一昨日は、授業の合間に、韓国高麗大学校師範大学(日本的表記では、高麗大学教育学部)のSun-Bo Kang(姜善甫)学部長・大学院長はじめ6名の方が、部局を訪問された。当方側も、部局長はじめ中期計画委員会メンバーが出迎えての交流。僕は、高麗大学校には、数年前に大学平生教育学院調査で、ソウル地区のいくつかの大学調査の時に訪れた大学だ。高麗大学校は、ソウル大学校、延世大学校、梨花女子大学校と並び称される韓国のエリート大学の一つだ。今後の展開は、双方の協議によることになるのだろう。
4-5講時の授業を終えて、その日は非常勤出講の講義を先週に終えていたので少し時間が自由になった。帰宅前に、生協書籍部に注文していた一冊の本『われら青春の時』(佐藤貴美子著)を入手したので、手にとって読み始めた。内容に引き込まれて、途中で止まらなくなり、一気に読んでしまった。物語の舞台は、名古屋市南部の農村の面影を残す工場地帯、時代は、1952年まで遡る。描かれている地域は、僕が中学から高校にかけて過ごした場所だ。具体的な地名や、登場人物の名古屋弁の話しぶり、さらには実名で登場する人の中には、知っている人もいて、自らの記憶と重なり合いながら、懐かしい気分に度々駆られ、また不覚にも涙が出てしまうような場面も多い。あの地域のセツルメント活動、地域医療診療所づくり、M化学の排水汚染とその原因の調査活動、伊勢湾台風後の保育、医療、生活での復旧活動などは、繰り返し聞かされたり、読んだり、知人の実体験を通じて見聞きした事柄だ。
話の筋は、あまり書かない方が良いだろう。医学生の主人公の和子がやがて若き医師として、地域医療機関をつくりだし、その所長となっていくドラマだ。主人公の和子ののびやかさ、真摯な姿、まっすぐに前を向いて生きる姿が魅力的だ。和子とその周りの友人たちや、地域に生きる人々の青春と疾風怒濤の生き方が鮮やかだ。地域に根を張って民主主義を広げていく動きと、それをつぶそうとする力とがせめぎあいながらある意味で正しいことが最後は通っていくというストーリーは、気持ちを高いところで止揚させてくれる。地域での子どもや老人や女性や働く人たち、在日の人たちの病気を治し、衛生環境を改善し、命を救っていく真の努力が報われていく、そこにたどりつくには艱難辛苦があるのだが、こんなことができるのならそういう医療の現場に飛び込みたいという若者の気持ちを鼓舞してくれる。
そうだ、へこたれてはいけないのだ。未熟でも良い、心に誓ったことを実現していく和子や友人たちのその姿に、人は惹かれ、初心を思い出す。この夏に、名古屋に行く機会がある。舞台となった地域を久しぶりに歩いてみよう。
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