2月8日夜遅くの帰国後のジェットラグも消えぬまま、翌日2月9日からは平常勤務の再開だ。博論申請者の修正原稿の読み込みや書類類のラッシュがまずは始まりであった。
2月10日には、組合と当局との団交があった。この間の非正規職員の雇止めの非人間性への抗議と雇用延長を求める組合の団交申し入れに対して、当局が渋々受諾したことによる。しかも、昨年末に申し込んで以来実に1ヶ月半も引き延ばしたあげくの受諾である。かれらはその引き延ばし期間におそらくは、当該部局や顧問弁護士等その他のメンバーとの打ち合わせをして対応内容を準備してきたようであった。したたかで傲岸、組合を軽んじているのは明白であった。この日は、労務担当者(職員課長、同課長補佐、同主幹+2,3人の応援職員)+当該部局事務部局である。組合サイドからは、執行部及び当事者を含む11人の参加であった。
この日の第一の問題は、当局の出席メンバーは明らかに、この問題での位置づけの低さを示したことである。この日は、ヒール役を担わされた労務担当の職員課長に形式的に回答を「全権委任」させ、あとは当該部局の事務長と同課長が出席しただけであった。本来出席すべきはずの事務局長・理事、総務部長、人事課長などは足を運んでも来なかった。まして最終的責任者たる総長は、この間の団交には一切参加を拒んできた。昨年の賃金不利益変更に関する団交の場を蹴って退席して以来、当局の姿勢はあるべき労使関係を築こうとする誠実さも努力も欠き、ある種の開き直りを示してる。
対応した労務担当職員は、その職務の故もあるが、組合や当事者の声を聴く耳を持たず、一方的な見解を述べるだけであり、自らの見解はどうなのかと質問されても、自らのコトバを封印して、回答を拒むだけであり、その意味で人間的な感受性を欠いたロボット然とした姿であった。また、当該部局の事務トップは、当事者の労働実態も知らず(知る必要もないとの姿勢)、今回のことは、就業規則のルールを適用しているだけであって、何が悪いのか、どうしてこの場に出てこなくてはならないかが分からない。組合は無理難題を言って、言いがかりを言っているにすぎないとの姿勢をにじませて、鼻先でフンとせせら笑うがごとき対応であった。
第二は、この団交は、12月下旬に申し入れたにも関わらず1ヶ月半も回答を引き延ばし、ただでさえ3月末の雇止めでの不安を抱える人々の神経を逆なでしてきた。そのこと自身不誠実な姿勢であるだけでなく、1ヶ月半も引き延ばしたにも関わらず、回答は、あらかじめ用意した雇用延長拒否の通告と、それは就業規則通りであって、何ら当局に瑕疵はないとの回答を読み上げるだけであった。このような回答なら引き延ばした根拠は何もなかったことを意味する。
第三は、当局の論理の形式性と非人間性である。
この日は、雇い止を受ける当事者の出席があるにも関わらず、またその人を雇い続けることに何らの支障もないのにかかわらず、その人が優秀な業務成績を誇っているにもかかわらず、そうしたことを一切無視して、労務担当者が口にしたことは、就業規則にもとづく期限付き雇用であり、その時期が来たので、雇用を打ち切るだけである、このことに何らの法的瑕疵はないと述べたことである。この場合、当事者は、1年雇用の更新を二度行い、さらに1年の雇用延長で4年働いてきたが、それは通常運営交付金雇用の3年限度とは異なって、競争型プロジェクト資金が根拠の雇用であったからであって、当該部局が雇用継続を必要とされてのことであって了承してきた。これは、むしろ優遇と言うべきであった。ただし、その事業経費が終了したから、雇用を打ち切る。ただし、当該部門は、他のプロジェクト経費で組織的には継続され、新たに非正規職員の雇用の必要が生じるが、それは別の事業であり、同じ人を雇い続けなければならない理由にはならない。ただし、新たな事業については、新たに雇用した人の訓練が必要なので、4月を待たず、1月から前倒しで、新たな人を雇用して出発している。
こういう論理と感性は、何と言ったら良いのであろうか。生きた人間を敬して処遇するのとはまったく異なる、使い捨てのモノ扱いという対応である。ILOなどが掲げるデイーセントワーク(人間的な労働)などという思想とは対極にある思想である。しかも、労務担当者は、規則だからルールに従って行っているだけであって、それを承知で雇用に応じたはずなので、何を文句を言う必要があるのか。そういう論理である。当該部門で、経費の出所の如何にかかわらず、広い意味での事業が存続し、職員の継続的雇用が必要であるにもかわらず、一方では期限付き雇用者を雇い止め(常雇雇用ではないので解雇とは言わないが実質的にそれだ)にして、他方では新たに期限付き雇用者を求める。その場合、職員の経験や力量、技術、等がリセットされるので、またゼロから仕事に慣れていく必要があるので、あらかじめ3ヶ月も早く(雇い止めする人と同じ現場に)、次年度の経費が配分される前に、現在の経費で、次の期限付き非正規雇用者を配置するという無駄な経費と非効率が導入されているのである。そして、新たに雇用された人も期限が来ればまた雇い止めが行われるということになる。
全国で2009年には国立大学53大学で、非正規雇用職員1355人が雇い止め(共同通信アンケート)にあっていたが(2009年2月8日、北海道新聞)、この状態は、今年2010年もまったく変わっていないことを上記の団交は示している。ただし、大学の一定数には改善の兆しも見られ、雇用の上限の延長、雇い止め後の正規雇用への任用試験の拡大等が、組合の要求によって実現してきている。しかし、H大学の対応は、もっとも保守的頑迷な部類に属することになる。
大学という「理性の府」は、どこに行ってしまったのだろうか。元々そんなものはないと言ったらおしまいである。はたして、こういう非理性と非人間性、冷血な職員管理をいつまでも蔓延させていてよいのだろうか。
労働法の脇田滋(龍谷大教授)氏は、国立大の雇い止めについて、1年前に次の警告的コメントを発している。大学当局は、真摯にこの声に耳を傾ける必要がある。その上で、違法性の疑いの強い就業規則の改定を行うべきである。
「恒常的業務の多い大学で、仕事のスキルを身につけた人材を三ー五年程度で雇い止めにするのは、経営上も合理性がない。契約期間の限定は労働基準法の趣旨を誤解した運用だ。有期雇用はあらかじめ解雇を合意させた形で契約を結ぶことで、期間の設定には合理的な理由が必要だ。大学側の雇い止めは、解雇権の濫用を無効とする労働契約法違反の疑いが強い」(2009年2月8日、北海道新聞)<
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