週明け。
備忘録風日誌。
6月7日(月)
週末学会出張後の月曜日。朝は犬の散歩。午前は、記録の整理に時間をとられる。この日から、月曜午前の講義は、前期の半分の担当を終え、Yさんにバトンタッチした。
午後は、帯広H高校の新聞局の来訪を受けて、インタビューに応えた。7月号の取材という。事前に、Y君からメールと電話での打診があり、約束をとった上で、帯広から出かけてきてくれたのである。1年2名、3年2名、それに顧問の先生の5人だ。「人生を豊かにするための教育とは?」というような大きなテーマでのねらいをもちながらインタビューが始まった。聞き手は、3年のKさん、Y君が中心だ。個別にかなり具体的で、多岐にわたる質問を受けた。率直な質問が多く、テーマが時に大きく、どう回答するか迷うものもあったが、好感をもった。高校生のまっとうな質問に当方も元気にしてもらった。顧問の先生からも質問を最後に頂いた。2時間近くの質問を終えて、列車の時間に合わせて、彼らは帰っていった。取材結果は、7月号に掲載されて送ってくれるそうだ。
16時には、部局の中期計画委員会。議題多く、予定の6時にも終わらない。
散会後、今度は、遅れて組合執行委員会に参加。これまた議題が多い。9時に散会。
大学研究室に戻り、明日の講義の資料を2種類作成していたものを印刷する。大学を出たのは、結局夜の10時半過ぎだった。
6月8日(火)
朝、9時半前に道庁に行く。車を近くの駐車場に預けて、YNさん、YMさんと共に、道教委が教育長名で5月31日に決定した「学校教育における法令等違反に係る情報提供制度に関する要綱」に関して、その撤回中止を求める要請行動を行った。教育委員会の担当職員2人に対して、「通告制度」撤回要請内容に関しての説明を行い、M参事からはわずかながら応答があったが、歯切れは当然に悪かった。終了後、今度は予約を入れていた記者クラブに行き、同様の説明を行う。
ask_to_stop_bad_order.docをダウンロード
終了後、急いで大学に戻り、部局内の委員会に出席。
午後は、学部の専門講義、及び国際科目の英語での講義。
終了後は、いくつかの校務仕事。やや疲労でぐったりしながらも、この日は7時過ぎに帰宅。日中は久しぶりに汗ばむ陽光だったが、夜間はひんやりとした風が吹いていた。
6月9日(水)
昨日の取材された内容が小さな記事になっていた。
午前は大学院のゼミ。午後は、幾人もの院生の研究指導や相談事。
夕刻は、道教委の道民に対しての教職員違法行為通告制度に関する要綱撤回を求める集会がある。合間に翻訳チェック仕事だ。
夕刻の集会は、120名以上の集まりになった。多くの声が出され、問題点の指摘も明確であった。問題は、いかに声を広げていくかであろう。全教弁護団からの見解では、①「情報提供」の対象の無限定、②教育の自主性と信頼関係の破壊、③教職員の基本的権利の否定、④反論の機会も保証されない、⑤恣意的な情報管理と悪用の危険性、⑥教育の理念に反し違憲・違法な内容というが、大筋そのとおりだろう。
2010.6 news dororen.pdfをダウンロード
僕が述べたことは
第一に、憲法の人権規定(思想良心の自由19条、表現の自由21条、学問の自由23条、26条国民の教育を受ける権利等)にもとづく教員の教育の自由や、教育基本法の不当な支配の禁止(16条)を、下位の自治体の教育委員会要綱で侵すことは、下位法規による憲法ジャックである。本来、憲法やそれに基づく法の精神は、国や地方公共団体に対してこそ法令遵守を求めるものであり、国民を縛り上げることにあるのではない。
第二に、このような監視・密告による教員統制は、国民全体の密告・監視社会化に通じるものであり、国民の人権感覚を萎縮させる心理的犯罪であること。いわば、かつてのファシズム下の国民管理やマッカーシズム時代の思想的排除(「非国民」「アカ」「主義者」などのレッテル貼り)を彷彿とさせるものであること。リリアン・ヘルマンの「眠れない時代」を再来させてはならない。
第三に、学習指導要領違反というような「学習指導要領」を法令的位置づけにして、「違反」の範囲について、その恣意的解釈の拡大をはかることは、旭川学テの最高裁判決精神すら無視するものであり、教師の教育実践の営為・努力を踏みにじり、教科書だけを、ただ指導要領通りに教える無味乾燥の教育を招来させるものであること、
第四は、地方教育行政の自立性を奪い、国と都道府県の行政指導の忠実な奴隷としての教育委員会と学校管理を生み出すこと、地方(市町村)教育委員会は今こそ、理性と良識をもって道教委の通知(「調査依頼」と求めなき「指導・助言」)を跳ね返すべきである。
第五は、このような教育と教員の自由の封殺は、東京都の教育行政に続く国家的戦略実験としての北海道の位置づけを与え、他府県に与えるダメージは大きいこと。自民と民主の両政権にまたがる施策であり、文科省と道教委の合作シナリオである。(要綱の第2条3,3条の2では、「教育政策課長が判断する」とある。ある人によれば、このポストは文科省からの派遣ポストだという。「課長」による教育行政の支配と専制である。こんなことがまかり通って良いか。)また、このことの政策上の引き金の一端は、北教組の一連の不祥事を利用していることにあり、そのことを口実にして、正当な権利である組合活動をはじめ、教員の政治的活動全体を封じ込め、物言わぬかつての師範学校タイプの教員を生み出すものであり、民主主義に対する露骨な挑戦である。
第六は、このような正義に反する要綱は、公の場でのひらかれた論議には勝てない。多くの場で問題にして、その違法性や「異常さや道義に反するおかしさ」を声にしていくことが重要である。国民を思想統制し密告で恐怖に陥れた典型は、戦前の治安違法社会であった。例えば、井上ひさしさんが亡くなってもこれだけ支持されるのは、その根底に戦争による犠牲と国家による犯罪としての理性の否定を強いたことへの憤りを、単なる怒りではなく、文学によるユーモアとヒューマニズムにまで高めたことにある。井上ひさしさんが、農民解放運動に尽力し若き日に亡くなった父井上修吉と重ねるように小林多喜二を評価し、それを最後の遺作の一つ(「組曲虐殺」)にしたことの意味の重さを受け止め、勇気と自信をもって、正しいことは正しいと、すこし小さな声で互いに出し合っていきたい。
第七は、当然のことながら、教育の信頼と希望は、親・保護者、子ども(児童、生徒)、そして教師との直接の対話と話し合いによって確保されるものであり、監視や密告によって保たれるものではない。そして、教育行政の条件整備義務履行や子どもの権利(最善の利益)を実現するための施策について改善を求め、国民(子ども、親、地域住民)及び教師から声を上げていくことは当然の権利である。また、親、教師、生徒の三者協議会の話し合いや、地域での父母懇談会などの開かれた学校づくりこそが、本来、教育委員会によって奨励支援されるべき事柄である。
この日の集会の写真を撮ろうと思ったが、主催側に座ったので、正面からの写真では運動上、迷惑にもなろう。集会の横幕をとっておいた。
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