4月4日
午前は、編入・転学部学生のガイダンスだった。11人の色々な経歴のフレッシュな声と希望が聞けた。
午後は、部局会議、その後、打ち合わせなどが続いて、夕方になってしまった。
スケジュールをにらんで、この日しかないと思って、夕方映画を観に行った。
以下は、映画の感想を属する市民組織のMLに送ったものです。(これもデスマス調です。一部匿名にして変えたところもあります)
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夕方時間を工面して、「月あかりの下で」観に行きました。
この映画のことは前から聞いていましたし、前任校がS大学なので、あの地域の状況が良く分かります。
http://tsuki-akari.com/
でもなかなか観る機会がありませんでした。
太田直子さんという方が、ナレ-ションをやり、演出 撮影 編集もしたのですね。
どんな人だろう?
映像には登場しないけれど、担任教師の平野和弘さんと並んで、生徒たちを受け止めているもう一人の脇役なのかなという印象を持ちました。
このドキュメントフィルムは、取材や撮影での期間は7-8年に及ぶのでしょうか?(フィルムを回したのは、2002年から2008年までのようですが)
その間に、少年や少女が映像の中で確実に変わっていくのが実感されます。
中には、少女が母親になっていく姿もあります。(これも早い年齢です。)
教師と生徒との関係も徐々に、なんというか変わっていきます。
浦商(埼玉県立浦和商業高校)定時制は、教える側と教えられる側という既成の固定的関係をはじめから外してはいますが(でもやはり背後にはあるのだけど)
途中から、関係性が変化してもっと人間的なきずな、互いに弱さも持っている存在として、互いに虚勢や虚飾がはがれ、その分真剣勝負のまるごとのつきあいになっていくのが分かります。
かけがえのない時間を共有して、
こどもは大人に社会的にわたっていき、
教師はその分老いていくというか追い越されそうになっていくというか、でもその中で成熟していくのですね。
教育ってなんだろうな?と思ってしまいます。
僕は、名古屋でそれこそ、浦商定時制の若者たち(なかには大人もいますが)と同じような、社会的、教育的、家族的
背景をもつ働く若者たちの学びに、その最前線で、つきあっていた時間が30歳前後から46歳まで(S大学に移動するまで)
10数年ありました。当時は、今のH大学のようなリサーチ大学ではない、もっと教育に重点をおいた大学に身をおき、(AP大学)昼は、学生とつきあいながら、
同時に、夜には大学外で、「青年の家」という社会教育施設や青年サークルのたまり場などを拠点として、講師・助言者として、働く若者たちの学びに、ずっとつきあっていました。(今でもその当時の若者たち(今は30代後半から40代になりつつありますが)とつきあいがあります)
そのときにも、研究で論文を書き成果をあげる(勿論それをすることにも喜びがあるわけですが)というのとは異なる、人間としての生身のつきあいを通じて
互いにどん欲に吸収し学び会う(ときにはぶつかりながら)という経験を持ちました。理性だけではない、感受性や感情も共有し合うような、
しかし、広い意味でのリテラシーを磨くというのか、学び方を学ぶというか、人間としての生き方を学ぶというか、そういう関係性(言葉で表現するのが難しいなあ)を重視していました。
僕がしていたのは、社会教育という領域での活動です。
ある研究会で、フランス文学者であり、平和活動にも関わっておられた新村猛先生に、「あなたのしていることは、サッカーのスイーパーのようなことだね。賽の河原の石積みのようなところがあるけれど、大事な仕事だね」とほめられたのか、あきれられたのか分からないようなコメントをもらったことがあります。
学校で見放されたり、目立たなかった若者たちが、劣等感や無力感にとらわれているのを、少しずつ解きほぐし、自信を取り戻したり、築いていくのに立ち会う、見届ける仕事だったからです。
そこには、それなりに意図的な学習論や組織論が基礎にありました。ここでは、詳しくは書きません。学びのネットワークというような表現をすれば、学習や活動をする年齢幅や出自が広範囲な若者たちと、社会教育職員(集団)、それに僕を含めた研究者集団及び青年OB層が連携協力をして、ネットワークを創り上げていくとでもいうべきものでした。それは、信頼のきずなともいうべきものでした。そして学びの条件整備を教育委員会などに求めて支援を具体的なかたちにするという構造でした。
浦商定時制は、そういう社会教育の自己形成の学びと比較すると、学校らしくない学校ですが、やはり学校でもあります。(教科の学習などがもう一方にはあるからですが)
ドキュメントフィルムでは、あのクラス卒業後3年を経て、浦商定時制廃止(2008年)後の 担任の教師、3人の少女のその後を見せていましたが、学校教育がどう人生に影響を与えたのかという本質的な問いを発していました。
学校が、人生にどのような影響をもつのか、不登校の経験をもった子どもたちにとって、浦商定時制という学校が意味した時空間は、単に居場所ではなく、アルファでありオメガであるようなものは何か、教師にとっても、生徒にとっても、それはなんだったのか、などと、映画を観ながら考えていました。
(家人が、兵庫にある「IK学園」という全寮制の不登校を経験したこどもたちを受け入れていた学校で、教師を10年やり、そのときの濃密な人生の時間での
教師同士の関係性、生徒たちとのつきあいをいまも濃密にもっているのを横で見ているせいもありますが)
p.s.
福島第一原発事故の只中に僕たちは今生きているので、Mさんが紹介してくださった
キヨシローのライブ映像のインパクト強いですね。http://quasimoto.exblog.jp/14535026/
「サマータイムブルース」それにプレスリーのうたをもじった「ラブミーテンダー」、原発をこれほどストレートに告発し音楽にしているのは他にもあるのでしょうか?
電力余っている、安全と嘘ついて、原発をなぜつくるのか、わからねー、ガンで死にたくねー、長生きシテーとうたうキヨシローの歌詞は、
後の彼のリアルライフを思うと、痛みをともないます。
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