菜、スープ、サーモンと軍鶏料理がメインデイッシュ、それに杏シャーベットと紅茶。翌日は、朝は、英国風朝食(トースト、手作りバターとベリージャム、フライドエッグとハーブサラダ、近くの農場の手作りソーセージ、リンゴジュース、それにコーヒー)、二日目の夕食は、違ったテーストのコースメニュー(前菜、じゅんさいを使ったスープ、ハーブポークとチキン料理のメインデイッシュ、アイスバイニラと紅茶、それにワイン)、次の日の朝食はほぼ前日と同じであった。
四日の夕方は、近場の温泉に入り、体をほぐした。五日には朝出立し、家に戻った後に、午後からは仕事だ。夕刻には、講義を行い、後半のゲストになって来ていただいたお二人のかた(訪問活動型デモクラテイックスクール・漂流教室のYさん、Sさん)とは、近くのお寿司屋さんで、交流を深めた。(事前に非常勤講師として登録していなかったので、謝金の代わりに私費での旅行おみやげとおいしいお寿司でのお礼である)
こうして、体力のなさと仕事の煩悩とそれなりの休暇とが混じり合って新年は始まり、そして仕事も始まった。
①できることから(少しばかりの挑戦心を失わずに)、まずは始める。
②なるべく、好奇心や新鮮さを保持して、仕事を続けていく。
③しかし体調管理は、それなりに万全に行う。(できれば減量)
④できれば、まとまった仕事もまとめたい。
・・・・どこまでできるか。自信は、必ずしも盤石ではない。三日坊主の連続かも知れない。しかし、こうしたところが、今年の現時点での目標かな?
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。