週明け後、多忙な時間が舞い戻ってきた。
院入試が終わって、やや気が重いことも起きる。入試というものは、必ず受験者に明暗の結果をもたらす。残念ながら不本意に終わった人には、なぜそうなったのかきちんとした説明をして、さらに本人の今後の方向を聴くことが大切になる。首尾良く、合格したした人にも今後の課題を聴いて励ますことが大事になるが、不本意の場合よりは、気が楽なことは確かだ。
月曜日は入試結果の公表日だったので、早速上記の仕事があった。
博論審査のもう一つのツメも進行中だ。これは、これ以上書くまい。
夕刻には、先日の日英シンポの総括の会合ももった。大学職員セミナーの今後のことも話し合った。それらが終わってから、空腹でもあったので、皆で「ちょっとやっていこう」ということになって、近くの店で二次会を行った。良い気分になったのは結構ではあるが、やはり帰宅後は仕事にならない。意思が弱いというか、つきあいを悪くしなければ、ある局面での仕事は進まないことは分かりすぎるくらい分かっているはずなのに、まことに省察なき我が身だ。深夜の気分は馬鹿な自分をののしるばかりだ。
昨日火曜日は、大学で科研費報告書のことで、印刷屋さんとの打ち合わせ、3月の現代生涯学習研究セミナーのことでの名古屋のNさんとの打ち合わせのやりとり、その他の雑務案件処理がいくつもあり、事務部に立ち寄る用件があった。
夕刻には、北海道自由が丘学園月寒スクール(理事長、鈴木秀一先生)で、札幌市の子どもの権利条例の制定過程やその背後にある子どもの権利の内容と歴史、自分にとっての子どもの権利は何か、などについて、話すことを依頼されていた。報告内容は数日前に、すでに送っていたので特別な準備はいらなかったが、この日の大学での雑務が多く、約束の時間が迫り、急いで学園に向かうことになった。同学園には、今マイクロ実習として、教師になることを目指している教育大釧路校の学生さんたちが1週間ほど泊まり込みで多彩で自由な学習と実習を行っている。夕刻は、研修機会が彼らの希望としても設定されており、「教師塾」と称されている。僕は、そのゲスト講師として伺った訳である。
自由が丘学園は、もう一つの学校というべき存在である。「普通」(果たしてそれは普通なのか?)の学校での修学に、困難を抱えた子どもたちにも自由でかけがえのない学びの機会を提供している学びの共同体である。そして、そのような教育文化的時空間に身をおくことで、教師になるためのもう一つの学びを行っている学生たちが、今日は集まっているのである。僕は、小さな講義をすることによって、そうした学びの空間の構造を逆に学ぶ機会となった訳で嬉しい体験であった。つまりは、子どもにとっての「もう一つの学び」の場において、子どもの学びに協力参加する学生たちが、大学とは違う「もう一つの学び」体験をしている。その渦中に飛び込んで、その学生たちの学び視野をすこしだけ広げるためのささやかな支援・協力をしたわけである。そしてそのことは、僕にとってみても、もう一つの学び体験として存在したわけでもあった。
なお、北海道自由が丘学園のことは、下記のウエブサイトに詳しい。
http://www12.plala.or.jp/hokjioka/
同HPの説明には、下記の文がある。
「北海道自由が丘学園は1998年に夕張市の旧鹿の谷小学校を借りて教育実践を続けて、寄宿生活をしながらのべ100人余りの中学生、高校生を送り出して来ました。2003年11月、校舎を札幌に移し、月寒スクールとして再出発することになりました。『自分らしさ』をキーワードに、自分の目標に向けてそれぞれが生活と学習に精を出しています。
北海道自由が丘学園は、一般的には「フリースクール」として分類されますが、私たちの目標は『市民立』の取り組みによる'子どもたちが主人公、学びの主体者’の教育・学校づくりを目指しているNPO法人です」
同学園は、夕張時代と月寒時代を合わせて10年を越える実践を積み重ねて来た実績があり、その適切な紹介は、下記の文献に詳しい。なお、札幌自由が丘学園は、北海道自由が丘学園と、その志や出発母体をを同じくしているが、現在は独立した形で実践を行っている姉妹校である。
この日は、10数名の教育大釧路校の学生のみなさんに、簡潔な子どもの権利講義を行ったあと、自由な質疑を行った。
「私は、貧しくもなく、不満もなく権利ということをほとんど意識せずに育ってきたけれど、話を聞いて自分にも一回大学入試に失敗したという挫折があり、そういうことを考えると、子どもの多様な背景に眼を注ぐときに、置かれている子どもの気持ちや痛みに寄り添って権利について考えることが必要と気づきました」
「子どもの権利条例制定に反対する人たちは、なぜそのようにいうのですか。その理由を知りたい」
「国連の子どもの権利条約を国が批准したのならば、全国各地でそれが平等に保障されるべきなので、どうして各自治体でこのような条例が制定される必要があるのか」
「教師になるときに、教科や知識を教えることだけでなく、もっともっと学ぶことがたくさんあるのだと気づきました」
自由が丘学園スタッフからは「自分に引きつけて権利を考えないとそれは本物にならないのでないか」など、
率直な感想や質問、コメントがいくつも出されて、僕は精一杯応答して楽しくも貴重な時間がもてた。感謝したいところである。
帰りには、スタッフのY先生が、鈴木秀一先生と一緒に送ってくださり、鈴木先生がこの学園に寄せられている希望や意気込み願いというものの一端に触れた気がした。また、先生とは、僕の恩師の幾人かについての、思い出やエピソードについて貴重ないくつかのお話が出来て嬉しいことでもあった。
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