あっという間に、月代わりだ。年明けから早くも2月の季節だ。
この地の寒さも雪も、地域差があるとはいえ例年より少し雪が多く、寒いが、この間の東北地方の豪雪と比べればまだ、四の五の言わずに我慢すべき水準なのだろう。(とは言っても、この地の内陸部北の方は厳しいらしいし、僕にも雪かきはつらいが、さらなる高齢者の方々、一人暮らしの方々は大変だ。東北や北陸の豪雪地帯の方々の大変さも直面しないと分からないようなつらさだと思う。雪や寒さのこと、軽く書いて、ごめんなさい。)
29日は、名古屋で科研の合同研究会。開始時間に合わせようとすると、丁度良い時間がなく、結局始発の飛行機(7時45分)になって、それに合わせるべく家を出るとなると、5時半起きで、始発の地下鉄(6時11分)、始発のJR快速(6時34分)となる。いきおい睡眠不足のまま、朝出立である。慣れているとはいえ、つらい。
機内では、佐藤一子『イタリア学習社会の歴史像』を読み進めていった。序章と1章の途中で、この日は終わる。知的好奇心や、渙発される問題意識が多い。本格的に読み進めることが楽しみだ。
ただし、この日は睡魔が強い。後は、ひたすら眠っていく。
名古屋・中部空港到着後は余裕があった。会場の名古屋大学にも早く着いた。この日は2本の報告。院生のY君のアジア開発銀行、世界銀行の高等教育戦略分析が一つ、もう一つは、Hさんのグロバライザーの世界銀行および国際的政策推進機関たるOECD、ユネスコ、さらに各国のオピニオンリーダー、各国方策、研究分析動向分析が2本目。Hさんの報告は、多くの資料と共に興味深い指摘が多かった。参加者は、主宰するHoさん、事務局の名大のIさんや院生諸氏、それにMさん、Hさん、Yさんなどであった。夕刻に終了して、懇親会もあったが、それは失礼した。僕は、この日は、東京に移動である。
簡単な夕食を名駅地下街の寿司屋でとる。柳橋に本店があった老舗だが、地下街の店はやや寂しい雰囲気だ。韓国の女性グループが隣席で、当方にうるさいと思ったのか、「済みません」(韓国語)と言われる。当方も「ケンチャナヨ」と言いたいところがすぐに反応できず、「大丈夫ですよ」と身振りを示しただけ。とっさの機転がきかないのはいつものことか!?
新幹線のプラットホームは、風が強く小寒い。しかし、雪もなく、マイナス温度でもない。まあ、ましと言うべきだ。
品川にホテルをとったので、移動はスムーズだった。
この日の深夜はアジアカップ。つい力を入れてテレビの中継を見てしまった。後の情報では、全国で30%前後の視聴率だったようだ。僕と同様の方も多かったようだ。チームははらはらしながらも勝利。しかし、眠い。
ホテル16階の部屋から、富士山の遠景が見える。
30日は、深夜にアジアカップ決勝を見たので、眠い。しかし、朝ゆっくりもできず、7時半起床。朝食後、余裕無く出立。
この日は、午前と午後をかけて社会教育関係の研究的仕事であった。参加したメンバー同士の意見を交換しながら、終日、地道な検討を続けた。2年越しの仕事だ。夕刻、終了。作業の一部は、それぞれに持ち帰りだ。
メンバー(Kさん、Nさん、Iさん、Yさん)と軽い食事につきあうが、途中で僕は退座。羽田のフライト時間は20時半。ゲート前の待合スペースで、大学の事務の組合仲間の方と偶然遭遇。少し雑談して、時間に出発。千歳に着くとさすがに寒い。この日は、札幌では、夕刻に吹雪いたらしい。帰宅は11時半近くになった。さすがにくたくただ。
p.s.
雑誌『世界』2月号は「家族崩壊という現実-児童虐待が問うもの-」特集。 特集記事に興味深いものが多かったが、それ以外の「メデイア批評38回、宮前ゆかり「「メガリーク」の波紋」の記事「ウイキリークスが開いた「国境を越える新しい言論界」は、蒙をひらかれた。日本の資本と国家からの情報垂れ流しのメデイア世界に浸されているととんでもない誤謬とデマゴギーに気づかされずにいることになる恐怖を感じた。ウイキリークス(WL)についての世界の対応がこれほどに多くの事実を明確にしているのに、日本の既存メデイアはまったく、それらを報じることもなくまた相手にもされず、愚の骨頂。
この間の、TPP報道、沖縄基地問題、消費税問題、管政権対応などは、大手全国新聞は、皆、例外なく(一部の新聞、記事に良心が時に顔をのぞかせるが)、まるで翼賛体制型報道のオンパレードである。S新聞、Y新聞、NK新聞は、以前から、立場がはっきりしていたが、それを上回るくらいに、A新聞、M新聞が変調してきた。気味が悪いことおびただしい。WLについても、その立場は、国家御用達新聞のごとくだ。
なお、わが研究フィールドにもリアルポリテイクスの害毒が及んできている。時に、理論や政策に賢くも「現実」対応ぶりを見せる諸兄に、あきれ果てることが多くなった。どうなっているのだろうか。
僕などは相も変わらず、在野のままで、失うものも何もなく、利権にからむこともまったくないので、賢くも「流行」や「現実」に身をすり寄せる必要もない。すくなくとも、暮らしの現場で困苦にあえぎ、いきどおり、良心を捨てていない方々に学んで、そこから発想すること、そして敵の根幹の情報と論理と虚偽をつかみ、論駁し、権力におびえ、ひれ伏さないこと、たとえ貧しくとも、それを続けることのみだ。
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