週明け、月曜から結構タイトな日々になっている。
備忘録
5月24日(月)
午前は学部講義。この日は、改正教育基本法の各条項についてのグループ発表の開始。各グループはまとまった簡潔な報告でなかなかによい。それぞれの報告についての質疑があり、加えて僕の簡単なコメントを添える。
夕刻は、組合執行委員会。先週土曜の全大教単組代表者会議の報告、そして翌日の労働委員会の申立人及び被申立人の調査に関する打ち合わせ、病院の看護師の実態調査状況などが主な議題。9時過ぎに散会。
5月25日(火)
午前は講義資料印刷等。午後、学部授業、そして国際科目授業(HUSTEP)の2つの連続講義であった。後者は英語での講義である。
研究室に戻って間もなく、夕刻5時に、今度はH道労働委員会へ向かう。
労働委員会の調査質問は、8時過ぎまで及んだ。
組合メンバーと別れて、もう一つの会合場所に向かう。僕の前任校での教え子のAさんが卒業後、就職先をいったんやめての学び直しで台湾に留学し中国語を勉強中であり、S市に越してきた台湾の友人を連れてアドバイスを求めてきたのである。先週の約束であった。行ってみると、Aさんの御父君や台湾の友人の連れ合いのI氏も加わることになった。これは楽しい会となった。台湾の友人の方には、この地での友人づくりを含めた日本語学習の場の情報をいくつか提供した。何やかんやで、結局帰宅は地下鉄の終電車となった。翌日はタイトな日程であったが、これもいたしかたあるまい。
さて、以下は、夕刻から待機を含めて3時間ほどの労働委員会調査の模様である。
この日は、労働委員会へ大学法人の組合への不当労働行為と支配介入に対して「救済申立」を行っている組合申立人及び補佐員への第一回調査の日だった。組合サイドと大学サイドの双方が、労働委員会の委員(3名、統括委員1名と労働側、使用者側の各1名)から、申立書及び答弁書の内容の調査質問を受けることになっていた。
組合は、労働委員会に訴えるのは、法人化後、今回が2度目である。2004年にも、寒冷地手当の一方的な引き下げに対して、抗議した組合への不当労働行為を行い、最終的には大学が組合へ謝罪し、二度とこのようなことのないよう十分な話し合いを行うとの協定書を取り交わしているのである。今回は、そうした過去の協定書に学ばず、「聞いたことはあるが読んでいない」と平然と応えた労務担当理事(昨年7月に文科省から赴任)の姿勢にあるように、十分な反省もしないまま、組合に対して、同様の不当労働行為を行っているのであるから悪質である。
事柄の内容は、申立書に詳細に論述してあるのであるが、ロジックは法的に書かれていてやや難渋である。僕の理解している概略は追記に記した。(これは、僕のまとめかたであるので、弁護士さんたちが法律的に正確に記述していることとは即応しない。文責は我にありである)
組合として、裁判に訴えるというは、最終手段であるが、それも選択肢としては留保してある。ただし、その場合は、裁判に訴えることへの弁護士その他の訴訟経費、勝訴の見通しの確信、決着が付くまでの訴訟経緯時間への考慮などが働くことも確かである。
今回は、裁判闘争を、控えの選択肢として残しながら、まずは、労働委員会への訴えを行うことにしたのである。労使交渉に関する労働委員会への労働組合からの訴えに対応する措置には、あっせん、調停の他に、救済申立というシステムがあり、今回は、この「救済申立」を採用したのである。
第一回は、労働委員会の担当委員3名からの調査質問であった。第二回は7月、そしてその後審問に移行していくであろうと思われた。弁護士事務所の4名の担当、組合三役はじめ執行委員の協議、さらには組合員の支援、他団体、他労組の支援を仰ぐ展開になっていく。
大学の経営と統治に関して、まっとうな判断、人間的な人権感覚、労働法の尊重による誠実で正常な労使関係を、求めていることは、胸を張って言えることである。
教職員の人件費を削減し、過重な労働が蔓延し、メンタル及びフィジカルな病状を持つメンバーが増え、非正規職員の不当な使い捨てと3年での雇止(その後二度と非正規職としては雇用されない。しかし、正規職の道はほとんど無い)が横行するようでは、大学は理性の府とは言えない。長期的なやりがい、能力の発揮、人生の見通しをもてるように、非正規職員を正規職員に切り替えるべきである。
また、いたずらに、競争的外部資金獲得とランキングに一喜一憂するような大学文化は、まっとうとは言えない。それは、貧相な大学観というべきである。基礎研究、地道な教育努力に、また地域貢献努力に、たしかな評価の視点を持てるようにすべきである。
これらは、第三者的な評論ではなく、僕がずっと日々感じている実感であり、確信である。
5月26日 (水)
午前は大学院ゼミ。午後は、2つの全学的会議、夕刻は大学院共通講義。目一杯の時間。帰宅後、連れ合いは別件の用があり、不在。遅い夕食を済ませ、入浴等を終えると気力ゼロ。情けない体力と根気のなさ。
ずくだせ、ずくだせ だ。(長野県の方言、元気を出して!くらいの意味か。どういうわけか、長野県生まれでもないのに、こんなかけ声が出てしまう!?)
5月27日(木)
午前は、大学院修論指導ゼミ。午後は、学部ゼミ。合間に、いくつかの雑務仕事。
夕刻は、連れ合い、義父と連れ合いの甥を交えて、4人の会食。義父は時折、来北しての旅をする。甥は、愛知出身だが、H大水産学部を出て、本州の企業に勤めたが、北海道が気に入ったのか、この春に再びこちらで仕事をし始めたのだ。色んな話がでて、盛り上がり、散会。酔いもあったので、タクシーで義父をホテルに送り、その後帰宅。
明日からは、学会(教育法学会)での出張。
この間の経緯と、労働者側の論理と要求は以下に要約されよう。
①昨年来、公務員の賃金に関する「人事院勧告」に準拠して、賃金不利益改定を強行しようとした大学法人(当局)に組合として抗議し、それらの撤廃を求め、団体交渉を行ってきた。
②なぜならば、大学教職員は既に公務員ではなく、法人職員であり、賃金改訂に関する交渉は労使交渉に委ねられているという労働法の原則に従って当然の行動を行ってきた訳である。
③しかし、大学法人の労務対策部門の管理職は(事務局長、総務部長、人事課長)文科省出向組であり、それらの指揮下で動く、職員課長は、さらに露骨な組合敵視策をとるものであった。彼らの思考は公務員時代と変わらない体質を有し、職員には一方的な通告で事足りるという高圧的な姿勢が濃厚であった。
④今回の賃金の不利益改訂は、大学教職員の賃金の低さ(事務・技能職員は、一般公務員の行政職(一)標準賃金の87%であり、さらにH地区は、他の大学よりも低い査定であった。教員については、国立部局の適当な比較部門を既に有していない。)があるにもかかわらず、それを改善することなく、さらにそれを引き下げるという提案であった。このことは、同じ地区の民間企業労働者の賃金引き下げに悪作用するとともに、中堅規模以上の私立大学教職員と比して現状の劣悪な処遇の改善にもつながらないものであった。何よりも、労務対策職員達は、独自な調査も法人としての独自性への熟慮もすることもなく、オウム返しに人事院勧告の趣旨を繰り返すのみの姿勢が明白であった。
⑤しかも、第三回の労使交渉の場で、協議途上で一方的に席を立って交渉を打ち切り、その後テーブルにつこうとせず、過半数代表者に就業規則改定(賃金引き下げ)を一方的に通告説明した後に、組合を無視して全構成員に対し就業規則改定を行うという暴挙に出てきたのである。(このようなことは、これまでにもない異例なことであった)
⑥加えて、契約職員(6時間雇用、8時間雇用などの職員)の賃金改定(ボーナスの減額)については、組合との団交の席上は一度も出さずにいたにもかかわらず、組合交渉を一方的に打ち切った後での過半数代表者への一方的説明において就業規則改訂によって強行しようとしたことは、これまた不当労働行為であり、支配介入(組合を無視、敵視し、構成員に示す)であるとするものであった。
⑦代償措置に関する説明については、その後交渉を継続するようなそぶりを見せながら、結果的には、交渉を第三回交渉で打ち切ったとの通告をこれまた一方的に知らせるという、二枚舌というか、誠実さのかけらもない品性にも欠いた対応を取ってきたのである。
⑧このように、誠実で正常な労使交渉を行おうとせず、賃金引き下げに関しての代償措置についての説明も十分に行わず、その後の対話も拒否していることは、労働法についての意識的な無視と冒涜であり、法令遵守義務にも反するものと言える。
⑨救済申立の内容は、大学法人に対しておおよそ以下のことになる。
1)謝罪文を大学正門前にポストノーテイスすること。文案は、組合も用意しているが協議して定める。
2)不当労働行為を謝罪し、正式の労使交渉のテーブルについて誠実に話し合いを進めること。
3)教職員の賃金改定を撤回し、そのプール金を返還すること。契約職員のボーナスカットを撤回し、還元すること。
4)代償措置については、上記の交渉の結果によって協議がなされること。
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