立春、それを節目とする節分。今年の節分は2月3日だった。(これは、閏年の計算式に従って変化するようだ。)節分と前後して、このところ、1月下旬の大雪と寒さの気配が緩み、少しだけ陽光が季節の希望を(ハルの兆し)奏でるようになってきた。
近くのス-パ-ストアでは、落花生と恵方巻が、節分当日の主役だった。どうにも、節分に落花生というのは、僕には違和感がある。とはいえど、時代の変化と地域特性もあるのでしかたがないのか。
知らなかったが、今や、節分に、落花生をまくのは、北海道だけではないらしい。
それでも、僕には、幼い頃の記憶の中、あるいは僕の子どもたちが小さい頃に行った節分行事での炒り豆の香ばしさが好きだった。今は、家族で「福は内、鬼は外」と戯れたかつての時間がなつかしい。
立春もそうだが、人は冬から春への移行を待ち望む気分がある。そして、それは眼に見える形で、本州では感得された。
その限りでは、北の地での、この2月、3月、4月の時期は、いつまでたっても苦手だ。どうしても鬱、鬱とした気分になりがちだ。
それで、僕は、時折、この地を、脱出しては陽光を浴びるのだ。(無論、北方人ゲーテの「イタリア紀行」のようにはいかないとしても、僕も南欧やギリシャ、イタリアにあこがれる。いつかは行きたいものだ。)
それもあってか、数日前の、夕刻、スポーツジムで汗を流した後で、図書館で気晴らし用に借りたのは池澤夏樹の『明るい旅情』だった。
「明るい旅情」などというタイトルは、何とも軽妙だ。『ハワイイ紀行』や、沖縄関連の本、東南アジア、西アジア紀行文など、北海道生まれの池澤にはギリシャ研究も含めて南国への渡りの憧憬があるように感じられる。
ただし、今は、池澤はこの札幌に住んでいるようだ。
池澤夏樹の読書日記風のブログ(Impala COOL BOOL REVIEWS 賢者の本棚)には下記の記事がある。
http://www.impala.jp/bookclub_wp/
< ぼくは日本でも最も湿潤な沖縄で十年暮らした後にフランスに渡り、そこの乾燥に感心した。空気がぱりっとしている。早い話がタオルや雑巾が臭わない。
ぼくが生まれて育ったのは北海道である。梅雨がないことで知られるとおり、最も乾燥した土地だ。
フランスを離れて日本に帰ろうかと思った時、同じ空気の中に住みたいと思って、札幌に決めた。ここの今日の湿度は六八パーセント。やっぱり乾いている。>
(池澤夏樹が、帯広生まれであったことは知っていたが、福永武彦を父に持つことは、最近まで知らなかった。)
そういう北と南の双方を知る作家のせいか、また彼の文体や観察眼、知的関心に共鳴するところがあるからか、僕はこの時期好んで池澤夏樹の本を読む。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。