週末からは、東京での若者関連の企画事業(中央フォーラム「若者が地域をつくる」+全国青年問題研究集会)に参加し、運営の一端も担った。帰札は、日曜遅くであった。
3月5日(金) この日の教授会は、審議事項も多く、長引いた。博論審査を担当した申請者は、無事に投票を通過した。少しは安堵感が出た。
夕刻、教授会終了後、東京に移動すべく、駅に預けてあった荷物をもって空港に急ぐ。しかし、朝方の降雪で、ダイヤが乱れていたこともあり、羽田着は定刻よりも相当に遅れた。会場の日本青年館には、深夜12時半での到着であった。
3月6日(土)
朝、シャワーを浴びてリフレッシュする。
8時半に打ち合わせをして、9時から、「中央フォーラム」の担当のセッションを始める。前夜までの疲れが残っているが、ここは気分を切り替える。
http://www.dan.or.jp/forum/index.htm (左のwebに全プログラムが載っている)
中央フォーラム 特別プログラム(パネルディスカッション)■ 3月6日(土) 9:00~11:00
「地域で若者が輝ける環境をつくるには」
コーディネーター:これは小生の役である。
パネラーは、下記の方々である。
発言者:海東 英和 氏(前滋賀県高島市長、元日本青年団協議会副会長)
新旭町役場職員、新旭町議会議員、新旭町長、高島市初代市長を歴任。青年団活動で鍛えた行動力と若さを活かし、皆が仕合わせ(しあわせ)になれる仕組みづくりとともに、「ない ものねだりより、あるもの探し」をモットーに、郷土の魅力や宝物を見つけ、磨き、地域の元気を作り出す活動を展開した。昨年話題なった事業仕分けの仕分け人「内閣府行政刷新会議ワーキンググループ評価者」でもある。
発言者:畦地 履正 氏(株式会社四万十ドラマ代表取締役社長)
旧十川農協を退職し、四万十川流域旧3町村が出資、設立した(株)四万十ドラマの事務局長に就任。四万十川の地域資源を活かした商品開発や販売に携わり、2007年から現職。道の駅「四万十とおわ」の指定管理者として運営し、「若者が地域に帰って来たい」と思わせる核施設だと評判。2006年度「立ち上がる農山漁村」に選定されるなど"地域おこしの仕掛け人"として全国から注目されている。
発言者:内田 和浩 氏(北海学園大学経済学部地域経済学科教授、元相模原市教育委員会社会教育主事)
中央大学卒。相模原市教育委員会社会教育主事(公民館勤務)を経て、北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。後、北海道教育大学等で助教授、教授を経て、2008年より現職。博士(教育学)。ここ10年の間に、中頓別町・上川町・南幌町・小平町・浜頓別町等の「社会教育中期計画」等の策定にアドバイザー等として関わり町の発展に貢献。
会場には100人余の参加者。熱心に報告に耳を傾けている。
パネラー同士の討議、会場の参加者を交えた質疑であっという間に2時間は過ぎることになった。予想はしたが、昨年の行政刷新会議の仕分けにかかわった海東氏への質問が多く出た。質疑では熱い応酬議論もあった。また、他方では、四万十流域での地域おこしについての魅力的な事例報告をされた畦地氏にも若者たちから質問が集中した。内田氏には、若者事業支援の行政職員のありかたへの議論が集まった。
コーデイネーターの僕は、こうした議論の交通整理が役割であったが、時間超過しないようにコントロールするのが困難なほど議論は沸騰したといえる。
この日の議論の焦点は、①若者の地域づくりへの、行政支援の仕組み、予算の確保、②自らがkey manとなってのNPOなどの社会的キギョウ(起業と企業)を起こしていくことの可能性、③若者支援や地域おこしにかかわる専門職や役場の役割などであった。それぞれに示唆に満ちた刺激的な報告であり、それへの応答も刺激的であったといえる。
このセッション終了後は、僕は青研集会の分科会助言者としての役割が待っていた。会場は、分科会毎に割り振られて、「道府県団運営について」が担当であった。
この分科会のまとめについては、別に書くこともあるので、詳しくは触れない。
6人の現役の県団団長や事務局長のレポート報告がされ(沖縄、北海道、福井、宮城、宮崎、栃木)、それに司会の二人(日青協・高知、香川)、助言者の二人(日青協会長OBのNさん、それに僕だ)の計10人である。
青研集会は、レポートを軸にしながら、それに本人の詳しい補足説明と参加者の質問を重ねて、討議を行い、そこに助言者からの別の視点や光をあてて、一人一人の活動のふり返りと今後の活動課題を明らかにしていく丁寧な学びの場である。
時間がかつてより、短くはなったといえ、実に濃密な討議を一日半をかけて行った。(夜半は、真剣勝負の交流が待っているが、その全過程へのつきあいは体力を要する。)
強い個性をもつ6人、それに司会の熱き情熱とクールな理性の2人が醸し出す雰囲気は、迫力あるものであった。参加者が、共に真摯に相手の話を聴くこと、そして率直に自分の思いを語ること、人間的に誠実な気持ちを前提に、話は広がっていった。時に大きな笑いもはじけ、報告者へのつっこみや熱い批判もかわされ、気持ちの良い時空間がひろがった。
全国組織の日青協、さらに道府県団、そして、市町村団、地区団という構造をもつ青年団組織の中で、県団役員は何をするのかがこの分科会のテーマである。
三役など役員の強い「信頼」をいかに築くか、団長のリーダーシップと支え支えられ、励まし合う関係はいかに可能か、県団が抱える現代的諸課題をいかに自分の問題として受け止めるのか。熱い議論は止むところを知らないのである。
それは、主要には、以下のことだった。
①団の組織力低下との関係で、行政との信頼とパートナーシップをいかに太く強くするか。
②財政強化の智恵はないか。
③団員拡大の秘訣と王道は何か。
③今の団の中での、不信や人間関係のトラブルをいかに克服するか。とくに、団員相互の協力信頼関係を築く努力や工夫は何をしているか。
④若者の一人一人のニーズを受け止め、魅力的で面白い活動をいかにおこしていくか。
⑤青年団以外の多様な人々との交流やつながりをどのように広げるか。
⑥団長がそれぞれに経験した青年団での成長をいかに若い団員に伝え継承していくか。
⑦青年団の力や活動をいかに社会に還元していくのか。等々である。
3月7日(日)
朝食後、昨日に引き続く分科会の討議。昼には、討議を終えて、各自の抱負や課題を共通に確認した。午後は、分科会のまとめ報告、その他の多様な部門での表彰など、エンデイングの集いがあった。
教宣、新聞、web、等々の部門毎の表彰である。
沖縄県団のT君が受賞に嬉しそうである。
現在の日青協執行部の面々である。
全日程終了後、急いで羽田に向かい早い便への変更の望みで直行したが、予約便以前の時間帯は満席である。いたしかたない。通常の帰宅の行程をたどって、夜の10時過ぎには家にたどりついた。この日は、連れ合いは別日程で本州に出向いており、犬の散歩はペットシッターにお願いしてあった。夕食の餌はまだなので、急いでつくり、待っているシローに運んだ。シッポを思い切り振って、嬉しそうである。
p.s.
翌日、分科会司会を行ったTさんから、気になっていたK県のS君が、三役で話し合いをして、協力を確認しあったとの朗報がメールで届いていた。Tさんは気配り細やかでまことに清々しい方である。
最近のコメント