2月6日 土曜日
この日は、シェフィールドにピーター・マタンルさんに会いに行く約束になっていた。2008年11月に会って以来である。彼はシェフィールド大学東アジア研究所日本研究部門の研究者である。日本のN大学に勤めていた経験もある。日本語が多少できるはずだが、僕とのコミュニケーションはいつも英語である。
http://www.shef.ac.uk/seas/staff/japanese/matanle.html
今回は、日本でのポスドク研究をめざしている若手研究者とも一緒である。駅で待ち合わせ時間に集まり、ポスドク院生のJさんを待つ。
昼食を共にしながらということだったが、目当てのスペイン料理店が駐車場が満杯で、別のパブレストランに行く。シェフィールド大学近くの住宅街の一角のお店であった。
ざっくばらんにお互いの情報交流を行い、食事後に彼の関心事である大学高等教育機関の地域再生貢献事業について意見を交わす。最初の方のお互いの紹介の中で、ピーターもJさん、お二人ともスペインにゆかりのある人であることが分かる。また、それぞれの縁戚を聞くとスペイン市民戦争時の祖母方の話やスペインでの少数民族問題、ドイツとの血縁などの話もあり、欧州の近さと複雑さを感じた。そして、お二人は国籍的、教育的経歴では英国人である。
ピーター(ピーター・マタンル氏)は、日本でのN大学勤務時に、地方国立大学の果たしている役割、あるいは専門学校の若者の教育・資格付与機能が、周縁的地域の維持発展に大きな役割を果たしていることを痛感し、調査をしていくつかの論文にまとめてもいるという。最初に掲げたシェフィールド大学のウエブサイト情報にも一部それは載っている。以前に論文を送っていただいたこともある。
また、英国の高等教育実践の実践事例を尋ねると、その注目すべきいくつかを紹介いただいた。ここでは詳しくは書かないが、スコットランドハイランド地域、イングランド北西部のカンブリア地域、南西部のコーンウオール地域における新大学及び、継続教育カレッジの実践は興味深いものであった。僕も、日本の同様の実践事例をいくつか紹介した。とかく、研究大学、伝統的大学は地域貢献事業に消極的だが、高等教育機関は研究・教育の普遍的使命とともに、地域社会への貢献に責任を有しているということについては、ピーターと僕の見解は一致している。
しかし、ピーターの疑問は、大学の地域社会への多様な関与や貢献があったとしても、また他の活動があったとしても、人の流れはまだ変わっていない。なぜ、人は(日本人は)離郷するとなかなか地方に戻って来れないのかということにある。日本の場合、Uターン、Iターンが言われるが、実際にはそれほど多くの人が戻っている訳ではないのではないかということだ。日本の人々は、都会の暮らしが嫌いでも、この間の日本の産業構造の変容、労働市場の変化を踏まえてみると、また仕事・職の可能性を考えると、地方に戻って農業を行うあるいは他の職場を探すよりも、都会に留まって暮らすことを選択せざるを得ない人々が多い。これは、構造的な問題でもあると同時に、この間の歴史的時間の経緯の中で、確実に人々は地方での暮らしのノウハウ・ノウフウの力量を喪失させてきていると思える。それを、どうやったら、変えることができるのかという点だ。英国の人々は、基本的に、大都会の暮らしよりも地方の田舎暮らしにあこがれる。そして、いくらかは、その実践的蓄積を有しているのではないかというのが彼の見解である。もっとも、このことは、エスニックオリジンの人々には適合しないかもしれないのだがということを付け加えてではあるが・・
僕も思うに、日本の「限界集落」のことを考えたり、NHKスペシャルにも採り上げられてきた「ワーキングプア」、「無縁社会」などを想起し、この間の小泉改革による地方切り捨ての構造改革の10余年の後遺症は、深く重いと考える。英国でも、サッチャー改革での貧富差の拡大は、ブレア-ブラウンのニューレイバー政権下でも基本的に解消はしていない。社会的排除の動きは、深く進展している。ちなみに、帰路に求めた、雑誌 The Economisit(volume394,number8668)の特集記事は、How broken is Britain?であった。
二人が考えていることは、教育は社会を根本的に変えるマジック力はないが、それを促し、主体をはぐくみ、構想力を鍛えるということでは、いささかの力はあるのではないかという希望である。
なお、お互いの共同研究の可能性、研究資金の方途も考えること。ポスドクのJさんの日本での受け入れの可能性の具体的な検討も確認したことだった。
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