週末、金曜日、研究室の窓から眺めるとカラスの大乱舞。巣に帰る一斉行動なのか。夕暮れ時に日常的に見られるあまり歓迎すべきでもない光景だ。
1月17日は、阪神淡路大震災から15年。多くの関連記事やプログラムが新聞、TV、メデイアで流されている。あれから15年の歳月が流れた。6434人の死者、4万3792人の負傷者を出した大震災だった。時間の流れの中で、何が復興し、何が変わっていないのか。
地震の一次被害はすさまじいものだった。次々と飛び込む報道と映像、情報は、暗澹たる思いを起こさせた。同時に、人災ともいうべき、面も多かった。被災者への親身な経済支援や地域復興の緊急の生活的支援が必要なのに、国や自治体の姿勢は、私的財への支援は限定的たるべきとかたくなだった。震災後の区画整理・再開発として国家・ゼネコン中心の公共的事業には多くの財政が注がれた。しかし、被災された個々の家族・個人への支援は消極的であった。被災者住宅での孤独死の報道は、僕の心に長く残された記憶をかたちづくった。それでも、阪神・淡路大震災は、ボランテイア・NPOへの注目を促し、全国的な支援の盛り上がりが見られ、現地の人々の懸命な立ち上がりの努力とドラマがあった。そのことも生々しく記憶に止まっている。(その後、大阪、兵庫で相次いでもたれた全国教研集会では、多くの感動的な実践報告が紹介された。)
無論、犠牲者を身近に持たれた方々の悲痛な気持ちや心の傷は、そう簡単には癒されないと僕にも思えた。せめてもと、当時の職場でも教員や学生の被災者支援のためのボランテイア活動参加、物資や財政カンパが盛んになされた。
そうした歴史の記憶の検証は、ある意味で15年たってから本格的に多面的になされはじめているといってよい。
僕は、当時名古屋に居住していた。午前5時46分の早朝。震度4の揺れであったが、名古屋でもあわてて跳び起きるような揺れだった。しかし、それが甚大な被害を出した神戸・兵庫の地震だとは、すぐつけたTVのニュースを聞くまでは分からなかった。僕は、当時、その1週間前には関西での研究会があり、その月の終わりには大阪に行くこともあった。関西には身近な友人たちも多くいた。多くの人の顔が浮かんだ。他人事とは思えない震災だった。あらためて、この場を借りて、犠牲者の方々には悼みを、そして黙祷をささげたい。
なお、報道によれば、ハイチでは、先週1月12日に大型の地震があり、人口900万人の同国の三分の一が被災し、犠牲は現在5万人の死者、最終的には20万人になりそうだという。(1月17日)日々の報道は、日本からは、遠い地であることもあり、切迫性が弱い。初動の動きも日本は遅かったようだ。しかし、日がたつにつれて、報道は、大変な事態であることを知らせている。数年前のインドネシアの地震での震源地地域及び被害が及んだ周辺国の津波被害もすさまじかった。そうした自然災害そのものは、今の科学では予報も正確には出せないようだ。しかし、その後の多様な国内外の支援のありようと地域の人々の自立努力を支える支援によって地域の経済的文化的復興はまったく異なった様相を示す。精神的な復興は、そうした努力とは並行しかつ独自な課題をもつようだ。僕も、今後の推移を見守り、必要な人道的な支援に対し、できる範囲ではあるが、ささやかな協力をしよう。
閑話休題:大寒に思うこと
暖冬というべき昨年の12月であったが、年明け後、ここにきていよいよ冷え込んできた。世界的にも、年明け後、ソウルや北京でかつてない積雪があったとか聞いた。英国でも、友人の便りでは、例年にない積雪と寒さという。
友人のキースは、Yorkshire Daleが雪で覆われた。雪の中をラッセルしながらの歩きは楽しく、風景は美しかったと写真を送ってくれた。
Grassingtonの道路での積雪。北海道では珍しくもないが、イングランドではちょっとしたニュースらしい。
キューバでは、この時期平均気温が20数度のはずが、先週にはマイナスとはいかないまでも3度くらいになり、施設の貧弱さがあったらしいが、凍死者が病院で出たという。とはいえ、地球温暖化の流れが変わったわけではない。
さて、今年の大寒は1月20日という。もうすぐだ。仮の住まいとしている現在の家は、建築様式がいささか旧い。半地下ともいうべき1階は、車庫と倉庫。二階、三階部分が住居部分である。居間は、大きな煙突式ストーブで暖かい。その暖気が、三階にも一定程度及んではいる。しかし、書斎は、車庫の上にあり、下からの寒さが、直に伝わってきて、暖房がなかなか効かない。しばらく暖まるのを待つのを常とする。朝、書斎に入ると時に0度だったりする。まあ、氷点下でないだけましとしよう。
昨日1月16日は、最低・最高が-9度、-4度、今日1月17日は-7度、-1度の真冬日。この両日は、大学入試センター試験が全国で行われている。受験生諸君は、この寒気の中で全力を出し切れると良いがどうだろうか。新型インフルや事故や故障などの交通事情での試験を受けられなかった受験生も一定数あり、追試がやはりあるようだ。
さて、一昨日夜は、一階の半地下の水道が凍結の恐れがあるというので家人が水抜きをして本体のパイプは大丈夫だった。しかし、洗濯機につながっているホースの部分が凍ったらしい。朝、解凍に時間がかかっていた。年に幾度かある光景だ。車庫のシャッターも時々、コンクリートに凍り付いて、湯をかけて開けるときがある。
「冬来たりなば春遠からじ」とはそう簡単に行かないのがこの地だ。春は実際に時間的にも心理的にも遠いのだ。しばらくは、楽しみを時々見つけ、時には道外にも脱出しながら、時間が経過するのを堪えて過ごす術を身につけていくのみだ。
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