日毎に秋色度-こういう表現があるかどうか分からないが-が濃くなっていく。
七分月が曇天に顔を出し、カラスがじっと動かずに睥睨する下を、昨日は散歩した。
夕暮れ模様も、どこはかとなくうら悲しい気分を起こさせる。
地味な時間が過ぎていく。淡々とした執務である。昔読んだ戸坂潤の一節に、確か「生活は、空疎な興奮でも平板な執務でもなくして計画ある営みである」といった表現があったが、そのようになっているのか、やや自信がない。
Nさんの博論申請論文をこれで幾度めになるか、読み進めコメントを付して修正要件を伝える。
この数日、ずっと様々なまとめや記録を書き進めている。
時間の合間に、昔の映画、成瀬巳喜男監督の「妻の心」という地味なホームドラマを観るともなく観た。高峰秀子が好演している。小津や成瀬という監督の描いた世界は、家族の小さな世界の細部に潜む人間や社会の投影のリアリズムだったのか。時間の流れの違いを意識する。
俳優の緒方拳が5日に亡くなった。家族以外に肝臓癌の末期であることを明かさず、最後の最後まで俳優として生き抜いたことで、多くの人の関心をよんでいる。追悼番組も多い。僕も「帽子」という作品が再放送されたのを偶然観た。心が動いた。脚本の良さもあるが、緒方という役者の力抜きには描けなかった作品だ。惜しい俳優を喪った。
世界的な金融危機。アメリカ経済の破綻が世界に大激震を与えている。ついこの前までの市場経済原理主義者たちの豪語が基盤から崩れていく状況だ。大事なことは、犠牲を民衆に転嫁させることなく、このような根本原因を組み替え、文字通り国民の利益のために「構造改革」するための政治の変革が必要だということ。メデイアの操作に動かされることなく、真の情報や方向が示されていくことがどれだけできていくか・・・
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