4月2日 午後 セミナー開始
セミナーは4部構成であった。第1部は、韓日平生教育学の動向、第2部は、韓日平生教育政策の動向、第3部は、韓日平生教育の交流実態と課題、第4部は、第6次世界成人教育会議結果の検討である。
初日に、第1部と、第2部が持たれた。会場はカンヌン現代ホテル、懇親交流会も同ホテルパーテイルームで行われた。第2日には、第3部、4部が、行われた。会場は移動して、カンヌン平生学習センターを会場に開催された。全日程終了後、カンヌン市内の主要な生涯学習関連施設などのイクスカーションが行われた。また、夕食会も開催された。いつもながら、韓国側のホスピタリテイには頭が下がり、心からの感謝が浮かぶ。
以下は、4月2日の第1部、第2部を中心としての記述である。つづきは次号(その3)で展開したい。
両学会からの報告者内容、コメンテーター名などがこの報告集に掲載されている。
両学会会長挨拶、開催地の市長(代読)挨拶などの後に、金信一(前韓国副総理、教育人的資源部長官、ソウル大名誉教授)氏の基調報告、さらに鈴木敏正(北大・日本社会教育学会会長)、キム・キョンヒ(慶南大学校教授)両氏の報告があり、コメンテータとしてハン・スンヒ(ソウル大)さん、それに僕がコメントを行った。
詳しくは、ここでは書かないが濃密な討議がなされた。(僕のコメント内容は、追記を参照されたい)
第2部も同様に日韓両国の生涯学習政策の分析と比較は興味あるものであった。
韓国側はチェドンミンさん(尚志大学校)、日本側は長澤成次さん(千葉大学)、が報告し、コメンテータ-は、ホジョン(許準、木浦大学校)さん、石井山竜平(東北大)さんであった。
終了後、懇親交流がなされた。
日韓両学会セミナーの”証人”としてマカオのローレンス・ツイさんがスピーチした。
ホテルに戻ってからは、部屋に集まって深更にいたるまで日韓双方の若手・中堅・ベテランのメンバーで交流討議を続けたことも楽しい時間であった。
なお、第1部での僕のコメントは追記にメモとして残しておこう。
鈴木敏正教授とキム・キョンヒ(Kim Kyung Hi)教授の報告に対しての感想
姉崎洋一(北海道大学)
基調報告の金信一先生のご報告は、ユネスコ、ICAE、EAEA、ASPBAE、EAHAE、の政策や理論動向に即しながら、まことに包括的かつグローバルな視野の中に、韓日両学会の生涯学習、社会教育の展開を位置づけ、東アジアの研究方向を示唆するものでした。しかし、ここではそのことに触れる余裕はありません。
1 生涯教育・生涯学習-用語と学問的原理をめぐる問題
鈴木報告の日本の「社会教育」の用語に関する歴史的、国際的文脈における理解は、日本側からの文脈提供でした。これに対応する形での韓国の「平生教育」の歴史的理解はどうなのでしょうか?
キム報告では、「生涯教育=平生教育」に対する原理的な根拠を問われ、避けることができない内在的本質的な問題とは何か、生涯教育がいかに人生を豊かにし、人生の成熟に対応する学習体験をより強めはぐくむかを問題にされています。
それは大変に興味深い事柄です。同時に、キム報告には触れられていませんが、できれば、お聞きしたかったのは、韓国における、「社会教育」から「生涯学習」、「平生教育」への転換の意味が、どのように韓国の学会では、とらえられているのかという点です。しかし、これはまたの機会ということになるでしょうか?
いずれにしても、問題の立て方としては、鈴木報告は、What is Social Education? を問題にするのに対して、キム報告は、How to understand the meaning of Lifelong Education?、How Adults learn? を問うているという違いもあるように思われました。
2 国際的文脈における生涯教育理解
鈴木報告では、「生涯学習時代の社会教育-生涯学習・成人教育からの挑戦」としてユネスコや日本国内での議論を経ながら「社会教育としての生涯学習」を積極的に位置づける時代になってきていると提起しています。
キム報告では、「平生教育」がこうした点で、どのような国際的な文脈上の争点があるかについて触れられてはいませんでした。ただし、知識基盤グローバル社会における生涯学習の意味をいかに理解するのかに関して多くの指標をあげておられます。
二つの報告のズレは直ちに埋まるものではありませんが、研究方法の違いからも来るのでしょう。とはいえ、キム報告の提起は、私には興味深い内容を含むものでした。
一つには、生涯学習に対する人々の参加、その筋道や支援システムを問題にされ、学習プログラム、専門職の力量、学習ネットワークと生涯教育システム構築をあげておられます。
二つには、工業社会での学校的学習(学校中心教育)と人生に根ざした学習との違いを問題にされています。この点で、キム報告は、人々の生涯学習への参加に関しての多様な検討を提起され、学校的学習とは異なる、あるいはそれを超えての生涯学習の意味を問われていることは、共感できるものです。
これらは、日本とも共通する視点と思われました。
3 アジアにおける生涯学習の意味
鈴木報告は、日本の学会での研究がどちらかといえば、欧米研究が主流であったのに対してアジア研究が周辺的であったことを、反省的に総括し、新たな時代認識の転換を強調されています。
キム報告では、このことに相当する議論は見られませんが、どのようにお考えなのかをお聞きしたいと思います。ハンスンヒさんのコメントにはこの点が触れられていますし、金信一先生の報告にもこの点は強く意識されていますので、韓国内の学会での、世代別、あるいは研究的関心の思潮動向としてお話ししてくださると幸甚です。
4 生涯学習の教育政策的文脈と生涯学習の学習的、教育学的意味
1であげたことと重なりますが、鈴木報告と、キム報告とは、原理的に共通する視点を持ちながら、異なる問題提起がされており、私たちが複眼的な視点を持つ上で有益と考えます。
すなわち、鈴木報告では、学習論としてのユネスコやクラントン、ノールズ、ジェルピなどの成人教育理論の日本的摂取の動向を踏まえつつ、同時に、社会教育の社会的規定性について言及されています。それは、社会教育-生涯学習の国家的政策関心の近年の特徴-とくに新教育基本法体制と教育振興基本計画との関連で、日本社会教育学会でどのような議論が展開されてきたかについて焦点化され、リスク社会・格差社会克服という将来社会の展望との関連で社会教育学の課題を提起されています。
これに対して、キム報告では、生涯教育の学習システム構築に関する、学点銀行(単位)システムや個人学習口座などに言及され、財政基盤や専門職の力量強化に触れられていますが、どちらかといえば、その主要な関心は、生涯学習が個々人の人生にとって有益なものとなるための、その実践と理論のありかたを原理的に問うことに置かれているかと思われます。
そこには、生涯学習をめぐる学習支援方法や研究方法の新たな問題提起が含まれています。認知的合理的な学習に対して、統合的包括的な学習の再考の必要、人生の生活史の分析の方法の吟味、あるいは個人的な学習プログラムとコミュニテイに根ざした学習プログラムの違い、技術的な学習方向と解放のための学習プログラムとの差異性などに言及されています。これらは、日本の社会教育研究でも、近年重要な関心事となっており、日韓双方にとって、共通の研究課題の一つかと思われます。
5 結論
なお、鈴木、キム報告をつなぐ議論をするには、最初に申し上げたように、What is Social Education? とHow to understand the meaning of Lifelong Learning ?を架橋する論理や実践が必要となります。鈴木報告では、「社会教育学と成人教育、生涯学習論の相互豊饒化」があるとされていますが、はたしてそう言えるでしょうか。また、韓国では、この点はどうでしょうか?
私には、この2つの世界をつなぐ新たな方法論が必要なように思えます。
とくに、労働世界、地域生活、社会教育・生涯学習と評価などについての政策と学習理論の積極的なクロス討議が必要と思っています。この点を深めるためには、わたしが関心を持っている高等継続教育との連関研究が重要とは思いますが、ここでは時間がありません。本格的な討議は次に譲りたいと思います。
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