9月28日 60周年事業も終わり、月曜日は、整理仕事が日中続いた。夕刻、組合執行委員会。たくさんの議題があったが、討議途中で退出して、最終便近いフライトで、東京へ移動。日青協・日本青年館主催の若者の地域再生活動支援事業関連の委員会が翌日午前にあることからの出張だ。オホーツク遠軽町・生田原からYさん、S市勤労青少年ホームのANさんも一緒なので、浜松町から3人でタクシーで急いだ。それでも、宿舎にたどりついたのは11時半過ぎだった。若い人たちは、それからも交流の模様だったが、僕はこのところの疲れで失礼した。シャワーを浴び、メールの返信、小さな原稿仕事をしてから眠りについた。この日は、夕食らしきものは空港で求めたおにぎり2個とお茶だけであった。「ヘビメタ」(ボ!?)な身には、アルコールも抜きで、こういうささやかな日があってよい。
9月29日(火)
午前中に「青年活動推進コーデイネータ養成事業・中央フォーラム」という長い名前の案件での第一回運営協議会がもたれた。昨年度の事業総括論議と、今年度の中間経緯報告、及び来年3月に予定されている「中央フォーラム」の討議を行った訳である。詳しくは書かないが、社会の大きな転換期の中での若者支援の包括的な取り組みの一つであることは間違いない。若者支援を、若者自身の手で行っていくことができるように、運営委員が多様なアイデアを出し、かつ自らも実践していく中で方向性を明らかにしていくスタイルの会議である。参加者から多くの意見が出て、ある程度の方向性が見えた段階で会議は終わった。
この日は、午後の比較的早い時間に東京を離れ、札幌に夕刻帰着した。このところ気になっているのは、いくつかの原稿仕事の遅れ(いつもいつもそうだが)とともに次のことだ。
大学院入試結果が出たので、その結果について、明日には、一方には朗報を、他方には、残念な結果を伝えなければならないことがある。前者は問題はない。しかし、後者は気が重い仕事だ。指導や支援を重ねても、届かない壁があるときもある。帰路の、機上から雲海の下の景観を眺めながら、やや憂鬱な心模様が続いた。
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