日々の対応で、ブログ更新もままならず、前回からもずいぶんと間があいてしまった。英国調査の終わりの部分を記録しておく。
11月5日(金)-11月6日(土)
11月5日(金)
天気予報が気になる前夜であった。
BBCの天気予報。
本来の予定でのバーンズリーのノーザンカレッジの訪問が時間調整でうまくいかず、キャンセルになった。
そこで、この日は、調査地のヨークシャーの自然と社会の懐を知るということで、リーズからスキプトンまでバスで移動し、そこから歩くことにした。
朝、ヘッデイングリーで待ち合わせて、キースと、コリンが案内し、我々日本人グループが合流し、1時間半ほどの二階建てバスの車窓を楽しみスキプトンに、着いた。皆、ポークパイと豆の煮込みのファ-ストフードで腹ごしらえして出かけた。(そういえば、前回2月のときは、「ブラックプデイング」をコリンに知らずに薦められて食べてしまったのだった。味は悪くはなかったものの・・・)
バス停で時刻を待つ。
やや雨がちな天候、足元がぬかるむという条件であったが、幸いスキプトンでは、この季節慣例のマーケットも開催されており、天候もいくらか回復していた。
車窓に広がるヨークシャーの農地。
スキプトンの市内に残るメカニックス・インステイチュートのあった場所に公共図書館が置かれている。両者の関係が実に具体的に表わされている。
白鳥の家族がエサを求めてやってくる。
12世紀建立の教会
リーズ-リバプール運河沿いの道を歩き、その後フットパスの自然散策路をいくつもの牧場を越えながら歩くことにしたのだった。いつもより距離は少なめなのは、この日夕方の列車で、ロンドンに向かうAさんの日程時間を考慮して、短縮型の行程にしたのだった。数日前からの洪水もあったのか、一部は道路に水があふれていた。靴を脱いで歩く姿もあったり、牧草地のぬかるみに足をとられる姿も、幾人かには見られたが、空気の澄んだ中を体を動かしながら進むのはいつもながら気持ちの良いものであった。
帰りのバスに間に合うべく、急ぎ、Aさんの予定時間には支障が生じなかった。キース、コリンとはそれぞれの家路に近いところでお別れをして、我々はホテルに戻り、Aさんは駅に急いだ。
しばらく休息をとったのちに、この日はガイ・フォークスデイ。ボンファイアの音が至る所でする。近くの広場は、この夜だけの移動遊園地。子どもたちを連れた親子連れ、テイーンズが集まってきている。
夕食をとろうと周りを散策したが、多少店の変動もあり、適当なレストランが見つからない。そこで、シテイセンターにバスで向かい、イタリアンレストランでの食事とした。タウンホール近くの、庶民的なダ・マリオである。白ワインと、それぞれにメインデイッシュを注文した。一日歩いたせいもあり、皆空腹で食も進んだ。愉快で快活な夕食風景であった。
M君の注文したビーフステーキ。彼の胃の腑は、翌日の中華料理を除けば、実に見事に連日たくましく働いていた。
11月6日(土)
午前中はそれぞれまとめなどでゆっくりした。
ランチタイムをはさんで、ロンドン大学バークベックカレッジのイグゼテイブデイーンのミリアムズーカスさんにリーズに来ていただいた。(彼女は昨年までリーズ大学生涯学習研究部門の部門長であった)日曜に、ロンドンでの会合を予定していたが、彼女の都合がつかなくなってわざわざ来ていただいた。多謝である。場所は、タイ・エッジというモダンなタイレストラン。僕は、過去に幾度か来たことがある。
僕たちは、いくつかの土産をわたし、再会を喜び合った。ミリアムからは、英国の、近年の生涯学習、高等教育動向について的確に紹介いただくとともに、読むべき論文、資料、それに今後のいくつかの研究での共同プランに付いて検討を加える討議となった。詳しくはここでは書かない。
ミリアムは、前日ランカシャーにいたとのこと、この日はロンドンに戻るとのことで、討議時間も良い時間になって再会を約して別れた。この後は、リーズ美術館、図書館、一番大きな書店ウオーターストン(米国資本)を訪れたりした後、自由な時間として、夕方には、ホテルに戻った。
時間をおかず、皆で明日の列車の指定席をと駅に出向いたが、もうコンピュータ入力時間は過ぎているとのこと。このあたりは、英国式だ。いたしかたない。明日、自由席で空いている席をさがすしかない。
この日の夕食は、遅い時間となったが、シテイセンターに再度出て、中華料理店に行った。前菜のスープはほっとする味で良かった。しかし、タイとインドの影響もあるのか、つぎのメニューがいささかスパイシー過ぎた。その後のメインデイッシュも、品数が多すぎて、味は良かったが、さすがに4人の大人でも残してしまった。が満腹は満腹であった。M君は眠そうだ。
11月7日(日)
翌日朝食後、ホテルの宿代支払いを終えて、出発。あとは、リーズ-ロンドン、そして少し自由時間を過ごして、ヒースロー空港。帰国の途だ。ロンドンの地下鉄のストライキは、この日もまだ続行していた。
自由時間を過ごした(僕は2人の院生を引っ越した大英図書館を通り、ラッセルホテル前を歩き、大英博物館などに案内した。)後は、キングスクロス駅に一時荷物預りで預けた荷を受け取り、パデイントンにタクシーで移動した。その後は列車だ。片道18ポンドで高いが、これまた選択の余地なしだった。地下鉄に乗っていたら、またもや時間を気にしてストレスが溜まったかもしれないので、これはこれで良い選択であった。
19時に無事フライト便が動き、あとは日本に戻るだけだった。(機内泊)
(帰国後1週間は、やや強いジェットラグに苦しむことにはなった。ただし、11月8日に、皆が新千歳空港に降り立ったときは、今回はやや統率責任もあったので、1週間事故もなく、ほっとした思いであった。)
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