先週、30日は、午後から科学者会議の市民公開シンポジウム「北海道民の「働かされ方」」に出る。
冒頭の基調報告は、この間度々労働調査や、貧困調査で名前を拝見する川村雅則さん(北海学園大)による「過労と貧困-フツーの職場のしんどい日常」という報告だった。聞けば、過労と貧困の現場に深く入っていく調査をしている川村さん自身も過労の淵に立っておられるようだ。話の強調点は、新聞やテレビで絵になってあらわれて来る事件や事例だけでなく、ごく普通の職場でも、今や、事態は深刻化して目に見えてきているというものだった。また、派遣や非正規の人たちの憤りや怨嗟を、正規の労働者組合は、どう受け止めているのかを問われた。過労や貧困の根っこは、使用者問題であって、それは労使問題を基本に解決すべきで、労-労問題にしてはだめだといった正論を言うだけは、当事者の共感を得ないし、支持も得ない。もっと、現場に降りて、そのしんどさを受け止めて、自らの内部改革をしないとだめだという警鐘は貴重な指摘だった。
続いて、「派遣村から9ヶ月」(小室正範さん、道労連事務局長)、「医師・看護師の労働実態と意識」(佐藤誠一さん・働くひとびとのいのちと健康をまもる北海道センター)、「H大の非正規雇用は何が問題か」(持田誠さん・全大教北海道)の3本の報告があった。
確かに、僕も実感するところだが、正規労働者も非正規労働者も長時間労働もしくは周密労働によって、皆ヘトヘトに疲れている。街には、非正規や派遣労働の蔓延で、ワーキングプア、もしくは失業の恒常的状態になっている人があふれている。年間3万人以上の記録を更新し続ける自殺件数、弱者や家族に向かう理由なき殺人や暴力、振り込め詐欺や結婚詐欺事件、薬物やアルコール依存症、家族が壊れる中での子どもの貧困の顕在化等々。毎日のニュース記事は、ネタに事欠かない。
これらの事件や犯罪は、この国の壊れたシステムと社会的排除発生装置がつながっていることの多数の証左といえる。
4人の報告に示唆されて、自らの見聞(親戚、知人、教え子、友人、自らの家族)を重ねて、ごく普通の日常の職場情景-例えば、介護福祉、医療・看護、教育現場、タクシー、製造加工、農業の現場-を思い浮かべれば、そこには、生きにくさ、しんどさがてんこ盛りになって、まさに過密に埋め込まれていることが分かる。
そして、ごく普通の日常のしんどさは、その背景にある資本の働かせ方の問題と深くリンクしている。しかし、多くの人はそれに気づかされていないし、資本は気づかせようとはしない。代わりに押しつけられるのは、自己責任と競争的なサバイバルである。
自己責任の過剰な責め立ては、子どもも大人も、その本来の輝きを奪い、自信のない、自己肯定感に乏しい、疲労にまみれて生気のない「負け組」の表情に変えてしまう。川村さん自身も自らの大学の教え子にワーキングプアを見いだし、小室さんも道内のエリート学校を出ても約束された王道はなく、色々な事情や偶然から、いったん正規ルートをはずすと「派遣村」や支援センターの援助を求める側に立たされていることをリアルに報告され、佐藤さんは、医療や看護の世界に蔓延している長時間労働と人不足の実態を詳細にデータをあげて示された上で、このまま医療の質と志気が低下させられ、さらに受診もできない人々の増大が続けば、日本人・道民のいのちのゆくえはどうなっていくのか、命がこのように軽んじられて良いのかという警告でもあった。持田さんの報告は、H大学の非正規職員のアンケート調査に基づく念密なデータ解析内容であり、自らの足下を照らされた明快な内容であった。ここでは詳しくは書かないが、3年雇用の有期雇用に固執する大学当局の論理には一切の正統性がないことを明確に示すものでった。
シンポの最後には、午前の自由研究発表での若手研究者の奨励賞の発表があった。獣医学研究科のKさんが受賞された。おめでとう。
この日の夕刻から夜は、研究グループの博論研究会であった。D3のIさんの報告である。ニューカマーの非集住地域であるS市を事例として中国帰国者三世である中高校生の進学・学習支援を制度改革・実際の学習支援の双方から行っているNPO活動に身を置いて考え実践してきた事柄を、研究対象にされている。当事者の聞き取りを質的研究として整理していく方法である。詳しい内容はここでは書かない。帰宅は、11時過ぎになった。
翌日の土曜は、社会教育学会のプロジェクト研究を年報にするための編集会議である。東京への日帰り出張となる。その内容は、次号に。
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