所属する部局での、2月9-10日と予定した日英シンポは成功裏に終了した。社会的排除、貧困、新たな連帯づくりと持続発展可能な社会についての、多角的な討議を行えたと思われる。詳しい内容の総括は、別の時に書くとして、とりあえず確認されたのは、以下の6つの成果であったと思われる。
一つには、日英間の福祉国家や社会政策、社会的排除の理論枠組みの比較を通して、現代的理論課題としての新たな福祉国家レジームのありよう、貧困と社会的排除克服の戦略的課題の方途が深く討究され、より明瞭に浮き彫りになったといえる。
二つには、今日の家族・子どもに押し寄せている貧困と排除のリアルな現況が報告された。これに対して、関係者相互のネットワーク構築がいかに可能かが多面的に議論できたと言える。
三つには、労働過程や請負労働や派遣切りなどでの人権抑圧と貧困の具体的なあらわれ、同時に労働生活場面での、それらにうちひしがれないための若者たちの社会的交流の欲求と実際の姿、また日本工業の心臓部に依然位置する鉄鋼産業での職業訓練または職業教育の現代的課題が示された。
四つには、英国での調査との比較の視点を含んで、日本の20歳の時点での若者の存在のありようが、多角的な項目の横断的調査によって浮き彫りにされていくその中間的報告がなされた。
五つには、そうした社会的排除に一方で荷担する面を持ち、他方でそれに抗している高等継続教育における政策と実践の現局面が日英双方から浮き彫りになったといえる。社会階層的分断が進学にも押し寄せており、また業績評価やランキング文化が露骨化するといった大学の足下で起きている変動の中で、このシンポで掲げたような課題への研究と教育をどのように自ら把握し、創造していくのか。自らの主体性が問われる課題でもあった。
六つには、中等教育での労働の現局面を構造的に学ぶための社会的学習(市民教育課題)実践の現局面が報告された。子どもたちの学びは、必ずしも教師の意図する方向に進むとは限らない。子ども若者のリアリテイから出発しながら、総合的包括的な学習支援のありようが討議されたといえる。
これらを総合的に考えると、このシンポでは、社会的排除、貧困、新たな連帯づくりと持続発展可能な社会についての理論的、政策的動向と、他方での実践場面での具体的な事例の詳細な報告がなされたといえる。緊張感あふれ、また知的刺激に満ち、同時に理論的・実践的に深める課題を多く確認し、共有したシンポであった。
シンポでは、2日間にのべ80名ほどの方々の参加を得た。来日した、ミリアム・ズーカスさん(6日から10日まで、11日朝帰国)、ニック・エリソンさん(7日から12日まで、13日朝に帰国)もそれぞれに報告と討議において重要な貢献をしていただき、また多様な意見交流を行い、無事帰国いただいた。国内からも、道内外の(主催校の同僚以外に)方々に貴重な報告を頂いた。乾彰夫さんはじめ、戸室さん、山本さんに多謝である。謝金支払いでの仕事とはいえ、二人の横で、二日間詳しい通訳の労をとっていただいた、お二人の方Kさん、Wさんにも感謝である。
シンポ内容の詳しい成果は、別のときに書こう。また、いずれ出版される本にも反映されよう。僕自身は、ミリアムとニックとこの間詳しい意見の交流ができ、また人間的な信頼が増したことなど、裏方として準備を進めてきた身にとっては、(まことにハードな日程であり、個人的出費も多かったが)嬉しいことである。休日には、ミリアムとニックの二人の我が家への来訪や札幌雪祭りの見学もあった。ニックとは、芸術の森美術館の野外彫刻公園でのかんじきでの散策、近くのKG温泉行きも楽しんだ。日本食も連日、多様な味わいをしていただいた。また、社会政策と福祉施策に関しての意見交流を兼ねたSG大学への調査訪問では、M先生、T先生にはお世話になった。記して感謝したい。
上は、シンポでの鈴木教授とエリソン教授の報告場面。
上の写真は、芸術の森美術館での「かんじき」初体験のニック。
このシンポと並行して、3月の英国訪問先へのアポイントメント取りやいくつかの仕事のツメも行ってきた。これも早急に片付けることが必要だ。
今日からは、院入試の開始だった。9月に続いて2月の第二次修士試験が最初で、来週は、博士後期の試験だ。受験する諸君の健闘を祈りたい。
今日は、疲労もピークで、このあたりで日誌的記録は閉じておこう。
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