8月15日を前後して、やはり戦争、悲惨な犠牲あるいは無惨な死というものを考えてしまう。
若者(に限らないが)の一生を左右する、時代の強引な力の一つが戦争である。僕の個人的な感慨としては、昨年逝去した「父」の人生に刻まれた負の刻印を回想せざるを得ない。(母も戦争の犠牲を受けているが、別に書くとしてここでは触れない)T県の貧乏な石屋の11人兄弟の三男坊であった父は、小学校を卒業するや否や東京の魚屋へ丁稚奉公に出された。しかし、奉公途中で家元に呼び返され、満蒙開拓義勇団に応募させられる。その結果、旧満州に開拓義勇軍として出向き、その後現地召集で関東軍の陸軍二等兵になった。戦争末期に沖縄へ転戦、さらに沖縄の激戦間近に台湾に移動、そこで一等兵として敗戦。神戸へ引き上げて、T県に戻り、戦後材木の切り出し、さらに化学工場への就職・・・・その後に色々あって、僕の人生と重なっていくことになる。しかし、この男「父」の抱えたネガテイブな人生模様は、詳しくは書かないが、家族及び僕をずいぶんと苦しめてきたものであった。僕の10代から20代は、「父」の人生の敗残模様のツケに振り回され、それとの決別、克服の戦いであった。
多分、僕が抱えたような悩みや、困苦のドラマは日本の至るところにあるのだろうと思う。そういうことを、毎年8月は思い出させる。
そして毎年何らかの戦争や平和に関わる記録や作品を読んだり、観たり、聴いたりすることになるのだ。僕が、「九条の会H大」事務局に関わるのも、根源的にはこういう経緯がある。http://www.geocities.jp/hokudai_article9/index.htm
今年は、昨年再読した大岡昇平の『レイテ戦記』や藤原彰の『餓死した英雄たち』に続き、ユージン・B・スレッジEugene B.Sledge(1923-1981)という米国人の『ペリリュー・沖縄戦記』(With the Old Breed,1981)を読んだ。
前者大岡の「レイテ戦記」や藤原の「餓死した英雄たち」が、日本側からの先の戦争と軍隊の本質、机上で考えられる作戦の非人間的な無惨さ、あるいは無駄な死をつくりだした戦前大本営の無策性を、一兵士あるいは将校としての立場から静かな怒りの中で暴き出していたのに対して、後者、スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」は米国南部出身の一海兵隊志願兵(父が医者で、戦争志願が故に大学中退するも冷静・沈着。戦後生物学の大学教授を長く務めた)が、訓練と実戦を経て、人格変容していく姿が生々しい。戦地にあっても何とか人間性を失わないようにつとめる自制も、どこかで狂っていってしまう戦争の惨さが、リアルに描かれている。敵(日本兵=ニップ、ジャップ、吊り目のクソ野郎ども)への憎悪と人間と見なさない狂気が、実際の戦闘現場を支配していくこと、そのデイテイールが生々しい。また海兵隊(Old Breedとは、米国海兵隊第一海兵師団をさす)の本質というものがそういう兵士を醸成していくのを、率直に書き記している。
「・・・砕けた頭蓋骨とどろどろの脳味噌、血まみれの髄質だけが見えた。その死体をまたいで、暗い、ぼうっとした顔つきの海兵隊員が立っていた。死体の両わきに足を踏ん張って、ライフルの銃床を両手で持ち、それをポンプのようにゆっくり、機械的に上げたり下げたりしている。銃の先がおぞましい塊を叩き、胸の悪くなるような音を立てるたびに、私はたじろいだ、・・・その海兵隊員はショックに打ちのめされ、明らかに病的な状態にあった。われわれは、この男を両わきから抱きかかえた。負傷を免れた仲間の一人が血まみれのライフルをかたわらに置いた。「心配するな。おれたちがここから連れ出してやるからな」哀れな兵は夢遊病者のように応じ、すでに担架に乗せられていた負傷兵がかつがれていくのに付いて、ふらふらと歩いていった。指を失った負傷兵が日本刀をもう片方の手で握りしめた。「こいつは土産に持って帰る。」我々は頭のつぶれた敵の将校を砲壕の端までひきずっていき、斜面の下に転がした。 暴力と衝撃と血糊と苦難-人間同士が殺し合う、醜い現実のすべてがそこに凝縮されていた。栄光ある戦争などという妄想を少しでも抱いている人々には、こういう出来事をこそ、とっくりとその目でみてほしいものだ。敵も味方も、文明人どころか未開の野蛮人としか思えないような、それは残虐で非道な光景だった。・・・」(456-457頁)
「・・苛酷をきわめる状況に兵たちは押しつぶされ、私の知る最も屈強なつわものでさえ、悲鳴をあげる瀬戸際まで追い込まれていた。戦争について、書く人間も、こんな胸の悪くなるような事柄はふつうは書かない。そんな身の毛もよだつ戦場に生きて、昼も夜もなく延々と戦いつづけ、しかも正気でいられるなどということは、自分の目で見ないかぎり想像もつかないだろう。だが、私はそれを沖縄でいやというほど見てきた。私にとって、あの戦争は狂気そのものだった」(394頁)
当然ながら戦争の後遺症は、肉体的損傷のみならず、精神的な傷害を個々の兵士にもたらす(第二次大戦では、それを「戦争神経症」とよんだ)。日米の兵士のそうした罪責意識や恐怖については、野田正彰の『戦争と罪責』(第三章 心を病む将兵たち)で読んだことがあるが、このスレッジの本にも度々登場する。
にもかわらず、筆者E.スレッジは海兵隊を称揚してやまない。帰属した部隊を否定することは、自身の否定にも通じるので、その気持ちは理解可能だ。しかし、海兵隊という軍組織の狂気的・攻撃体質は、制度設計上も、そのような個人の感慨を超えて歴然として創設時以来あるのだろうと思われる。(沖縄の海兵隊の犯す様々な犯罪は偶発事件ではない。ベトナム戦争、イラク戦争に一貫して先兵的役割を担わされてきた部隊の戦争道具性による。ネルソン氏の証言もそうだった)
戦争の犯罪性、悲惨性を対象化して描くには、時間の経過が不可欠である。筆者スレッジがそういうことを記録にするためには、36年という時間の経緯を経なければならなかったのは、その戦闘の惨さがゆえであったと、僕は思う。
戦争の惨さについての記録と記憶については、商業映画の甘さがあるとはいえ、一昨年公開されたクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』(2006年)でもそうであったが、日米双方の兵士たちが共に戦争に翻弄されていくる姿を、複眼的に見る必要があることを感じたこともこの本の収穫であった。
指揮官・将校(戦争の愚策の張本人として)を掘り下げて描くことは、戦争の本質には不可欠であり必要なことだ。(例えば、昭和天皇そのもの、あるいはたとえば、戦後史の影のフィクサーであった瀬島龍三という人物など)しかし、それは戦争という本質(政治と戦闘)の一部に過ぎない。最も犠牲を強いられたのは、民衆である。民衆の(兵士と国民)の痛苦をいかに受け止めるか、そこから何を学び取るかが肝要だ。
そして、その民衆が加害者にも被害者にもなり得たという歴史の苦い教訓をいかに僕たちが引き取っていくかが問われている。
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