この数日の、ドラマ、コンサートに心を動かされた。文字通りmovedした。
倉本聰の『歸國』。大石静の『15歳の志願兵』。そして今夜の吉永小百合の「平和への絆」コンサートだ。
倉本聰の『歸國』は、出演者が、、小栗旬、塚本高史、向井理、温水洋一、遠藤雄弥、生瀬勝久、ARATA、堀北真希、八千草薫、石坂浩二、長渕剛 、ビートたけし他 だ。脚本・倉本聰、演出・鴨下信一である。現代の日本に亡霊となって現れる日本兵の物語だが、日本の現実へのまなざしの悲嘆と憤りは、倉本聰のラストメッセージの一つになるのだろうか。富良野塾の最後の公演題目でもあったという。
大石静の『15歳の志願兵』は、愛知一中で実際にあった事件のドラマ化だ。現在の旭が丘高校の前身の旧制中学で、強いられた志願兵の実話。出演は、池松壮亮、太賀、高橋克典、鈴木砂羽、福士誠治、夏川結衣、竜雷太、平田満 他 だ。原案は、江藤千秋「積乱雲の彼方に~愛知一中予科練総決起事件の記録」である。太平洋戦争末期に全国屈指の進学校での実話を基に少年たちが軍国少年に変えられていった姿を描くと番組案内にはある。エリートには別の道での国家への貢献もあったのに、なぜ?という設定には、エリート学校のくささというか、いささか引っかかるものが残る。しかし、純粋な気持ちの生徒たちに、愛国心を教唆し、配属将校とともに、戦場に向かわせる教師たちは実際にそうだったのだろう。校長役の竜雷太や体育教師の平田満がいかにもそうであったように演じているが多分本当にそうだったのだ。ただし、歴史教師や、主人公の父親で英語教師の姿が、まだ救いをもたらす。とはいえ、国家の愚鈍さに、体制順応させられる教師たちの姿は、今の権力に無批判的な教師たちも同様かも知れないと思わせるところがある(これは、小中高のみならず大学もだ)。そう考えると傷ましい限りだ。主人公の友人の最後に残した日記の部分は、フィクションなのかも知れないが、「きけわだつみの声」の学生の中の二重心情と同じく、引き裂かれた青春のいのちの非業を伝えて、胸に迫る。
吉永小百合の「平和への絆」コンサートは、大学で学生の卒論指導がギリギリ遅くまであったので、急いで身支度し帰宅したものだった。吉永の朗読CD『第二楽章』を、数年前の同様の、平和への朗読を映じた番組に刺激されて求めたものであったが、それの感動が心に残っている。今日の放送は、NHKホールでの吉永の朗読と吉永の誘いに賛同した歌手や、作曲家、演奏家の心のこもった音楽コンサートだった。坂本龍一、村治佳織、元ちとせ、佐藤しのぶ、平原綾香たちだ。司会の杉浦圭子(被爆2世)の姿もりりしく心がこもっていた。坂本龍一の9.11を身近に見聞きした経験と、非戦という彼の信念も、音楽も良かった。元ちとせと平原綾香の個性の異なった歌声のハーモニーも違和感がなかった。しかし、なんと言っても、吉永小百合がすばらしい。年を経る毎に、内面から美しくなっていくような、希有な人だ。
うましめんかな、うましめんかな・・・で知られる詩の朗読の後に、実際のモデルとなった赤子だった方が、息子さんと客席にいらっしゃったのは、一つの感銘だった。原爆の子のモデルの佐々木さんの実話が、海をこえて3つの物語に転生し、またその実話が34カ国語に翻訳されていること、こうした草の根の動きを、「核廃絶」という言葉にすることに何のためらいがあろうか。
NHKという組織にあっても、司会の杉浦アナウンサーは、自らの存在の再認識の中で、「核廃絶」を明確に言明されている。
吉永さんが、永井博士のことを紹介されて、彼が娘さんに、原爆祈念資料館に連れて行く決心をしたのは、娘さんが、中学生になってからだったという。その娘さんも2年前に亡くなられ、今は永井博士のお孫さんが、その永井記念館の館長さんだという。
戦争の加害も、被害も、その追随荷担も、抵抗も、悲惨な真実も、そしてそれを乗り越えようとする人間の良心の連鎖も、僕たちは伝える責務がある。
今日は、そう思った。
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