この間、「子どもの権利条例市民会議」(こどけん)関連で、地域の多様な子どもの権利事象に関わることになってきた。札幌市での現在進行形の子どもの権利条例の普及と実質化の運動もそうだが、波及して、北広島市、函館市、石狩市などの動きも活発化している。札幌市に先行して、奈井江町、芽室町の事例があるので、北海道は一つの先進地でもあろう。中でも、北広島市は、この間、こどけんともつながりのある市民の方々の熱心な運動があり、条例案が議会にかけられようとしている。各地で、「子どもの最善の利益」のために少しでも良いものをつくろうという機運が盛り上がってきているのは、喜ばしいことである。
また、こうした動きは、子育てネットワーク、子どもや女性の人権と固有の役割と権利の拡充、あらゆる暴力に反対し平和の発展を願う運動、住民や子どもの声を聞き、教師の人権を守る教育行政を求める要求などとも連動して多様な人的ネットワークのつながりと広がりが見られてきた。僕もずいぶんと多くの市民の方とお会いする機会が増えた。
しかし、他方では、裁判に持ち込まれている重たい事件も、活動の範囲の境界線上にいくつか進行している。それらの裁判には、こどけん会員が直接関わっている場合もあれば、もしくは会としての後方支援の運動である。
僕自身も、残念ながら、多忙の故に、直接個々の事件に深く関わることはできていないのだが、後方支援的には、裁判支援の会に入会したり、当事者のお話を聞いたり、ニュースレターの講読などを行ってきた。裁判所に足を運ぶことが、講義等の関係で多くがぶつかってできていないのが残念である。この間の関わりでは、札幌有朋高校(定時制高校)移転訴訟、滝川いじめ自殺事件裁判、とわの森三愛高校寮生死亡事件裁判などについて多くの情報を得てきた。また、裁判に至らないまでも、いじめや行政指導の不当な干渉事件などでは、問題解決のための多様な運動が起こされてきているが、それらの情報や当事者の声を聞くことが少なからず生じてきた。(札幌市、千歳市、道内高校などの事例)
一般に、運動は、直接的な解決を求めて、智恵を絞りながら、可能な場合は、智恵と力と財政の及ぶ限り、多様な形態をとることになる。
教育裁判は、多くある運動形態のなかでの、その一つの手段である。しかし、日本の場合、裁判を起こすということには多大な決心がいる。例えば、日本の司法それ自身の限界も少なからずあること、多額な訴訟費用がかかること、精神的にも時間的にも多大な犠牲を原告側に強いることなど、場合によっては不当な批判やプライバシー侵害なども生じるなど、当事者は重い負担を覚悟しなければならない。しかし、訴訟をあえて起こす側には、やむにやまれぬ思いがある。このままでは引き下がれない。何としても、事態を解決したいという強い意思である。こうした裁判を通して、人権保障と法との関わり、法的正義の水準など、教育法的にも興味深い多くの研究の素材が提起されることになる。
ここでは、とわの森三愛高校寮生死亡事件裁判に少し言及しておこう。持病を持っておられたご子息が厳寒期に、風邪気味なこともあって、授業早退きで寮に戻ったが、暖房も看護の体制もなく、死亡に至った事件である。学校法人として、学校の担任、舎監、養護教諭の三者の子どもの命を預かっていることへの責任と安全配慮義務違反を問うている訴訟である。裁判の内容と経緯についての詳しい情報は、下記のURLを参照いただきたい。
http://towanomori-jiko.seesaa.net/
両親のSさんが学校の対応の不誠実さに対して訴訟を起こされたのは2007年9月であった。当時の毎日新聞記事は以下である。
07.9 mainichi report.docをダウンロード
父親のSさんからは、こどけん例会で直接お話しを伺ったり、手紙や資料を幾度も送付いただいた。それらからは、本当に、お子さんを思う気持ちが強く伝わってくる。また、学校のありかたや教育者のありかたの誠実さを求めるお気持ちが分かる。なお、この訴訟弁護団の意見書作成には、大学院時代の後輩友人の大阪府大のMさんが関わっていると伺い、メールでもそのことをお聞きして、意見のやりとりを行った。
地裁の結審は、来週月曜である。早い裁判指揮である。いかなる判決がなされるのか予断は許されない。
11月30日(月) 10時45分~ 札幌地裁
「結審」
今年の6月にお話しを伺った後でSさんにお送りした僕の感想は追記に転記しておいた。(氏名は、イニシャルに変えてある。)
基本的な考えは、今も変わっていないつもりである。
S様
○○大学のAです。
先日6月15日の「子どもの権利条例市民会議(こどけん)」の例会にご出席いただき、またとてもつらい思いをされてきた、「とわの森三愛高校」の寮でのご子息の死亡事件について、貴重なお話しをして下さり、ありがとうございました。不覚にも、私はその事実を、少し前にSSさんからお聞きするまでは、承知していませんでした。また、詳しくは、お話しを伺い、またその後資料をお送り下さるまでは、十分には認識していませんでした。お送り下さった資料からは、この事件については、毎日新聞、しんぶん赤旗、以外は、報道されておらず、不思議な感じがしました。地元の事件については、全国紙の朝日新聞や読売新聞が報道しない場合が、ままあるとはいえ、とくに地元で最大シェアを持つ北海道新聞が報道していないのは奇異な感じがしました。
なお、お送り下さった資料、①弁護側第七準備書面(下部表示3,4頁が欠落していました)②KH医師の意見書、③T君と同室のT君はじめとする生徒の証言記録、④舎監、養護教諭、担任教諭、それぞれの陳述書、⑤新聞記事、を通覧し、一読、二読してみますと、これは、なかなかに、裁判上の審議が複雑な事件であるなと感じるものがありました。
端的に言えば、医師の診断に基づく意見書や級友等の証言と学校側(養護教諭、舎監、担任教諭)の陳述とは、根本的に食い違う事実認定がされており、この事実認定の当否が裁判上の鍵を握るものと思われます。被告、原告双方の水掛け論にならないためには、物証や、証言が大事になるかと思われます。他方、この問題は、学校という機関が具備しなければならない、教育的質とそれをささえる環境条件整備の教育法的要件が問われる裁判かと思われます。
私がこうした問題を考える上で、重要と感じたのは次の点です。
一つには、学校を設置した場合の、適切な教育環境整備義務です。まして、寮を付置する場合には、生徒の教育面だけでなく、医療や食事面、福祉的環境整備が付加されます。私立学校だからと言って、その基準性が低くあって良いということにはなりません。一人一人の前途有為な若者を預かる責任というものについて、学校が有する責任というものは重いものがあります。この点では、学校設置者である学校法人酪農学園とその設置認可を与えた道知事(所轄庁の責任主体たる都道府県、私立学校法第4条第二号及び第四号、また第9条の私立学校審議会にて審議すべき事柄、学校教育法施行規則第19条、認可申請・届出の手続きその他の細則)に、責任があります。民事訴訟上は、名宛人は、学校法人になるでしょうけれども、道知事にも責任の一端があるというべきと思います。この点で、
第一は、養護教諭配置の法的基準性(公立学校は、高等学校設置基準第9条に養護教諭等の規定、第12条に施設及び設備の一般的基準があり、さらに公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律、法律第188号、第10条(養護教諭等の数)にもとづく)について、私学が準拠しなくて良いということにはならず、(毎日新聞の道内54校の調査では、基準を著しく下回っているケースの存在は驚きました)、とわの森三愛高校では、この事件後、条件整備の改善(二人の看護師の交代勤務と養護教諭の常駐体制、保健室の常時開放)がなされていることからすれば、学校施設環境整備努力の瑕疵がまずあるというべきです。このことに、3人の陳述書が、ほとんど触れていないのは、意図的かあるいは無知を示すものです。無論、この点での責任は個々の養護教諭にあるのではなく、それを満たすべく努力すべき学校法人にあります。ただし、奇異なのは、養護教諭が「二人の養護教諭がいれば私の仕事が楽になる」ことは「そのとおり」としながら、「職務が過重な負担を強いられていたとか、さらにはそのせいで対応が不適切であったという批判は何ら根拠がなく」と言わされている(言っている)ことです。しかし、注意深く考えれば、ここでの争点は、仕事が楽になることではなく、生徒の個別の状況判断の丁寧なケアが出来るか出来ないかにあったからです。この点は、裁判上の争点になると思います。
第二は、寮での養護室が物置状態にされていたこと、病状にある生徒への暖房設備の日中の不備という問題です。舎監の陳述は、この日のことについて「機農寮の暖房は、時間は分かりませんが、自動運転で行われています。スチーム暖房ですから、暖房が入る直前は若干寒く感じることもありますが、低体温症になるほど寒いはずもなく、そのように寒ければ私たち舎監は到底仕事ができません」と言っていますが、これはまことに誠実さを欠く証言です。舎監室には、他の部屋とは違い、個別暖房が入れられており、生徒の部屋のスチーム暖房は、日中は切られていたわけであり、寮が所在する地域(大麻・江別)の2月の温度は、病状のある子どもにはつらい低温であること、とりわけ今回のケースは、深刻な病状の条件を有していた訳であり、そのことへの悼みや反省、想像力、認識の欠如と言われても仕方がない陳述です。
二つには、学校と寮との相互連携体制、とりわけ今回の事件では、担任教諭と養護教諭、舎監との連携のあり方が問われます。また学校と保護者との関係が、寮にいる生徒の場合は、とくに問題となります。まして、T君の場合は、普通科生徒であったことから、全寮制の酪農科生徒とは異なって特段の配慮が求められるといえます。この点では、陳述書を見ると、担任教諭と養護教諭、舎監との相互の事実認定について思いこみや記録の不在など、重要な事実認定の矛盾があるように思われます。
また、同時に、T君の健康状態について、保護者の認識と養護教諭、担任教諭及び舎監との認識に相当程度の不一致点が見られます。T君のことについて、保護者に知らせる責務についても、担任教諭は、相当程度今回の事例について鈍感であったことが認識されます。このあたりの認識の不一致点や矛盾をどのようにつめていくのか、今後の弁護士の方々のご努力の要になると思われます。また、Sさんが、おっしゃるように養護教諭なり、舎監経験者の証言が重要になってくるものと思われます。
色々と書きましたが、T君の命は帰ってきません。Sさまご両親の痛恨さ、悲しみは察するに余りあります。学校関係者は、まずこの立脚点を共有することから始めないといけないと思います。無論、私の認識は、事実をよくつかまえておらず、まだ不正確で、見当違いなことも多いと思います。それでもあえて、率直な考えを書いてみました。まずは、そうした感想とお礼を申し上げたいと思います。
公判の審議が成果ある方向で進むことを期待いたします。
2009年6月18日
Y.A
コメント
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