清州、益山、全州などの韓国農村教育調査を終えて、公州大学校に戻った。今度は、韓、中、日の国際シンポ;゛Educational Welfare Approach to Develop Asian Rulal Education゛の始まりである。
ゲストハウスからの朝方の公州大学校キャンパス内の風景。山を切り開いてのキャンパスだ。
8月12日(水)
日韓双方院生の交流発表の機会を設けてもらったことへの日本側代表のSさんからの感謝の挨拶。
韓国側院生の発表。池熙淑(Jee Hee Suk)さんの報告。
この日は、日韓双方の院生の報告、終了後は、院生同士は交流、教員は、前韓国副総理の金信一先生を迎えての夕食、交流であった。日韓双方の院生の問題意識や方法は、共通する視点とともに、日韓固有の問題意識もあって興味深い内容であった。教員側は発言を控えてひたすら聞くことに徹した。彼ら若いメンバーが今後、両国社会の担い手になっていくのだ。夕刻からの交流では、公州大学校のメンバー、H大学の教員、中国中央民族大学、金信一さん、チェドンミンさん(尚志大学校)たちとの親しい話し合いや社会的交友の時間だった。
8月13日(木)
昼食時の学内レストランからの遠景。昨夜来の雨で、錦江が豊かな水をたたえている。
この日、午前は、Key note speakerの金信一さんの基調報告、次いでSession1;Tasks of Rural Educational Policy in Korea,China and Japanがあり、午後は、Session2; Tasks of Rural Social Education,であった。
午前の基調報告及びセッション1の討議については、僕はコメント役であったので僕が話した概要を以下に記しておこう。
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8月13日 基調講演;金信一「アジア農村教育の展望と課題」、及び第一セッション;韓・日・中の農村教育政策の展望と課題」の3報告(鈴木敏正、マ・ジョンボム、イム・ヨンギ)各氏へのコメント
姉崎洋一(北海道大学)
この第一セッションでは、金信一先生の「アジア農村教育の展望と課題」の基調提案を受けて、鈴木敏正氏の「日本農村の教育的再生とコミュニテイネットワーク」、マ・ジョンボム氏の「中国農村教育概況と教育福祉政策」、イム・ヨンギ氏の「韓国農山漁村の教育福祉発展課題」の3本の報告を聞きました。4本の視点と視角が違う報告を続けてお聞きしたわけです。ではありますが、それぞれのご報告は、まさしく、第二部の「アジア農村教育の教育福祉的な接近」に対して、各先生の依って立つ現実を踏まえて、そこで培われてきた実践と理論をもって個性的にアプローチされ、多声的なコーラスを聞いたような思いになる内容でした。
1 一枚のタペストリーに浮かぶ三つの絵模様-三カ国の農業・農村・農民
最初に全体的な印象を申し上げます。金信一先生及び三人の先生方のご報告は、私には一枚のタペストリー(tapestry)に浮かび上がる三つの色合いが微妙にそれぞれに異なりながら連なっている絵模様のようにも思えました。微妙な色合いや濃淡の差がありながらグラデーションを伴って綴れ織られているように見えたからです。東アジアという地域において、歴史的に古くからのつながりのある韓国・中国・日本という三つの国が、近代化以降歩んできた道筋には複雑な政治経済的経緯や、産業化、文化発展のテンポなどに違いがあります。しかし、その差異にかかわらず、どこかに共通する色調があると思ったからです。それは、恐らくは、欧米社会と共通する工業化・都市化・都市勤労者化の流れを持ちながらも、それに止まらない東アジア固有の農村社会、農業、農民という存在に起因するものでしょう。
都市と農村の統合や止揚の問題は、古くて新しい問題です。それを、如何に現代的にとらえかえし、統合的に未来展望を描くかは、東アジア国家社会-とりわけ、未来の東アジア的福祉国家レジーム構築の視点から-にとって避けることができない鍵的課題です。
2 金信一先生の提案に触発されて
この点において、金信一先生の基調提案は、巨視的なスケールでの三カ国の現状分析と未来への問題提起をした内容で含蓄に富む内容でした。先生の提示した農村人口(韓国18.2%、中国59.1%、日本34.0%)、農家人口(韓国7.1%、中国63.7%、日本2.8%)、農林漁業がGDPに占める比率(韓国3.4%、中国12.5%、日本1.5%)という三つのデータ指標比較から浮かび上がる現実イメージは、以下のようなものでした。すなわち、アジアが「農村中心の国家」という姿を歴史的基礎構造に持つものの、急速な社会経済的変化は、根本的に「農村」概念を変容させ、「農村は、食料生産機能を担当する農業だけのための空間ではなく、農業に従事する農民だけのための空間でもない」ものに変えつつあるという現状認識の転換を迫るイメージです。つまり、「農村」は「農業と非農業、農民と非農民が共に生きていく新しい」「社会空間」に変わりつつあり、その意味で、「農村学校」とは単純な農業のための、農民の子どもたちの学校ではなく、新たに「田園学校」として再創造されるべきとされます。また、「地域再生」とは、単純に、産業化で解体された過去の農村を再生させることではなく、都市と農村と双方の相互補完と共存を前提として、新たな統合によって都市と農村と双方を共に再生させるものでなくてはならないとされるものでした。そして、そのことに貢献できる平生教育システムの構築をと言われたのでした。金信一先生の提起は、その巨視的な展望において、大いに共感を覚える内容でした。
3 私の中の都市と農村の原風景
私個人のことを申しますと、私は、1950年生まれで今年58歳です。日本海側の富山県の漁村で生まれ、農村で幼少期を過ごし、その後高度経済成長期に押し出されるようにして太平洋側に転じて、大都市(工場地帯や住宅地、その後の度々の引っ越しがあるものの)で青年期以降を過ごして来ました。私自身、現在大学教員でありますが都市勤労者としての暮らしをしているわけです。私は、農漁村で幼少期を過ごしましたが、金信一先生の言われるように、農村出身ではあるものの、既に二代にわたって非農家、非農民であった両親の下で幼少期に農村に暮らした訳です。そして農村生活経験は、私のふるさと意識の原風景に影響を与えていると思っています。そして、およそ、過去60年間の日本の農村と都市の急激な変貌に立ち会ってきたわけです。そのことの詳しくは、ここでは申しません。また、鈴木先生が、農業基本法(1961)、食料・農業・農村基本法(1999)、地域再生法(2005)、農地法(2009)といった日本の農業政策の変動を簡潔に整理されましたので、その逐一に触れる必要もないでしょう。ただし、一言、申し上げれば、日本では、現在「限界集落」という言葉が端的に示すように、中山間地の「限界集落」に代表される人々-殆どが65歳以上の高齢者集落でもありますが-の暮らしは、医療、福祉、農業生産、地域の安全保安、行政へのアクセス、等々あらゆる点で、限界点に追い詰められています。これと対極的な位置にある都市住民においても、その利便性はあくまでも、資本・企業の収益性のためであって、個々の住民は、劣悪な住宅環境、通勤通学地獄、過度に競争的な教育、貧困な食環境、人間の尊厳を脅かす福祉、などに加えて、この間の人材派遣法の改悪による非正規労働の増大、正規労働者のオーバーワークによるワーキングプアの状態が恒常化してきています。とりわけ、若者や中高年の人々には、「溜め」のない悲惨な「すべり台社会」の貧困が顕在化してきています。要するに、農村も都市もそこに暮らす人々の人間的尊厳は、ギリギリに追い詰められているわけです。
従って、個人がアトム化された都市においても、共同体がバラバラにされた農村においても、それらを再生するための社会資本の再構築が不可欠になっています。第二セッションの三人のご報告は、この点で、使われる用語の違い、処方箋の差異性がありますが、ほぼ共通する方向性が掲げられているように思えます。
4 3人の報告へのコメント
そこで、各報告へのコメントを以下に記します。
第一に、鈴木氏の報告は、地域再生から地域創造へというダイナミックな発展的視点を提示しています。その場合、それらが単に経済的な再生や創造の議論に止まるのではなく、人々の生き方と希望の根幹に関わる教育再生と地域再生をふくんだ教育的自治による地域創造という課題を提起しています。そこには、日本における多様なコミュニテイネットワークの事例紹介(例えば、その典型として長野県飯田市、松本市、北海道標茶町)を通しながら、学校、公民館、自治組織の有機的な結合によるトリアーデ(三者連関)ともいうべき学習ネットワークの意義が提起されています。とりわけ公民館を核とした学びのトリアーデの構築というところに、鈴木報告の核心があります。この場合の学びとは<自治-政治学習>が基盤にすえられています。私は、このような地域再生-地域創造の<自治-政治学習>的アプローチは、昨年サバテイカル研修滞在で、見聞した英国の貧困・過疎・産業崩壊地域のバーンズリーやシェフィールド、リーズ市周辺地域での大学やWEAと地域住民との協働によるactive citizenship learningの活動と共通する精神を感得しました。
第二は、マ・ジョンボム氏の報告についてです。
マ・ジョンボム氏の報告は、日本語ペーパーがなく、英文要約、中文ペーパー、通訳の要約紹介から判断せざるを得ませんが、その主旨は、一つには、近年の中国の経済成長と教育とのダイナミックな相関関係があること、国家社会の発展に果たす教育の果たす役割の大きさが認識されているとともに、中国の教育が抱える問題点も大きいことの指摘でした。その最大のネックは農村部の教育体制の遅れというものでした。具体的には、約13億人の人口の内、農村部に7億人が暮らし、36万校に及ぶ小中学校の大半も農村部にあり、1億6000万人に及ぶ初等中等学校の生徒の80%が農村過疎部に暮らしている現実です。しかし、これまでに、農村教育の改善努力があるもののそれは十分ではなく、一番大きな問題は、農村と都市部の教育の深刻な格差構造が存在するというものです。マ先生は、この解決のために必要な課題を幾つか提起されました。一つは、教育の条件整備の飛躍的拡充です。すなわち、農村部の義務教育の拡大と機会均等の推進、農村の教師人口の拡大と処遇改善、農村義務教育運営費の拡大、学校の安全保障の拡充などです。二つには、そのために国、省、地方の教育整備のための法的体系整備があげられ、三つには、教育拡充のためには、56に及ぶ少数民族のための教育整備や、住民登録制度改革(農民工の子女教育)など、教育福祉的課題があることを指摘されたものでした。
私にとっては、中国の巨大な面積と人口をあらためて確認すると共に、その民族的構成において、漢族が圧倒的多数派を占めるとしても、56の民族、80の言語、39の文字を持つ民族的多様性国家であること、そして少数民族の大半が農村部に居住していること、沿海部都市や内陸部工業都市など経済発展地域に比して、雲南やチベット、ウイグル地域、東北部などの経済的貧困を強いられている地域との格差性など、中国にとっての農村部の重要性をあらためて再認識した次第です。そして、その農村・過疎地の現実から、理論も実践も政策も、出発するしかないという重みを受け止めること、同時に今回参加された中央民族大学学部長のモンゴル民族出身であるSu De先生の内モンゴルの草原に朗々と響いていくような歌声に魅力を感じながら、そうした民族の文化的個性の尊重を前提にした教育福祉改革が重要なのだと考えました。
第三は、イム・ヨンギ氏の報告です。冒頭の「人が生まれたらソウルに送れ」という韓国の諺は、象徴的な表現でした。日本でも東京一極集中(政治・経済・文化・教育・情報・出版・国際拠点性などの中央集中度)は強く、それに次いで、大阪、名古屋の大都市圏への集中があるのですが、韓国の方がよりソウル一極集中が強いのだと改めて考えます。それに比して農村部の劣悪な状態が深刻化していること、とくに経済的要因、教育格差問題がそうであるとの指摘は、日本と共通する問題です。しかし、イム・ヨンギ氏の報告は、農村部の教育の劣悪さの単なる批判や告発ではなく、それを克服すべき課題の提示と積極的実践事例の紹介がなされ、目指すべき方向において示唆的なものでした。例えば、農村漁村の寄宿型公立高校の設立、同じく農村漁村部のヨンジュントルボム学校(日本語ではどう訳されるのか?)とチョヌウオン学校(これは田園学校のようであるが)の三つの教育福祉的支援事業事例は、力強い内容でした。
イム・ヨンギ先生が、今後の課題としてあげられた、政府と地域の統合的な努力による教育再生、学校・家庭・地域の統合的教育機能の回生推進、農村漁村部の学校教職員の力量と資格の拡充、処遇の改善、教育循環勤務制の推進、さらには農村過疎地出身の高校生への特例入学の必要、教育福祉士の整備、「(仮称)農山漁村教育支援特別法」の整備など、要するに①財政支援の改革、②教師の専門的人力の拡充、③法的基盤整備、など、総合的教育福祉の接近(total educational welfare system approach)という問題提起は、説得的なものでした。
5 全体的感想と課題
基調提案と三つの報告を聞いて、私が感じたこと、そして深めたいと考えたことは以下の点です。
一つは、金信一先生が提起するように、東アジア(韓・日・中)の農村部の地域再生には、単純に古い農村部、農村共同体に戻すのではなく、農村パラダイムの転換を含む、新たな農村再生戦略が必要だということです。それは、欧米とも異なる、(東)アジア固有の都市と農村との循環、補完、共存を前提とした持続可能な社会再構築戦略ともいうべき課題です。
アジアの農村共同体問題は、既にマルクスの理論枠組みにおいて指摘されていたことでもあり、古くて新しい問題です。また、農村再生戦略を、田園社会論、都市と農村の共生社会論、あるいは教育経済文化共同体論など、これまでに論じられてきた議論とどのように架橋するかは、これからの理論的実践的課題と考えます。
二つ目は、現実を変えるオルタナテイブをいかに描くかです。日本側が鈴木報告に見られた、学校、公民館、自治組織の学びのトリアーデ、(とりわけ公民館の役割の重要性に着目しながら)と多様なコミュニテイネットワークによる教育自治的再生(地域再生+教育再生)を提案しているのに対して、中・韓のマ・ジョンボム報告、イム・ヨンギ報告が共通して提起しているのは、農村部における「統合的教育福祉アプローチ」です。そこには、財政、人力、法的整備を核としながら、学校(平生教育も加わるが)を軸に、農村部の再生を提起しています。この両者の共通性と差異性をいかに区別と関連のなかでとらえるかが、この第二セッションでの課題です。
三つ目は、僕のやや思考中の課題です。それは、一つ目の論点と重なりますが、都市と農村の統合的再生という課題は、アジア的福祉国家レジームの再構築という課題とリンクします。現代において、福祉国家モデルには、国際的には、北欧型福祉国家モデル、欧州大陸型社会民主主義的福祉国家モデル、英米型ワークフェア国家モデルが主潮流をなしますが、日本や韓国、中国は、どのようなモデルをめざすかです。日本はこの間、英米型モデルに引きずられ都市部農村部を問わず、人々の暮らしと福祉には悲惨な事態が生じています。そのような事態と決別して、新たなモデルを構築していくには何が必要なのか。
少し関連する事例を出してみます。高等教育発展モデルにおいて、マーチン・トローモデル(エリート→マス→ユニバーサルアクセスのタイプ分類)が著名ですが、トロー・モデルはあくまでもアメリカの社会文化コンテクストの中で構築された理論モデルであって、欧州ですら最近まではその仮説適用可能性が制限的なものでした。まして、日本においてどれほどに適応可能なのか(トロー自身日本や東アジア諸国については禁欲的でわずかしか言及していません。)について、M・トローを最初に日本に紹介した天野郁夫氏も最近の論文で疑問を吐露しています。国際的普遍性と、地域的固有性・独自性をいかに統合して考えていくか、それは私たちに共通に求められている研究課題かと考えます。
以上、拙い感想を申し述べました。
この日の夕刻には、公州大学校師範大学(教育学部)学部長の崔成吉(チョウスウオンジル)さんと副学部長の方々他と親しく交流した。学部長と副学部長は、9月のH大学教育学研究院・教育学部の60周年記念行事に来学していただくことになっている。
なお、8月14日は、Session 3; Tasks of Rural School Educationであった。これらについては、詳しくは、また別の機会に書くとしよう。
14日は、終了後、百済国立博物館見学を行い、ソウルに移動した。一泊しての帰国である。夕刻時には、昨年H大学に大学院留学していたチョホンソンさん(韓国教育科学技術部)に案内してしていただいて夕食を共にした。
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