仮想世界を生きている訳ではない。とはいえ、若者言葉のような「リア充」にあるわけでもない。
この2週間は、卒論発表と修論発表の公式プログラムが続いた。指導学生、院生の主査や他の院生の副査として、一定数の論文を発表前の草稿段階から眼を通してきた。中には優秀な論文があり、新鮮な視点や、まなざし、発想、思考に学ぶ事も多く、これは嬉しい事柄だ。これは、毎年経験することだ。しかし、そうではないこともある。細部は書かないが、以前にはない悩みも、最近多く生じてきている。ここでは、それらを書くわけにはいかないが、単純に時代のせいとも言えず、また主要には本人の問題であるとはいえ、自らの指導責任でもあると考えると、悩ましい日々だ。
また、同僚性をめぐる問題も、この間各所で耳にしてきたし、体験もしてきた。これまた、悩ましい新たな傾向だ。
大学の中には、関西のW大学が元気な「大学教育研究集会」を開催してきているように、励まされる事例もなくはない。学長自らがリーダーシップを発揮し、学生、職員、教員がそれぞれの実践を報告し、自らの大学の主人公として宣言をする。それを、地元の教育界、財界、文科省が支援をする仕組みをつくる手際には、さすがと思う。
しかし、他方には、競争世界の後追い施策のカタログを並べ立て、成果主義による賞罰世界(企業的ガバナンスの劣等パターン)をあおるだけの大学も多い。
昨夜の休息時間に見た岐阜の中小企業の事例は、TVのプログラムであるし、当然に作為もあろう。従って、真相は、よく分からない面もある。従って、軽々な判断は、保留すべきであるが、見た限りでは、ごくまっとうな働きを提案していた。元々、劇団づくりをしながら父親の会社で働いていた人が、事情で会社を興した。ユニークなのは、「常に考える」という社是だ。少なくとも、人間として尊重する働き(命令はしない、残業はしない、休暇や仕事外の活動を保障する。賃金の水準を高める。全員正社員として遇する。提案を生かし、それを奨励し報償する。)がそこにはあった。組合や労使関係のことは描いていなかったが、本来は、企業が遵守すべき原理がそこにはあった。
企業でもこのようなことができるのに、大学がこうした水準に学ぼうともせず、劣等な労務管理と新自由主義的マネジアリズムをガバナンスと経営の基本とするのは、なんたることだろう。(非正規職員の大量雇用と3年の雇い止め、賃金切り下げと過重労働、成果主義的労務管理と競争の扇動、ランキング上昇と外部資金獲得への狂奔、etc)
ここで話を転ずる。
1月19日には、道教委の教員への思想統制、密告通報制度、日の丸君が代問題への、(北教組がイニシアチフをとっての)本州と北海道の研究者によるパネルシンポがあった。僕は修論審査があったので、参加が遅れたが、出席した。1人のコーデイネータと3人のパネラー(2人は本州から、1人は北海道)による進行。参加者の大半は、道内の教職員(組合メンバーだけでもなく一般の教職員も)、それに一般市民だ。
パネラーの報告の大筋は、同意できるものであったが、しかし、何か釈然としないものがあった。それは、かけられている攻撃の本質と構造に真正面から挑むことを、どこか避けていることにある。それは、昨年から眼にしてきた集会声明の不十分さや歯切れの悪さと共通する問題でもあった。ここでは、以下の限りのことはあえて書くが、それ以上は書かない。なぜそう思うのかの詳細は、別のところで書くつもりだ。
しかし、この問題は、悩みの多い問題だ。「政権交代」したはずの「政権」(民主党)が、政策において、前政権(自公政権)以上に新自由主義的路線を強め(サブカテゴリーとして新国家主義をもつ)、排除型社会の構築をねらう。(たとえ、内部に批判勢力を有すると言ってみても)その政権を下支えしている組織主体が、その政権政策に「抗議する」というのは、必ずや引けている面や、触れることができないアキレス腱をもつ。市民が懐疑や違和感をもつのは、その点だ。
そして大事なことは、その日のパネラーの誰も触れなかったことだ。今の支配の構図は、パネラーが危惧を表明した「全体主義」のかつてのナチスや戦前治安維持法国家日本や、スターリン主義的旧社会主義や現在のnorth koreaが範例ではないということだ。その本質は、時代逆行に向かっているのではないのだ。(一部にそのファッションの表象はあったとしても)
まさに、「後期近代」の只中にあって、福祉国家システムを破断させ、強者に優位な社会システムをメデイアの巨大な力をも総動員して、動かそうとしている「現代」の支配のありかたが問題なのだ。その装置の構築のために一見旧い方式を採用できるならば、採用するというのが支配の本質だ。
足下の支配の構図の本質(愛国法と排除型社会に狂奔する米国とそれに追随する日本の政治経済レジーム、それをいかにまっとうに批判するかが問われている)に真正面から立ち向かうことなくして、展望は開けない。
このことは、今少し深く思考して、かつ具体的な現場を踏まえて別に書くつもりだ。
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