3月末の大雪青少年の家でのゼミ合宿を終えて、4月を迎えた。大雪の施設前では、森に通じる脇道で、エゾシカが出迎えてくれた。野生の警戒を保ちながら、三頭がこちらを見つめている姿はなかなかに野趣に富んだものであった。夕刻から夜半にかけては、まだ雪模様であり、積雪もまだまだ残る場所であった。施設の天然温泉に身を沈めて、体と心を温めるのだが、年度末の疲労はなかなか抜けきれるものではなかった。
翌日4月1日は、エプリルフール。多少体も、ジョークを求めたのか、あまり休んだことのない僕だが、久しぶりにいくつかの予定をキャンセルして、午前中も、そしていくらか午後も、体を休めてベッドの中にいた。こういうときに、無為であることは、少々罪悪感はあるが、体には悪くはない。
しかし2日も休めない。4月2日は、大学に出て通常の新年度開始だ。
4月に入ったキャンパス内は、高校生の顔つきを残した初々しい新入生の若者であふれている。その諸君をねらっての、サークルや体育系クラブの勧誘がかまびすしい。例年の風景だ。歩きながら眼にはいるのは、道路の端々というか、草地の隅っこに見え隠れする使命を終えた雪の残骸である。それらも、黒褐色に変じたまま徐々にその姿を小さくさせ、消え行こうとしている。吹きわたる大気はまだ寒さを残しているが、陽光は春のそれだ。
しかし、無惨な雪の残骸は別にして、眼にはいるべきこの地の花々は、もう少し時間が必要なのかまだその姿を現し切れていない。無論、ふきのとうの旬はとうに終わった。野生はまだとしてもと思うが、人工的な花壇のクロッカスもつぼみを開きかけくらいで、まだ本格的ではない。無論、桜前線は、東北を北上中で、道南には、まだ及んでいない。この地に及ぶのは、5月の連休明けくらいか?前にも書いたが、僕の体内時計は、この時期は一番季節とずれ込んで、なにやら気分が晴れない。繰り返し、毎年、こういう気分に襲われるのは、楽しくない。3月には、いくらか滞在した英国でも訪れた東京でも、下伊那でも春気分であったせいもあろう。4月になったというのに、この地は、まだこの無花の季節なのかというせんなき繰り言を言うのは、他者にとってはなはだ迷惑であるので、一人心につぶやくのみだ。鬱気分は孤独に、我が心に閉じこめれば良いのだ。
春は、人の異動の季節でもあり、行く人あれば来る人もいる。それに伴って、僕の心に、去来するいくつかの感慨もないではない。やがて我が身という思いや、ここにいつまでかという気持ちもある。
気分を変えようと、先週末は近場の温泉に出かけた。露天風呂からのぞく山々の樹相は、まだ残雪を残すが、それも遠からず終わろうという雰囲気だ。
やり終えるべきいくつかのライフワークというか、そういうものを始めよう。今年は、いくらか不義理をしながら、時間をつくっていきたいものだと思っている。
そして、仕事ではない旅をいくつかしよう。
今日は、独白に近い雑文を書いてしまった。それでは、次は気分を変えてのしゃんとしたものになるように。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。