こどけんブログに、Mさんが「エリック・クラプトン&スティーブ・ウィンウッド」のDVD,CDに触れている。エリック・クラプトンは僕も好きだ。あのやや控えめな渋い声と、彼の演奏技術とがないまざって、独特の雰囲気を醸し出している。
ただし、音楽が流れるシーンを、僕は時に好み、時に厭う。歌詞に詩がないもの、いかなるメッセージもない、ただの流行歌曲というものは、ジャンルを問わず僕は好まない。ただし、心をかき乱すだけのメッセージ、単なる政治的主張に過ぎないメッセージソングは、聞いて疲れ、むなしくなるだけだ。また、集中しているときには、音楽はいらない。ただし、何かアイデアが煮詰まったとき、疲れ果てたときには、無性にその場にあった音楽がほしくなる。誰もがそうであろうか?
先日、偶然、日本のフォーク系のシンガーの中にどこか見覚えのある雰囲気と顔があった。その名は、多少聞いたことがあったが、あまり意識していなかったというべきか。知る人は知り、知らない人は知らないシンガーという。また歌詞は同時に詩集になってもいることを僕は最近知った。彼の名は、友部正人。http://www5a.biglobe.ne.jp/~hanao/tm-index.htm
友部という名前で分からなかったが、僕の高校時代に3年次に隣のクラスにいた小野正人君だ。旧い写真アルバムを開いてみると、「俺は限りない可能性の中に生きる」と宣言している。文字通り、彼はその道を歩き、ボブ・デイランと共通するような時代の声と風を届けてきたようだ。多くのシンガーに影響を与え、多くの歌を生み出し、詩を書き続けてきた。日米を行き来し、神奈川に本拠地を持ち、各地を演奏しているようだ。さっそく僕は、まずは『友部正人詩集』(現代詩文庫182、思潮社刊行)を注文した。
ほろ苦い気持ちになるのは、僕は、同じ写真アルバムに「17才、反逆」と生硬で未熟な気持ちを書き付けていることだ。それを見つけると、あの頃に抱いていた僕の青臭く、思い詰めたような体制への反逆心がフラッシュバックしてくる。時代・社会(ベトナム戦争、大学紛争、70年安保)がそうさせたのか、家族(とくに父親との葛藤)の暗さがそうさせたのか、進路(何をするのか、何ができるのか)への悩みがそうさせたのか。複雑な感慨が、一気に時代を飛び越えてよみがえってくる。
そしてふと思う。あの頃に聞いた音楽は何だったのだろうかと。
「音楽、好きです」とか、「コンサート行きます」って話、あまりしませんでしたね。
実は、中学生の頃、ボブ・ディラン、PPM
が好きでした。
そこから、ビートルズに行き、ストーンズ、ブリティッシュ・ロック、ブルース、アメリカン・ロックと移り、いろいろ聴きました。
友部正人、岡林信康、六文銭など、日本の音楽もありましたが、井上陽水、RCサクセションが好きでした。
でもなぜか、中津川ジャンボリーはLPレコードを持っていたなぁ。
そんな話も出来る時があれば面白いですね。
自分の思い出のいくつかは、あの頃に止まったままなんです。
投稿情報: mamwko | 2009年7 月27日 (月) 17:31