時間は、一気に駆け寄り、駆け去っていく。日韓生涯学習シンポジウム「持続可能な社会と生涯学習の可能性」もその前後の準備や行事も含めて、濃密な時間が過ぎていった。
プログラムや内容の紹介は、前に書いた。まず、参加者全員の原稿を集め、日韓双方の報告を韓国語・日本語に翻訳してもらい、印刷所に無理を言って頼み込んで短時間で版を組んでもらった。(担当のKさんありがとうございます。)そして、それを短時間で校正する作業があった。シンポ報告集は、ギリギリ直前に間に合ったが、僕には薄氷を踏む心境だった。
7月17日、韓国側の方々が来道し、白老のアイヌコタン見学などを経て札幌市に投宿。
翌日18日は、昼に歓迎ランチを兼ねて今回のシンポ打ち合わせ。研究院長との懇談もあり、その後に総長室へ出かけ現S総長への表敬訪問。日韓双方の大学事情や、直前の環境サミットのこと、参加者の一人、金信一(キム・シニル)さんと、先日大学を訪れた潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が内閣での長官時代一緒で、故郷が近いことなどが話題となった。続いて、今回の主催者側である教育学研究院教授会での挨拶。さらに、レッツ中央勤労青少年ホーム見学(新渡戸稲造ゆかりの遠友夜学の跡地にある)。夕刻には、今回参加者の金信一(前韓国教育人的資源部長官、ソウル大名誉教授)さんの記念特別講演「韓国の教育改革の争点」を行った。参加者は、学生、市民、留学生、教員など60-70名。質問も活発にあり、寄せられた感想も良かった。夜には歓迎懇親会。
19日はシンポの開会行事に続き、特別報告、基調報告の計4人の報告。夕刻には歓迎パーテイと二次会。
20日は、朝から三つのセッションによるシンポジウム(6人の報告)があり、最後に総括的な討議を行った。夕刻、洪淳明(ホン・ソンミョン)先生は、静岡への移動があり退席された。他の方々や、日本側のメンバーは、サッポロファクトリービアケラーでの懇親会。場所を変えての二次会、三次会。
写真は、19日のシンポでの報告の模様や、懇親会パーテイの記念写真だ。
21日は、帰国される方々と、残ってのイクスカーション参加の二組の行動。イクスカーション先は、富良野-十勝岳-白金温泉のコース。この日は、日帰り組として、僕は、法政大の笹川孝一さんを新千歳空港に送り、帰札した。翌日は、講義があって休めないからだ。残った一行は、天人峡温泉に宿泊。22日は、士別市の訪問調査。午後に、副市長、教育委員会への表敬訪問の後、市立高校、子育て支援センター、生涯学習センターの訪問調査というプログラムである。士別市へは、天人峡温泉からと札幌からの合流による調査だった。僕は、この日は、大学での朝一限の講義を終えてから、公州大学校の学生Kさんと同僚のS教授を乗せて道央道を急行しての参加。これらの調査を終え、夜には、札幌に戻って、すべての行事は終了。
今回僕は、シンポ実現のための実行委員会事務局長であり、準備-実施-アフターケアの全過程に微力ながら関わった。今回のシンポ実現のために、誠心誠意ご尽力いただいた名誉教授のM先生、科研代表のS教授や同僚のKさん、Nさんなど多くのお力、ご協力に敬意を表したい。また、通訳・翻訳グループをマネージし、サポートしていただいた専門研究員のSMさんには、本当に感謝の限りだ。
国際交流を伴う研究活動は、体力・知力・包容力・交渉力・根気力・肝臓力(?)が必要である。僕はいつもそれらのギリギリの所で、へとへとになる。
今回は、金信一先生というVIP的な存在の参加があり、気をもんだ。ご自身の清濁併せのみ、率直で飾らないお人柄が、そのキャリアに対して人を遠ざけないどころか、多くの人を魅了する要素を持つのだろう。今回は、参加や報告を楽しんでくださったことは良かった。尚志大学校の崔燉珉(チェ・ドンミン)さんのご助力も大きかった。金信一さんと親しい法政大の笹川さん(彼とは、大学院時代違う大学であったが交友の機会が多かった一人だ。久しぶりに多くのことを話した。)や、ソウル大学への在外研究で指導を受けられた福島大の浅野さんに参加してもらえたことも今回の成果だろう。
写真は、2006年12月のソウルでの東アジア成人教育会議および韓国平生教育協会での長官時代の金信一さん。もう一枚は、2007年の教育人的資源部長官室訪問時の写真。そして、今回21日のイクスカーションでの中富良野でのもの。今回の写真はさすがに、リラックスされた姿だ。
洪淳明先生は、80歳を超えるお年ながらかくしゃくとされていた。数年前にプルム学校を訪問する機会があった。そのときもそうだったが、地域での実践にこれほど深く傾倒され、全人生をかけてやられているお仕事とはどういうものであるかが伝わる報告であった。尾花清・洪淳明共著『共に生きる平民を育てるプルム学校-学校共同体と地域づくりへの挑戦-』(キリスト教図書出版社、2001)という著作でもそうであったが、学ぶことの多いご報告であった。
プルム学校周辺地域の風景。
シンポにお誘いして参加された学校教員で道教組役員でもある0さんからは、金信一さんの講演と翌日のシンポ初日に参加いただいたが「お誘いがなければ参加しなかったのですが、期待通りというか、期待以上の収穫がありました・・・・日本と韓国のかかえる教育事情の類似性については驚きました。・・・「小学校英語が功を奏していない」「二極化・両極化の問題」「教員の人事評価」等、日本の抱える諸矛盾をお隣の国韓国でも同様にかかえながら混迷している様は、元教育長官がいうのですからリアルなものでした。・・・・また、プルム学校についても非常に魅力的です。地域に根ざす教育は日本の十八番かと思っていましたが、世界の各地で「子どもと教育」を大切にすれば行き着くところは同じであることを確信しました。」という感想をメールで頂いた。企画をたてた内容が、参加者に受け止められ、気持ちが通じていくことは嬉しいものである。
僕にとっては、公州大学校の任年基(イム・ヨンギ)さん、梁炳贊(ヤン・ビョンチャン)さんと旧交を温め深く話せたことは、嬉しかった。任年基さんは公州大学校師範大学長であり、多忙な校務の合間を縫っての出張。誠実でアカデミックなお人柄はいつも敬服するところだ。今回は、20日夜の二次会でJRタワーの最上階下のバーラウンジで、韓国の国立大学法人化にあたって危惧されていることから僕に多くの質問をされ、日本での法人化の問題点を深く意見交換し、その問題性を共有できたことは収穫であった。梁炳贊さんは、韓国的配慮で言われなかったが、シンポ終了後、公州に戻って、福岡社会教育研究会・小林文人さんたちの韓国訪問団を受け入れる役割があった。本当に誠実な方だ。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/index.htm
梁さんは、来年にサバテイカル休暇を予定されており、その研究先を僕に相談されて親しく今回も話した。8月の札幌での社会教育研究全国集会には、韓国側から20名以上のグループツアーの団長役として再び来道される。親しくまた話をしよう。
雇用情報院の鄭然純(チョン・ヨンスン)さんとは、初めてお会いしたが、韓国ソウルの大学教員李智恵さん(幾度も出会いお世話になっているが)と高校・大学も同じで、金信一さんのお弟子さんでもあることなどが分かり、また日韓の若者の失業問題や教育・訓練について親しく話ができたことは、研究的な交流と重ねて、人との出会いにおける新鮮な喜びであった。
北海道は、短い夏、ラベンダーの季節がもうすぐ終わりを告げようとしている。
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