2009年の政治の夏は、その結果をいかに示すことになるのか。衆議院解散は7月21日、投票日は8月30日になるという。
近くの道路の花壇には夏の花が咲き誇っている。
土曜日は、職場の組合の定期大会だった。前に書いたように、国立大学法人化の欠陥の一つは、推進側が法人化のメリットとうたった経営的裁量の独立性が、文科省、総務省、財務省の官僚的財政的縛りの中で制約され、代わりに「経営体」の効率性の名のもとに、教職員の人間的な労働の尊厳が踏みにじられ、非正規労働者の人権軽視と安上がりな短期契約労働がこの間著しく増大し、かつまかり通ろうとしていることだ。3年(ないし5年)での雇い止めについて、それ以上の雇用についての期待感を持たせないよう執行していくといった非人間的な言辞が交渉の場で当局側から堂々と言われるなどというのは、どこか人間的センスにおいて狂っている。理事の中には、本来はこういうことに良心を発揮すべき人がいるべきなのだが、沈黙をまもったきりだ。そして、この間に人減らしや非常勤講師の大幅な削減、非正規労働の導入などで、不当にもギリギリしぼって生み出した目的積立金について、低所得家庭出身の学生の学費の無償化や博士後期課程の院生の授業料免除など、現状でも可能な教育の機会均等の改善策の提案や、非正規労働を減らし、正規労働者への転換、教職員が教育・研究にゆとりをもって専念できるような人間的環境を保持することが必要だといった提案として大胆な決断をすべきなのに、トップマネジメントの人々の頭から出てくる政策の多くは、競争的環境の中でのエゴイステイックな生き残りと、選択と集中による配分原理の強調だけだ。中には○○億円以上もかけて鳴り物入りで設定したプロジェクトが、文科省からすらも酷評を受けての失敗に終わったのにまともな総括もされていない。また推進役の理事の責任も問われていない。僕は、できるなら組合役員などというのは、ずっと避けて通りたい。ということで、これまでは、他の社会運動・市民運動をしていることもあり、また研究教育や他の職務などを考えると、ごめんなさいといって、ずっと逃げ回っていた後衛的人間だ。しかし、今回は、大学において、これ以上非人間的なことが通って良いのか、それを座視していて良いのかという内心の声もあって、柄にもなく役員に立候補している。幸い、候補者には、僕の気持ちと相通じる頼もしい方々がそろった。来週投票の洗礼を受けるが、またまた多忙な日々が待っていることになりそうだ。
代議員の参加者数が例年以上に多く、なかなかに心を打たれた発言が続いた土曜日の定期大会を終えて、組合員の懇親会がもたれた。報われないことも時には続くが、不正義が横暴なままに通ることは、長くはないはずだ。そう思って活動していけば、やがては、人間的に当たり前のことを求める声は、大きくなり、運動はすこしずつ味方をえていくはずだ。そういう希望を捨てずに生きたいものだ。
日曜、月曜の連休は、関係している2つの書物の編集会議。暑い東京への出張だ。
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