5月3日 (月)
前夜は、食後しばらくしてから、温泉にゆっくり身を沈めた。深夜にめざめてメールチェックなどしたが、その後は再び起きて仕事をするには、体が追いつかず、休養、休養と、眠りに入った。
この日は、憲法記念日。9条改正反対は67%と朝日新聞の世論調査が報じた。普天間基地をめぐる動向も気になって仕方がない。出発直前には、こどけんでの札幌のこどもの福祉の実態の厳しさに関する議論がされていた。それらにも、十分な応答もせずにきた。しかし、それらを心の片隅におきながら、この日は自然と向き合って時間軸を過ごすことにした。
朝ホテルを出て、5月1日に開通したばかりの知床峠(この期間は10時から午後3時半まで)を越えての羅臼方面への移動である。ホテルへは、夕方再び戻ることになる。
知床峠に向かう前に、知床五湖の一湖、二湖を散策する。
蛙が湖の湿地で大合唱である。二湖を進んだが、途中で通行禁止表示。途中、熊が出たようで危険防止措置である。致し方ない。一湖に回る。ここは、木道が高さ数メートルでできており、周りには電気柵があり、熊は侵入できない。
知床五湖散策後、10時開通を待って知床峠に向かう。危惧するように、開通待ちの車の長い列が並ぶが、結果は、それほど待たずにゲートを潜ることができた。
知床峠を越えていく。10数年をかけた難工事だったようだ。羅臼に出る途中にひなびた温泉がある。森重久弥・加藤登紀子の「知床旅情」の曲は、これらの温泉でのロケ時間待ちだったとか読んだようなきがする。果たしてそうだったかしらん?
ウトロから羅臼への行程マップ。赤い線で囲った楕円内がクジラ・イルカ・オルカクルーズの範囲。
右手は北方領土の一つである国後島。眼には見えねど、海上にロシアとの「国境」線がある。今は、双方のレーダー監視網が、チェックしているようだ。日本の漁船拿捕の事例は、数多い。そうした「国境」の緊張が分かるような距離だ。
羅臼から、ほんの目と鼻の先の国後島は、やはり日本の領土と考える方が自然であり、納得できる。しかし、ナショナリズムと狭量な国民国家論は、排外主義にも帝国主義にも通じるところがある。歴史的にも、固有の領土であるとの明快な主張が必要であり、平和的な対話の持続による両国の合意こそ大事だが、日本の旧島住民が日本に追い出され、現在はロシア人が居住して65年経過した現実の歴史がつらいところだ。日本に復帰するとすれば、それはいつ可能になるのか。政府の対外ロジックの弱さを思うと、悲観的にもなる。しかし、それでは情けない。そんなことをつい思ってしまう距離だ。
この日乗船するクルーズ船。エバーーグリーン号。長谷川正人船長の操舵と舳先のハルちゃんのかけ声と呼吸が何とも良い。前のクルーズでシャチが現れたとの情報。やったね。ラッキイである。期待が高まる。
港内には海上保安庁の巡視船が常駐。砕氷能力のある巡視船は後方だ。
いくつものグループが観察される。母子親子連れ。若い雄グループ。単独走行など、右に左に悠然と泳いである。成獣の雄は8-9メートルの大きさだ。この日の多くは、母シャチをのぞけば、若いかあるいは子どものシャチだった。
見ていて飽きることがない。悠然としていてかつスピードは相当のものだ。
写真を多く撮ったが、ここでは一部の紹介である。豊饒な海。そしてそのほんの鼻先に国後島があり、そこから択捉、歯舞、色丹と四島が連なっている。北方領土問題と言い、沖縄の米軍基地問題と言い、我が国の対外主権の独立性は、どうなっているのだろう。
くじらやシャチには国境はない。人間世界をどう見ているのだろうか。
水凪鳥の大群だ。これからもっと数が増えるとのこと。はるか南のタスマニアから飛んできたという。この船を使って、NHKで取材が継続されていて、この夏先に放映されるという。
帰港後、別海町の野付半島に寄り、トド原を見に歩いた。ハマナスはまだ季節が早い。
この日は、知床峠の閉門時間を過ぎているので、斜里経由でウトロのホテルに戻った。
どういうわけか、シャチを追った眼の記憶が、午後一杯ずっと続いていた。ほどよい疲れが出て、温泉では湯船で眠りそうになった。
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