ヒロシマ、ナガサキの両原爆投下日前後を中心に、日本のジャーナリズム・メデイアは、平和特集を組むのが通例だ。それはそれで良いのだが、問題は季節の風物誌風に流すような場合が多いこと、あるいは秋の気配とと共に忘れられていく一過性的姿勢が支配的なことだ。要するに、平和や戦争へのジャーナリズムとしての一貫性や持続する志が貧困なことだ。勿論、中にはすぐれた報道や作品を見せる場合もあるが、他方では無神経で鈍感な報道も混在するというのがこの国の現実である。今年もそういう苦い感覚を味わった。
先週だったか、ナガサキの原爆投下の悲惨な現実に関わって、NHKが制作した作品は、戦争の加害と被害の両面を深く掘り下げるものだった。戦争末期に、敗戦濃厚になる中で、軍部はひそかに各地に戦争継続を続けるためにトンネルを掘らせた。一部は、司令部設置(松代大本営が典型。僕はそのトンネルに90年代初めに案内してもらったことがある)、他方ではトンネル兵器工場をつくった。長崎は後者だ。NHKの作品は、その兵器工場で被爆した人々を追跡するものだった。犠牲者の大半は、学徒動員された若者たちと強制連行されてきた朝鮮人の人々であった。ヒロシマ、ナガサキ(天候不良で小倉から対象地が変更になった)は確かに軍事都市であった。たとえば、ナガサキの三菱造船では、軍艦がつくられ、トンネル兵器工場では、戦争時で使用された日本の魚雷の八割を製造していた。(これも三菱工場)
しかし、だからといって原爆投下が正当化されるものではない。無差別殺人の正当化は、誰もなしえないことだ。久間元防衛庁長官の「原爆投下はしようがなかった」発言は、アメリカの持論であるが、久間氏にとってもアドリブ発言などではない。(彼は前言訂正はしないと言っている)被爆国にありながらも、典型的な米国追随者の本音でもあろう。
今年も「シーファー駐日米国大使が1日、福岡県宗像市での「日本の次世代リーダー養成塾」で講演し、高校生との質疑応答で、広島、長崎の原爆投下は正しかったかとの質問に大使は「より多くの生命が失われるのを救うため、戦争を短くするためだった」と強調した。」との報道がなされた。(いつまでこういう発言が許されていくのか。) http://www.ohmynews.co.jp/news/20080806/27716 なお、「日本の次世代リーダー養成塾」の塾長は御手洗経団連会長だという。
とはいえ、空爆のゲルニカ的被害と惨状を世界で先駆けて実施したのは、日本の重慶空爆が最初であったことは、歴史学が教えるところだ。空襲の広がりによって、戦争の犠牲者は、軍人よりも大半が市民になっていったのは、第二次大戦末期の現実であった。アメリカをのぞけば、ヨーロッパもアジアも日本も、前線と後方の区別は消滅していたのであり、その中で、多くの人が命を失っていった。NHKのナガサキのトンネル兵器工場とその被爆者を描いた作品は、戦争の<構造>とその悲惨さを十分に掘り下げていた。
しかしだ。そのNHKが、一貫してそうした姿勢で報道しているかといえば、無論そうではない。昨夕何気なく、夕刻のローカルニュースを見ていたら、自衛隊千歳基地の航空ショウを報道していた。(恐らくは例年そういう報道をしているのだろう)戦闘機の操縦席に小学生を乗せて操縦を教えている場面や、青森基地に所属するブルーインパルス隊の曲芸飛行を見せて、子どもたちに将来ああいう風に飛行機を操縦したいかとカメラ(記者)が尋ねていた。そこには「航空ショウ」への批判的な視点は皆無であるどころか、自衛隊へのあこがれを誘導していた。こういう無神経さと鈍感さは、NHK札幌放送局というローカル局の知性水準であるに過ぎないという訳にはいくまい。放送事業体としての公共性は、そのメデイア・ジャーナリズムの担い手であると言う自覚を前提としている。権力への批判性を欠いたメデイアは、権力のお先棒かつぎか、もう一つの権力に成り下がるしかない。一方ですぐれた作品を生み出し、他方で無神経な鈍感さを示す報道というこの国の現実に、僕は生きているのだ。
季節は、音もなく移ろい、少しずつ秋の気配を漂わせている。散歩の行き帰りに、映ずる花々や陽光、生き物にそういう兆候が見えてきた。
アザミの花がもうすぐ開花。路傍の野草が花盛り。
野草も、その主役を交代中。
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