2月も過ぎ行きてしまった。一年の六分の一がもう終わったのかと思うと焦りも出てしまう。
先週も、あっという間だった。それこそ時間と時間をワープして移動しているかのようだった。社会的な時間を移動しつつも、季節は、徐々に春に向かって動いているのを感じる。北の地でも、肌に感じる風は、寒くはあるがその中に微妙な春の兆しを覚えるのだ。
備忘録的日誌。
2月22日 (月)
日中雑務多し。夕刻、組合執行委員会。
2月23日(火)
博論申請論文の微修正を当該者の方と調整。N大から教職関係科目調査で来られたNさんと懇談、夕刻前に組合事務所で別の打ち合わせ。夕刻、今度は九条の会H大の講演会準備。自然科学分野からのI先生のご報告で、興味深いものだった。
2月24日(水)
午前は、Tさんの博論申請論文の公開発表会。その後、審査委員会。何とか無事に終わる。
夕刻は、組合の退職者の方々の送別会。定年退職、転出、さらに有期契約雇用の雇い止めで辞められる方も含んでの会だった。それぞれにエピソードを話され、かつ今後の人生のそれぞれの展開を感じるものだった。僕も最後に挨拶をした。
2月25日(木)
前期入試の日。試験場本部仕事で、朝早7時過ぎから夕方7時近くまで拘束される。体調不良を訴えた受験者が幾人かがあったが、その他は、何とか無事に終了。研究室に戻って、残っていた事務的な校務関連の電子入力作業を終えてから帰宅。心身ともにぐったりだ。
2月26日(金)
朝早くに、空港へ急ぐ。東京での会議だ。S学会の年報編集会議で、会場を予約して押さえたのが僕でもあったので早めに会場にたどりつく。H大学の東京オフィイスだが、同じフロアには、他のいくつかの大学のサテライト施設があった。10余人が集まり、午後一杯かけて議論をして方向性を出す。
早めに会場に着いたので、この日の参加者はまだ集まっていない。 H大東京オフィイスはSタワー10階にある。上京しての就活中の多くの学生たちも利用していた。
夕刻は、今度は、別の会合を、同じフロアのTH大のオフィイスで行う。この夏の社会教育研究全国集会の課題別集会の内容の検討だ。これは五人ほどの少人数の会合。終了後、集まったメンバーで、懇親しようと店を探すがいずこも満席。僕は、この日は仙台に移動なので、時間的に限界で途中でお別れする。
東北新幹線で、仙台に移動した。車窓から見える景色には、まったく雪がない。やはり、北海道とは違うなと思ってしまう。仙台駅の改札を出て、ホテルに向かう歩道エスカレータで、仙台市職員のIさんと偶然すれ違い、挨拶をかわす。旅先での偶然の邂逅ということは、過去にも内外で幾度かあった。不思議なものだ。
ようやくホテルにチェックインできたのは、10時半過ぎであった。
体は、足先から頭の芯まで疲労でぐったりだ。シャワーを浴びて、ベッドへ直行となった。持ってきた仕事は、あおずけだ。
2月27日(土)
ホテルでの朝食後少し調べ物をしてからチェックアウト。時間が少しあったので、駅近くのカフェで、関連する分野の読み物。
朝の閑散としたカフェで紅茶を飲んで少しほっとする。
12時に駅で集合しての、大学の組合関係の東北・北海道ブロックの運動課題の検討会議だ。東北、北海道の加盟単組代表のうち10大学1高専が参集し、全国組織の全大教からは書記や中執が参加して、総計20人の参加となった。この前後に、九州や、西日本、中部、関東などで同様の地区別会議を開くという。僕は、所属するH大の副委員長であり、地区協議会の全大教Hの議長という二重役だ。全大教委員長のNさんとは、先週札幌で別用件で会ったばかりだ。彼は、この会議後は、ニュージーランド調査という。互いに忙しい日々を生きている訳だ。ホテルの送迎バスで、奥松島の会場宿舎まで移動する。東京も、仙台も暖かい。春の気配が漂う。
会議はたくさんの運動課題について、集中して議論を行った。人事院勧告準拠による賃金不利益改訂への反対運動とその後の取り組み問題、大学・高等教育政策・予算等への批判的参画の取り組み、組合員拡大、組織財政問題、非正規職員問題、労基法改正等々へのこの間の相互の経験を交流討議した。夕食後は、大いに懇親を深めた。
2月28日(日)
奥松島にあるホテルの湯は温泉だ。昨夜来のアルコールを抜くためにも、ゆっくり朝風呂に入る。露天風呂の外気が気持ちよい。朝食後は、昨日からの継続的討議。朝のニュースで大きく報道されているのは、前日のチリでの大地震による津波警報だ。その対象地域に、この地も入っているという。東北・三陸海岸地域は、50年前のチリ地震による津波被害は甚大だったという。その記憶もあるのか、ホテルは臨時バスを出すという。会議も、津波の影響のこともあり、少し早めに日程を終えることになった。二時間半ほどの集中した議論を終えて、会議は閉じた。せっかく松島まで来たのに、海岸や松林を散策することもなく、仙台駅に戻ることになった。公共交通機関は軒並み海岸縁を走る路線は、運休の報が入っている。
北海道にはない松林が懐かしい気持ちにさせる。
海と通じている運河に浮かぶ船が春の気配を漂わせている。
津波警報もあり、渋滞を避けての迅速な移動は適切な判断だった。少し遅れていれば、交通規制に巻き込まれ列車に乗れたかどうか・・
会議参集者は、仙台駅でいったん解散した。札幌に戻る同じ大学のメンバーで、駅で昼食(名物、牛たん料理)を取り、帰路につく。空港アクセス線が津波警報の影響で運休したので、東北本線で空港近くの駅まで行き、そこからタクシーにのる。
予定していたフライト便も定刻よりは遅れての出発の案内だ。津波警報の影響で、空の便にもダイヤの乱れが出ていているようだ。
フライト自身は順調で、その後の行程も通常通りで8時少し前に帰宅。この1週間のタイトな日々のせいか、風呂に早めに入るが、疲労の割には、眠りにつけない。
明日からは、3月だ。またもやハードな日々が待っている。
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