人生の残り時間を考えるなどということは、少なくともほんの少し前までは、あまり発想しなかった。(女性の方が早く意識するというが・・・)それが少しずつ、現実味を帯びてくるようになった。少し上の世代が定年期目前にかかってきていて、そういう人々の感情が微妙にこちらにも投影してくるようになったこともあろう。
また、家族、親戚での悲報が、否応もなく人生を意識させるということもあろう。昨年は、つれあいの母と僕の父を相次いで喪った。そして、このところ先達の方々、恩師たち、知り合い、同世代の中にも、訃報を聞くことが多くなったように感じる。人生の黄昏(たそがれ)とか、落日とまではいかないにしても、人生の秋模様ともいうべき心境にあることは確かだ。
その中で、最近一冊の本を恵贈頂いた。
タイトルは、「フィンランドの高校生たちが人生について考えていること」である。帯には「あなたが生まれたとき、あなたは泣き、みんなが笑った。あなたが死ぬとき、あなたが笑い、みんなが泣くような、そんな人生をあゆみなさい。」とある。都留文科大学の田中孝彦さんが中心となっての、「臨床教育学の展開と教師教育の改革」という共同研究調査の副産物というべき本である。フィンランドの小さな町・カヤーニに住む3人の高校生へのインタビュー(調査項目に従っての)の復元と、それに関連しての多元的な考察が収められている。OECDの国際学力比較調査(PISA)調査結果でのフィンランドの優秀性にかこつけて、浅薄で皮相なフィンランド賛美や、歴史的文化的政治的文脈を抜きに、フィンランドメソッドなるものを言い出す人々が続出している。これに対して、PISA調査結果が出る前からフィンランドに注目し、そこでの教育の独自な構造、人々の人間観、文化や芸術、経済への視点などへの考察を行ってきたTさんたちの実践的・理論的見解が説得的で分かりやすいものとなっている。僕は、田中孝彦さんとこの地での調査に同行していた間宮正幸さんに感想をほんの少し書いた。下記に転記しよう。
・・田中孝彦さんからフィンランドの高校生調査の本を恵贈いただきました。
葉書にて返礼を書きましたが、上記本は、H大の「上ノ国調査」の延長線上にあるものでもあり、ナラテイブアプローチの手法、子どもたちの人生見通しへの注目視点は、かつての僕たちの名古屋での生活史実践・研究の手法にも通じます。これまで、ヴィゴツキーの解釈やナラテイブアプローチについては、専門筋の解釈もあるのでしょう。幾人かの著作や論文も読みました。ただし、僕には、出発点の問題意識差なのか、研究している人間存在のそのものへの僕の疑問なのか、何かいつも違和感が残って彼らの方法に馴染みませんでした。今回の本で少し誤解が解けて、接点が見いだせそうです。今回来たリーズ大学の研究者たちは、高校生の職業意識形成の重要性に焦点をあてていますが、フィンランドの場合、もう少し広い人文的な教養のようなもの(田中孝彦さんは、絵画や文化にまで言及していますが)に力点を置いていて、これまた興味深いところです。また田中氏を中心とする研究グループは、人生設計に援助する力量という面で、教師教育の質的な革新に研究を焦点化している面もあるようですが、これまた多角的なアプローチがありそうです。上記本を一読して感じたことを書きました。・・
フィンランドの小さな町の3人の若い高校生たちの語りは面白かった。二人の少女と、一人の少年の語り。質問に沿ってではあるが、他者と自分への能力観、人生観、学校での学習、友達や、育った町への視点、人生のこれからの希望、外国など外部世界への視点、幸福とは何か、等々の質問事項に興味を持ちながら、率直に、また時にとまどいを含めてではあるが、臆することなく語っていた。僕は、それらを新鮮な面持ちで読んだ。そして、日本の同年代の少年・少女たち(若者たちというべきか)は、同じ質問を受けたら、どのように応えるのだろうかという想像力を働かせながら・・・
前に書いたが、一度だけではあるが、フィンランドを訪れた。そのときは、学会とその後つれあいとの旅行だった。日本からもっとも近い欧州の国である。またの機会に、この目でいくつかのことを直接確かめてみたい。そう思わせる書であった。
P.S.
さて、秋は、芸術の季節でもある。つれあいは、下記のオータムフェストの出品制作にいそしんでいる。比すべくもないが、僕の無芸、無趣味に近い生活の改造は、どこから手をつけるか。・・・
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