学会2日目は、自由研究発表。午前は「原理論・歴史」の部門の司会。午前、午後、各10室ある自由研究発表の内、3室が「原理論・歴史」にあてられた。理論や思想のパラダイム転換期、政治経済文化の不透明な時代の中で、若手の研究者の関心が、羅針盤や指針を求めて、原理や歴史、思想に関心が一定程度焦点化されてきているように思う。この点では、今回、H大の院生の発表は、もっぱら学習・文化活動と地域・地域問題に向かっている。指導教員の現時点での関心軸とパラレルな関係なのだろうが、行政、政策、運動、法 および「原理論・歴史」への関心向きが、ほとんどないのは、H大の伝統(個性、学風)なのかも知れないが、はたしてそれでよいのだろうか?僕の研究グループではないが、気になるところではある。
とはいえ、僕の研究グループの院生は、多様な領域を抱えていて、この分野へは、今年の参加者はゼロだし、加入学会員もわずかだ。拙速な判断はできないが、学際的、あるいは隣接的(僕の場合はそうではないが)な分野に関心が薄いのは、若手院生の共通傾向だろうか?多分、そうではないとは思う。(経済的事情もあるだろう)しかし、こういうことは議論の前提や思考、対話の共通基礎をかたちづくるだけに、まともな議論ができないのは、弱ったものだ。
もっとも、この批判はブーメランのように自分に戻って来る。学部や院で、この領域に関しては、棲み分けがあり、僕としては開講できない構造なのでしかたないとはいえ、学生や院生諸君とは、共通の研究討議もできない。僕の影響力の薄さ故なのかといささか落ち込むことも多い。例えば、社会教育と法の研究会は、隔月ほどのペースで、東京の若手の院生の人々とこの間行ってきた。
この問題に来ると、いつも堂々巡りのジレンマに陥る。二足のわらじのあらたな領域(高等教育研究)での過去10年間の学習・研究調査と独自な開拓の努力、そして国際的な連携の道の開拓をしてきたことは確かだ。興味ある研究課題も、いくつか内部に蓄えてきた。しかし、教育面では、領域の特性上、学部学生にはいささか関心軸がズレるようだ。志望学生は、そう多くはない。(東大のK教授もどこかでそういうことを書いていたように思う)部局のフィールド科学的学風のせいか、高等教育機関調査などには参加して関心が変わる面もあるが、概して高等教育の文献研究、歴史、比較研究にはあまり興味がないのかも知れない。他方、院生は、高等教育分野の関心が増大し、とくに社会人、留学生が増えてきた10年だった。分野は多様である。それぞれの固有の課題で、真摯に研究に向かわれていて、僕もそれぞれには、誠実に応えてきた10年だ。そして、月に一回の、カリキュラムにはない、博論研究会が、唯一の横断的研究討議の場になっているといえる。
しかし、僕自身が元々進めてきた社会教育研究は、今立っている場では、個人的な研究にとどまらざるを得ない。少し前までは、そのこと自体を攻撃する、およそ学問の自由を理解しない、あるいは個人の固有の研究の歴史的系譜と独自性を尊重しないつまらない人間もいた。(単純に、僕が嫌われていただけなのかも知れない。パワハラと言い立てるのも相手のレベルに下がるようで僕は好まなかった。)10年が過ぎようとしている今、定年までの残り時間も少なくなってきたという「時計」感覚もある。研究的居場所問題は、研究・教育の基軸問題であるだけに、時に眠れぬ夜を生み出し、悩ましい問題だ。
さて、元の話題に戻ろう。
学会第二日。僕は、第2室の午前の司会担当だ。報告は、「グロントヴイ主義とフォルケホイスコーレの北欧的展開について」、「近代博物館理解の過程と様相」、「明治後期における社会改良の思想・運動と<中流階級>言説」、「戦前の少年団における社会教育と学校教育の関係論」、「アメリカ農業拡張事業史における「農民協同実演事業」の再検討」の五本の報告だった。いずれも若手の院生ないし研究者の報告だ。今回司会をしてまず感じたのは、報告組み合わせ問題だった。学会研究担当事務局が、報告の組み合わせと部屋決定をするようだが、今回のプログラムでは、やや首をかしげる??というか、他の部屋の報告ともう少し組み合わせを変えれば、突っ込んだ関連討議もできるのにと思う面もなくはなかった。もったいないというか、それぞれに力の入った、貴重な報告であるだけに、バラエテイに富みすぎているのは、いかがなものかという気はした。とはいえ、そうした事情にかかわらず、参加者、あるいは報告者が互いに質疑を交わし、それぞれの研究の意義や独自性、資料的所在や研究視角について示唆を示し、成果が得られたようであったことは、まずは良かったといえる。詳しい報告・討議内容については「学会通信」に書くので、ここでは省こう。
学生食堂での昼食後、午後は地域・地域問題の自由研究発表の部屋に出た。報告は、「EUの成人教育「グルントヴイ計画」の理念」、「オーストラリア成人移民英語教育の研究」、「韓国における在韓外国人への教育支援について」、「欧州における新たな生涯学習ネットワークの構築に向けた試み」、「欧州評議会を中心とする「民主的シテイズンシップ・人権教育」の動向」、「ユネスコ国際成人教育会議の展開」、6本だった。
生涯学習理念、政策は、欧州レベルでの構築が世界の一つの中心を為している。この間、欧州はアメリカの巨大な力を意識しつつそれとは相対的に独自な形で、「一つの欧州圏」形成をはかってきた。その場合、生涯学習理念・政策では、国際機関としてのユネスコとOECDが拮抗しながら、その基盤政策に影響を与えてきた。知られるように、ユネスコは、ラングラン段階、ジェルピ段階を経て、ハンブルク成人教育会議などで、工業国と発展途上国との対立・拮抗バランス構造の上に、大枠では人権的、教育機会拡充の立場で、学習権理論・思想の発展をはかってきており、2009年のブラジル会議では、ハンブルク会議以降10年の総括と次なる時代の展望をはかることが目指されている。この部会報告者のAさんなどを含めての奮闘によって、草の根会議が世界各所でもたれ、ナショナルレポートへの意見反映、市民レポートの作成が焦点になってきている。他方、OECDは、工業諸国を中心とし、かつて西側先進国クラブと呼ばれた時代から、経済政策と教育拡充との調整を課題として政策リードしてきた。とくに、90年代後半以降、知識基盤社会(経済)構築を掲げ、それに見合った個人の能力開発、教育改革、国際競争力に勝つ経済的基盤たる人材育成をとりあげ、国際学力調査(PISA)、キーコンピタンシー提起など、新自由主義的改革とも親和的な方策を打ち出してきた。EU、あるいは欧州評議会は、この二つの相拮抗する潮流の中で、シフトをどう変えるかの選択を迫られているといえる。この部屋でのいくつかの報告は、その事情を裏付ける明確なものであった。僕も、質問をいくつかしたし、自分自身としてもいくつか深めたい課題を意識した。そして、それはこの10月の渡英時の課題の一つだ。
自由研究発表後は、総会。SA会長の挨拶があり、O事務局長による会務報告がもたれた。
第二部的には、「職員問題特別委員会」報告として「知識基盤社会における社会教育の役割」(提言)が、委員長のM氏から報告された。質疑の意味(修正の可能性)が問われたが、これはこれで最終報告と言う。審議過程で、いくつか意見が出されたはずだが、結果はかなりな程度、特定のスタンスの色彩の強いものとなっているように思われた。報告タイトル「知識基盤社会における社会教育の役割」(提言)それ自身に象徴されるように、枠組みはOECD型の高度専門職人材育成に近いニュアンスがにじみ出ている。当然ながら内部討議では異論もあったようでいくらか修正が加えられているようだが、しかし基調は上記に近いものとなっている。また、それ自身は重要な指摘でいくつかは首肯するが、果たしてこれが学会の合意なのかと言う点では疑問の残る<学び合うコミュニテイ>、実践と省察のサイクル、研修のシステムづくり、社会教育主事養成カリキュラムの研究開発、評価の研究などの方向が出されている。質疑では、社会教育職員の養成、採用、配置、役割の事実認識の問題性、生涯学習政策との関連での審議の方向付けのスタンス、公民館主事への言及の欠落や現実の地域づくり計画作成や社会問題学習への寄与などについての言及の欠落の指摘、この委員会出発の議論に各大学の社会教育職員養成問題の危機意識があったはずだが、それがどう反映されているのかという疑問等が出された。時間の制約もあったが、応答は必ずしもかみ合うものとはならなかった。この委員会に加わった委員の共同討議結果でもあって、学会としてはまずは第一歩として高く評価すべきで、今後さらに検討を進めていくべきとの議論を収める発言も出されて会は閉じることになった。たしかにその通りで、大人の発言だが、学会は、教育基本法改正については、声を上げたが、社会教育法改正には沈黙し、何も見解を出さず、 他方、今の時点で、職員養成については、ある種の政策対応的含意をもつ見解を出して良いものか僕はやや釈然としない思いが残ったのも確かだ。
夕刻は、懇親会。スタートは、和歌山大学出身で、地元のメデイアに出ている「宝子」さんの透明感ある歌がいくつか披露され、場が和やかになった。http://takarako.fc2web.com/frame.html
後は、色々な交流。食材は普通だが、地元のおいしい日本酒も出されていたようだ。僕は、途中で、友人諸兄と、町に出て二次会を行った。色々な話が出たが、それは省いておこう。後で聞いたが、K大の院生が、手つかずの「羅生門」などを、他の院生たちと持って行ってしまったとか武勇伝もあったようだ。
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