先週金曜日は、7月最後の教授会。多くの議題と報告があり、さすがに疲れた。
終了後は、職場の組合分班の新入組合員の歓迎会。今年は、3月末に退職や転出で減員があったが、4月以降に新規加盟・転入などで減員数を3倍強上回る 名の加盟があった。久しぶりの嬉しいニュースだ。とくに、非正規の方の新規加盟は、現在の仕事の実情などをお聞きする機会を設け、分班の執行委員が丁寧に懇談や聞き取りを続けられた中での成果だ。前に書いたように、大学の経営効率化の名の下に、非人間的な人件費圧縮が、まかりとおってきた。これを実際に是正する効果ある運動が求められている。あたりまえのことが通る職場をつくることが肝心だ。僕も及ばずながら全学の組合執行委員選挙が終わり、信任され次期執行部三役に仲間入りすることになった。一次会の散会のあと、あたらしく加盟された方々とともに、二次会に出かけた。この日は、楽しい語らいと酔いだった。
土曜日は地味に一日を過ごした。仕事の合間に、建築デザインについての小さなエッセイ本を読んだ。富田玲子『小さな建築』(みすず書房、2007)だ。「シロタ家の20世紀」というドキュメンタリー映画制作に関わって、藤田晴子氏の遺産の有効な使い道と考え藤原監督を援助された方だ。その時の名を手がかりに検索して入手した本だ。今帰仁村公民館、名護市庁舎、多治見中学校など、僕も訪れたところもある学校や公民館・公共施設建築を手がけておられ、「象設計集団」の創設メンバーのお一人だ。
「駅や空港だけでなく、巨大な商業ビルでも、美術館などの公共建築でも、私たちは疲れ果て、空間感覚を失います。そういう建物は、ほとんど嵌め殺し窓だから、風も音も入らず、暑いのか、寒いのか、それすら分からない。建築家ではない私の友人が「このごろの建築はどうして窓が開かないの?気持ちが悪くなってしまうわね。せっかくいい季節なのに」と尋ねます。この感覚が正しいと思います。どんどん不便になる都市、どんどん五感が働かなくなる都市。人と人との関係がどんどん希薄になる都市。・・・」
「ここはどこ、今はいつ、これは何、隣はだれ、私はだれ・・・と、いつも感じていられるような建築と場所であってほしい。そのような感覚をもてるのが「小さな建築」です。」 (同書8頁)
住む家の問題は、引っ越しの多い僕にとっても切実な問題なのだが、建築家の視点から考える面は示唆的な面も多い。名古屋のコーポラテイブハウスのマンションは、今もローンを払い続けているが、さてやがて直面する老いの時期はどこに拠点を置くか悩ましいところだ。
日曜は、午後思い切って雨空の下、札幌近郊の岩見沢バラ園に車を走らせた。
バラの種類は多い。英国、フランス、ドイツ、日本などの多様な品種が色とりどりの趣を出している。
雨粒を含んだ花弁の間をトンボが動き、モンシロチョウが舞っている。
ハマナスもバラ科なのだろうか。一群の植生があるが、いささか勢いはなくなっているようだ。
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