2月5日(金)
今日の訪問先、WEAビルまで30-40分の歩きだ。途中ハイドパークを抜けていく。
名前を調べていないが、英国のどこにもいる小鳥だ。動きが速い。
さて、今日の目的はWEAの地域実践と理論動向のインタビューだ。お相手は、ジョー・ミスキンさん。
WEAチューターオーガナイザーのジョー・ミスキンさんには、2008年11月にシェフィールドでお会いして話を伺った。2010年2月の今回は、偶然会議があったということで、幸いなことにリーズのWEAオフィイス(ヨークシャー・ハンバーサイドの地域基幹事務所でもある)でお会いして、その後の動向等についてお話しを伺うことにした。
早めにホテルを出て歩いてきたが、WEAオフィイスビルに早くに着いてしまった。そのせいもあって、約束の時間まで、隣にある地域成人教育施設のSwarthmore's Centreにおじゃまして、お茶を飲み中を見学させていただいた。このセンターは、障がいをもつ人々や高齢者、エスニックオリジンをもつ人々の学びと交流の場でもある。長い歴史を持ち、文化的な独自な成人教育活動も盛んに行われてきた。歴史家、かつ文化研究者のトム・スチールさんがその事業を著作にまとめていることをキースから聞いていたので、窓口でそれを求めもした。多くの方が集まっていたのだが、カメラをいきなり向ける訳にもいかず、活動のパネルを写したりした。
スワースモアセンターの玄関。カメラの視界に収まっていないが、右手にWEAの事務所がある。
下はスタッフ紹介のタペストリ、その下の写真の左は、Tom Steelさんの著作、「スワスモアセンターの100年史」、右はNIACE(全英成人継続教育研究所)の最近の重要な報告書の一つ"Learning through Life"だ。これは、検討に値する本だ。
ところで、社会教育、成人教育関係者を除いて、WEAと聞いてすぐに分かる方はどれくらいいるのだろうか。WEA(workers educational association,日本では直訳すれば労働者教育協会ということになる。)は、1903年にアルバート・マンスブリッジをリーダーとして組織され、やがて英国全土に広がり、さらには英国の影響を受けた各国で同様の組織が結成されていった。現在でも英国最大の非営利・自主的民間の成人教育事業組織である。2003年には百周年記念事業が行われ、刊行物も多く発刊された。歴史的発展段階は、四期に分かれ、その間に厳しい局面も味わってきている。またWEAは、地域ごとにその性格も異なっている。ここヨークシャー・ハンバーサイド地域WEAは、ラデイカル・リベラルの伝統を掲げて活動を行ってきたといえる。
左はWEA全体の100年史、右はヨークシャー・ハンバーサイドの100年史、いずれも2003年の100周年記念刊行物である。
WEAと同じく長い歴史をもつラスキンカレッジ(オックスフォードに所在、オックスフォード大学にもつながり優秀な学生には学位も出る)は1999年に百年史を迎えた。左はその歴史をまとめた著作。右は、「WEAの女性たち」という歴史総括。女性の成人教育もユニークなものが多い。この本は、友人のYさんが訳している。
WEAの活動報告書だ。左はヨークシャー・ハンバーサイドの年次レポート、右はWEA全国の活動状況を知らせてくれる。
時間になって、ジョー・ミスキンさんを訪ねる。
この日は、アクテイブ・シテイズンシップ教育のその後の動向、全英的な成人継続教育発展擁護のキャンペーン(例えば、call :NAICEのイニシアテイフによる運動)に関わらず、なぜ衰退の路をよぎなくさせられているのか。NIACEの運動へのWEAの関わり、WEAの財源確保の方策、オルタナテイブ戦略などを聞くことにあった。ただし、ここでは、逐一詳しい紹介は避けておこう。
ジョー・ミスキンさん。次回の調査では、コミュニテイグループの訪問調査を一緒に行うことを約束いただいた。
アルバート・マンスブリッジの肖像画の前で写真を撮ってもらう。この絵は、旧リーズ大学・成人継続教育学部の階段を上がったホール前の壁にかかっていたことを思い出した。キースはこのことを知っていたが、ジョーはその経緯を知らなかったようだ。リーズ大の転居したLLIに引き取ってもらうよりも、この方が歴史的に意味のあることだったとも思えた。
帰路通ったリーズ大学医学部付属の教育病院は、欧州でも最大規模という。
夕刻、ハダスフィールドに出かけていたキースとハイドパークのカフェで出会い、今日の訪問等についての意見を交わし、補足の証言もいただいた。多謝である。
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