4月に出た、体罰事件に関する最高裁判決について、先週、新聞取材を受けた。記事は、6月1日に掲載された。(この文の末尾参照)
今回の取材側の意図は、「教育的指導としての体罰の是非」「体罰をめぐる流れ」について、国の教育再生会議の議論をきっかけに、体罰容認の流れが強まる状況があることを踏まえ、体罰について、否定する見解と「体罰やむなし」という考えの双方を対論させて、読者の理解を深めてもらうというごくまっとうなものだった。
体罰否定見解の方は僕だったが、「体罰やむなし」見解の相手は、当初未定であった。その後、義家弘介氏に決まったと連絡を受けた。
義家氏について、僕は直接の面識はない、ただし著書を読んだことでのいくらかの感想、彼を教育した恩師や北星余市高校の関係者からの直接的、間接的な話は多少は聞いている。今回の彼の位置づけは、多分以下の点であろう。
①「ヤンキー先生」として、自らの体験をもとに、「熱血教師」として北星余市高校の再生に関わったこと、余市高校を退職後、横浜市教育委員、自民党参議院議員になるなど知名度が高いこと、
②安倍内閣時の教育再生会議のメンバー(内閣官房教育再生会議担当室室長)であったこと、その発言を通じ、「体罰」に関する線引き(容認、非容認)を含んで強い教育的指導を盛り込んだ文科省の07年2月5日の通達作成に影響力を持っていたこと、
③教育現場や親の中、あるいは世論において、義家氏の見解に近い考えをもつ人が少なか
らず存在すること、彼の現場的感覚には、それなりの説得力があるように受け止められていることなどであろう。
今回の判決に彼の日頃の見解がどのように影響したかは分からない、おそらく直接にはないであろう。ただし、07年の文科省の通達が間接的に裁判に影響を与えていることは判決文からも明らかである。
(*なお、07年2月5日の文科省通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」は下記を参照されたい。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm
その要点は、以下である。体罰の範囲等についての1948年の法務庁通達を見直し、学校教育法で禁じられている体罰に関する考え方をまとめ、都道府県・政令市教育長らに通知した。通知では「体罰に当たるか否かは客観的に判断する」ことを前提に、「一定の限度内で懲戒のための有形力(目に見える物理的な力)の行使が許容される」という裁判例を入れたこと。文科省は「有形力の行使すべてが体罰ではなく、事案ごとに客観的・総合的に判断されるということを表したかった」と説明し、拡大解釈される恐れについては「身体に対する侵害や肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰に該当すると明記している」としたこと。)
そこで、僕が記者に、インタビューで話したことは以下のような要点であった。ただし、記事にそのすべてが載ったわけではない。
① 最高裁判決には、原審(地裁、高裁)判決を覆すような新たな事実関係での証拠検証はないこと。もっぱら法文論理での判断によって結論を導いていること。原審を覆すような、反証としての事実関係の追加が見られないことから、その論理性の是非が問われる。しかし、そこには、原審判決を覆すような格段の説得力を読み取ることができないこと。その意味で、教育政策追認と見なされる面をもつ判決である。また、裁判官に、一人の少数意見もないことは、奇異である。
② 事実関係認識と判断について
a、子どもが受けた精神的被害、恐怖心、ダメージについて、原審の判断とは異なり、最高裁判決は、そのことには、重きを置かず、病院で治療を受けるなどしたが回復したから問題がないと認識していることが、まず問題である。一番問題となるのはこの点であるが、何故そのことには触れず、次のような事実関係認識を示したのか。<被上告人は,同日午後10時ころ,自宅で大声で泣き始め,母親に対し,「眼鏡の先生から暴力をされた。」と訴えた。その後,被上告人には,夜中に泣き叫び,食欲が低下するなどの症状が現れ,通学にも支障を生ずるようになり,病院に通院して治療を受けるなどしたが,これらの症状はその後徐々に回復し,被上告人は,元気に学校生活を送り,家でも問題なく過ごすようになった。>
b、また、子どもの母親について、<その間,被上告人の母親は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,Aの本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた>と事実関係認識において母親について「モンスターペアレンツ」的認識を示していること。
c、かつ、もっぱら、A(教師)の「有形力行使」の範囲を問題として、Aの行為については、「やや穏当を欠く」としても「教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではな」く、学校教育法11条の体罰にあたらず、許容の範囲としたこと。
③この判決は、百歩譲って考えれば、「体罰」そのものを容認したわけではないこと。「有形力行使」の判断の基準についての個別的事例の判断を示したということであって、一般的に「体罰」を認めた訳ではないことは留意されるべきである。しかし、「有形力行使」に関する、細かな判断基準の是非に論理を移行させれば、やがて、社会的風潮や「空気」次第では、その歯止めがなくなる道を開いたことは、危惧すべき重大な判示というべきである。
④裁判所の判事(裁判官)も人の子であり、社会や世論の影響を受ける。司法の判断には、法的ロジック構築の前提として、対象とすべき事柄に関しての、洞察力あるいは生きた事実に関する理解力が問題となる。しかしながら、この間の司法の傾向としては、地裁、高裁、最高裁と進むにつれて、現実の詳細についての生きた知見が問われるよりは、もっぱら論理構築(とくに国家統治の観点から)と法技術上のレトリックに重きが置かれ、現実の動態についての学習や聴く力をもつことについて消極的であるように見える。教育事象は、個人的、即自的判断が先行しやすく、裁判官もその限界から逃れられない。従って、大事なことは、体罰に関して、教育現場でどのような解決に向けての努力がなされているか、あるいは教師がどのようなことで困っているか、子どもたちの身体的精神的損傷についてどのような研究や判断が存在するかなどについて、虚心に耳を傾けることが不可欠である。しかし、今回の判決には、文科省などの教育的指導に関する通達などの理解とそれからの影響があっても、上記のような事柄についての深い知見が伺えない。もしも、何らかの新たな見解があるとすれば、書くべきであり、説明不足である。その意味で、残念である。
⑤世界的な体罰に関する、法的あるいは司法的状況は、その否定に向かっている。欧州では、厳格にそのことが伺える。体罰に関しては例外なく禁止の方向にある。とくにドイツではその変化が大きい。比較的許容的と見られてきた英米でも、この傾向は変わらない。日本の現在の動きは、こうした世界的な子どもの、人権認識に逆行するものである。例えば、毎日新聞5月23日の記事では、結城忠上越大教授の次の見解があるがその通りと思う。
<海外の体罰問題に詳しい元国立教育政策研究所総括研究官の結城忠・上越教育大教授(学校法制)によると、先進国では、学校での体罰を無条件で禁止する方向にある。 ヨーロッパ大陸では18~19世紀、フランスやオランダで教育現場での体罰が禁止され、「教師には体罰による懲戒が認められている」との慣習論が根強かったドイツでも、刑法上は暴行罪になるとの主張から、60~70年代に多数の教師が訴追され、多くの州が体罰を禁止した。 一方、英米は子供には悪性が宿るという「子供原罪論」から、体罰はそれを正すものとして容認され、教師の体罰は「親から委託されたもの」と受け止められてきた。 しかし、欧州人権裁判所が82年、英国の体罰状況は欧州人権条約に違反と判決。英国政府は4年後に公立校での体罰禁止を打ち出した。米国も70年代は連邦最高裁が体罰を容認する判決を出していたが、80年代から多くの州が禁止へと転換し、現在は全50州のうち、「親代わり」論などが根強い南部を中心とした州以外の30州が禁止している。 容認時代の英米でも、何が体罰に当たるのかは判例として蓄積され詳細な基準があり、体罰を行う場合も校長の許可が必要だったり、決められた部屋で手の甲や尻をたたくなど、教師が感情的にならないような手続きが定められていることが多い。日本は形式的には明治期の教育令(1879年)から体罰禁止を打ち出したが、事実上、空文化した。現在の学校教育法も体罰を禁じているが、結城教授は「日本は建前で禁止しながら、戦後も条件付き容認だった。最高裁判決もその追認に過ぎず、『指導なら体罰でない』となると、歯止めがかからなくなる恐れがある。体罰に頼らず学校の規律を維持する方法が必要で、例えばドイツでは義務教育期間での退学もある。権利保障と同時に、子供の年齢に合わせてもっと責任を問うような制度にすべきだ」と話している。>
⑥体罰は教師の教育力量の不足あるいは子どもとの信頼性構築に関する人間的理解の未熟性をあらわすものにすぎず、「有形力行使」を「教育的指導」にすりかえるとすれば、力に頼る「調教」に教育を堕落させる危険性をもつ。とりわけ、教師の教育評価が横行し、教師が分断され、孤立化してくると、指導力不足教師、ダメ教師の烙印を押されないようにと教師が焦らされる。また、その意味で、教師の教室管理等が重要な要件になってくる。その中で、強い「教育的指導」(という名の体罰)が許容されてくると、学校が「沈静化」されても、子どもの教育不信、心の傷は深まり、学校は非教育的時空間に堕して行く。今回のAという教師は、臨時教員の人であり、その地位の不安定性ゆえに、強い指導を常に意識していたかも知れず、またたとえ子どもが理不尽にみえる悪ふざけをしたとしても感情的に「立腹」して、小学生の子どもの胸ぐらをつかんで壁に押しつけるなどは、とうてい許されるものではない。
⑦しかし、教師も完全な人間ではない。未熟さや、感情的な要素は誰にもある。それを、専門職的力量を高め、自制した判断と、子ども理解を深めるには、教師集団全体の体罰に関しての理解、相互の援助と協力が不可欠である。教師はそのような厳しい職責とともに、未熟性を補い合い、孤立した存在にならないような相互協力と連帯が重要であり、子どもたちとの深い信頼関係を築く全校的な取り組みがまず重要である。そのような努力をしている実践は、日本に少なからず存在する。そういう実践こそ、教育委員会、文科省は励まし、援助すべきである。
なお、全体を通じて、僕は、堀尾輝久氏(東大名誉教授、元日本教育学会、日本教育法学会会長、民主教育研究所所長)の意見に賛同する。
<児童の胸ぐらをつかむ行為は肉体的苦痛や強い恐怖心を与えるもので、指導ではなく体罰にあたるのではないか。最高裁判所は下級審の判断を覆すだけの新しい根拠を示しておらず、子どもの権利についても言及せず、説明不足の印象を受ける。判決で教育的裁量の範囲が過度に広く容認される方向に拍車がかからないように望む。教師はまず第一に子どもとの信頼関係の構築を心がけるべきで、「体罰基準」の解釈にとらわれえ過ぎるべきではない。(2009年4月28日(火)毎日新聞夕刊)>
以上が、おおよそインタビュー時に話したことであった。記事は以下である。
体罰ということの意味合いは、それが受け手と行使する相手との関係を抜きには、考えられないことだ。そして、基本的には、それは非教育的な憎しみや不信を招くだけだと思う。
いままでの、学生からの多くのヒアリングの場合、運動系などの部活等で、そのこと(強い教育的指導という形の体罰)により立ち直れたとか、真剣に考えられたとかの述懐に出会うことが時々ある。本当の意味でそうなのかは、疑問が残るが、現象的にはそういう事例は多分にあるであろう。だが、そういうケースの場合、受けた人が同じような場面に立ったときに、やはり同じように有形力を行使する場合が少なくないようだ。しかし、その場合に、体罰を受けた人間に、同じ効果をもたらすとは限らない。ひどく精神的に傷つき、人間不信に陥る場合や、何らかの後遺症が残る場合が多い。人間の理性を信じなくて、体罰に至るには、それなりの背景や、何らかの理由があるという言い訳は通じない。かつての軍隊では問答無用の鉄拳制裁が上級兵から加えられたが、その理由は一切説明されなかった。あるのは、地位の上下関係だけだ。「体罰」に伴う犯罪性の一つは、行使する人間と受ける人間の関係の非対称性、上下関係性である。体罰は、決して下の立場からは行使されない。
僕自身が体罰を受けたいやな思い出は、記憶に鮮やかなものを思い出せば、小学生の時と中学生の時の二回であった。(もっと、他にもあったようにも思うが不鮮明であまりあとのことは思い出せない。さすがに、高校生のときは、体罰という形の有形力行使は、教師もしなかった)
僕の体験が不快な記憶をともなうのは、それぞれが、理不尽な制裁を、説明もなく教師からいきなり受けたことによる。それだから、記憶に鮮やかな訳だ。小学生5年の時は、放課後教室で騒いでいた集団の近くに、帰宅の準備をしていた僕はたまたまいただけだったが、当時の田舎のF小学校で、教頭先生が入ってきて、有無を言わさず、教室の中にいる男子は、黒板の前にそろって立てと命令されて、一人一人が、平手打ちを受けた。中には鼻血を出した子もいたし、泣く子もいた。よく反省して静かにせよと先生は低い声で怒鳴って出て行った。僕は、なぜ平手打ちをされなければならないのか理由が分からず、恐怖心と理不尽さと、惨めさで一杯であった。連帯責任とでも言いたかったのだろうか?静かにさせたいのならば、別の方法もあったであろうし、そこにいた全員に、理由も言わずに、制裁を加えるというのも、非教育的なことであった。僕は、その後その教頭先生には不信感がつのり、なるべく近づかないようにしたし、言うことも心に響かなかった。
二回目の経験は、中学1年生の時だ。これは、転校して都会の学校に移ったときだ。これまた、巻き添えを喰った形の体罰であった。当時のM中学校では、廊下に半分線が引いてあり、上履きには学年毎に違う色の印がついていた。廊下を走らないというのが、ルールであった。授業が始まる直前で、数人が教室に歩いて向かう僕らの後を抜いて走っていくところだった。そこへ、偶然、職員室から出てきた体育の教師がそれを見つけ、それこそ走った人間も走っていない人間も、そこに立てと命令して、いきなり、その教師は、皮のスリッパを足から外して、一人一人に一回ずつ思い切り頭をたたいた。そして、何も言わずに彼の担当する教室に向かっていった。体罰を受けた側からすると、これまた、じんじんするような頭の痛さもさることながら、(中学生なので、誰も泣きはしないし、醒めて教師をみつめるだけだったが)、その理由もいわずに連帯責任とばかりに、有形力を行使するのは、どうみても子ども心にも、理屈に合わないものであった。こういう教師は、無能な教師としか思えないものだった。この教師には、授業も受けたこともなかったし、どんな人なのかも知らなかった。多分、その教師も、生徒たちを知らなかったであろう。教師だから何をしても良いのか、と思ったのも当然であった。卒業式の日に、当時少しやんちゃな連中が(いつも体罰を受けていた連中)多分したのだろう。「暴力」教師の車に釘で傷をつけた事件があった。犯人は分からず、話題になっていたが、そのことで処分はなかったかと思う。力の制圧は、力で反抗されるだけだと僕は思うしかなかったが、それは気持ちの良い思い出ではなかった。
現実と理想は相反する。あなたがもし,その場にいたら,どうだっただろう。子ども社会と言っても,大人のそれと同じである。世の中に犯罪がなくならないのは,人間もつ現在的なものがあるからではないか。もし,全ての人が善であるとすれば,犯罪は起きないと思う。もちろん,体罰は起こってはならないものだが,その背景に関しては,なんら語られることなく,その事象だけが捕らえられるのは,甚だ疑問である。
投稿情報: | 2009年6 月 4日 (木) 19:07
名無しのコメントへのささやかな応答です。多分おっしゃりたいことに応えようとすると、まずは全体の文章や「続き」をきちんと読んでいただければ、誤解は解けるかと思う。また、現実と理想は相反するのが現実の姿だとすれば、「現実」を真に批判し改革できるのは「理想」である。人間のもつ悪と善の双方を承知しながら、僕は人間的理性に信頼をおきたい。なぜならば、それが人類が長年にかけての暴力と非理性の失敗の上にようやく獲得してきた力だからだ。体罰肯定論者は、この人類的歴史に盲目である。
投稿情報: 北の光 | 2009年6 月29日 (月) 07:58