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登録年月 07/2008

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2009年6 月 4日 (木)

コメント

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 現実と理想は相反する。あなたがもし,その場にいたら,どうだっただろう。子ども社会と言っても,大人のそれと同じである。世の中に犯罪がなくならないのは,人間もつ現在的なものがあるからではないか。もし,全ての人が善であるとすれば,犯罪は起きないと思う。もちろん,体罰は起こってはならないものだが,その背景に関しては,なんら語られることなく,その事象だけが捕らえられるのは,甚だ疑問である。

北の光

名無しのコメントへのささやかな応答です。多分おっしゃりたいことに応えようとすると、まずは全体の文章や「続き」をきちんと読んでいただければ、誤解は解けるかと思う。また、現実と理想は相反するのが現実の姿だとすれば、「現実」を真に批判し改革できるのは「理想」である。人間のもつ悪と善の双方を承知しながら、僕は人間的理性に信頼をおきたい。なぜならば、それが人類が長年にかけての暴力と非理性の失敗の上にようやく獲得してきた力だからだ。体罰肯定論者は、この人類的歴史に盲目である。

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