9月4日(金) 事務的な仕事の後で、研究生の指導が、あり、それが済むとその他細々としたことが続く。教授会が長くかかり、夕刻終了。家にもどっても雑務が続く。
9月5日(土)朝8時のフライト。睡眠時間が少なく、機中は殆ど寝て過ごした。この日から、京都・龍谷大学での日本学習社会学会第6回大会の参加だ。神戸空港に降り立ち、ポートライナーで、三ノ宮駅へ出る。
神戸空港は、潮風を含んで蒸し暑い。まだ夏の陽光がここでは健在だ。
JR新快速で三の宮から京都まで(途中信号停止事故で少し遅れるが)急ぐ。そして駅から大学(大宮学舎)までタクシーと乗り継いで、何とか理事会に少しだけ遅れて参加となる。この「学習社会学会」は、まだ若い学会である。会員も300名弱で、中規模だ。領域的には、学校教育、社会教育・生涯学習、教育社会学、(教育)行政学、比較教育などを中心とした学際的領域からなり、ややファジーではあるが、「学習社会」という対象を総合的に考察しようという訳だ。会員構成上、ある大学の出身者が相当程度多い。また、研究者だけではなく、学校や、NGO、教育委員会、行政などの現場を拠点にもつ会員も一定数はいる。僕はその点では、殆ど、孤独な存在だ。ただし、僕のように群れない人や、いくつかの大学のマイノリテイグループもいる。学会は、すべからく、多様な人的構成とオープンなスタンスがのぞまれる。そうでないと、多数派出身大学の階層秩序や政治的学風、体質が持ち込まれるからだ。ここでも、時に、その匂いがするときがあるが、全面的ではない。この学会は、その点で、異論の自由、批判的発言、研究上のある種の制約からの自由がまだ保てている。つまり、学会として、まだ何とか会員の研究の独立と自由を保てているのではないかと考える。だから僕も、加入したのだ。
午後は、課題研究1で「学習社会における「生涯学力」形成の課題」Ⅲ」。3年目の研究という。昨年、一昨年は、他の学会や校務と重なり参加できなかった。
コーデイネーターは前田耕司会員(早大)で、研究の趣旨や目的、基本的な研究枠組みなどが紹介された。次いで、金塚基会員(東京未来大)からは、過去3年の各国報告(英国、ロシア、メキシコ、韓国、カナダ、中国、EU)の概要紹介がなされ、次には、総合学習の視点から、金山光一会員(相模原市立小学校)実践報告がなされた。
また、「「生涯学力」の向上を目指した教育支援コーデイネーターの役割」と題した梶野光信(東京都教育庁)会員の報告があった。過去の研究報告は、同学会年報4号、5号に掲載されているようであるが、この日に受け取ったので、僕は、まだ熟読できていない。そうした、自分の論議参加の条件を抜きにして言えば、①「生涯学力」という概念は、いかなる定義で何を内容としているのか。「生涯学習力」などと言われる事柄とどう違うのか。②各国の研究概要は正鵠を得ているのか(僕にはいくつか異論もあったが)、③実践のリアリテイ、子どもたちの生き生きした姿などに賛同しつつ、「総合学習」の重要性根拠においてPISA型学力(主に科学リテラシー)を所与の前提として、その到達成果の優秀性を比較して評価尺度にして良いのか、④「教育支援コーデイネーター」は、その役割や良しとして、既存の専門職とどう重なり合うことになるのか、あるいは制度としての定着やリアリテイを有しているのか、等々素朴な質問が頭をめぐった。⑤かつ、このような「生涯学力」を、教育人材養成政策的文脈下においてみると、知識基盤社会における強い個人のコンピテンシーなどと連動されがちであることも事実であり(この日は「社会的実践力」に統合されるとの報告であったが)、そういう枠組みから、push outされたり、排除される人々の問題は、誰がどう関与し、解決しようとするのか。国や社会によっては、こうした問題に真正面に立ち向かっている実践や政策もあるが、日本においてはどうなのか。 そうした疑問や質問の一部は、報告者の方々の示唆的な内容に敬意を表しつつ、発言で控えめに申し上げたが、どこまで伝わったものなのか。
なお、「××力」というコトバも今や教育界では流行コトバの(すぐに死語化したいくつかの◎◎力もあるが)一つである。(学力、基礎学力、人間力、学士力、21世紀型学力、社会的実践力、コンピテンシー、キーコンピテンシー、エンパワーメント、リテラシー(識字力)、教育力、学習力、etc)当然ながら、コトバが増える分、内容はいっそう曖昧で、リアリテイを喪っていく。
その意味で、「生涯学力」というコトバを用いることで、今までの理解以上に何がより明瞭になり、具体的になるのか。それは暫定的な結果(指数化されたり、測定可能なのか・・)なのか、プロセスなのか。また、各国社会での受容されている意味合いや、それが、政策、実践、文化的文脈、等々について、どう違うのかなど、問題提起は、問いを生み出し、答えを求める。その問題の一部を、この日の課題研究部会は明らかにしてくれた(問いや疑問は深まった?)といえる。
次のセッションは、自由研究。いくつかの分科会のうち、カナダのバイリンガル教育、台湾におけるTA制度、中大連携による国際理解教育、不就学に陥った子どもたちへの支援-エスニックコミュニテイの役割、などの報告を聞いた。刺激もあり、新たな知見が広がったといえる。
総会と懇親会がその後続いた。総会では、川野辺敏会長挨拶やこの大会実行委員長の小島弘道(龍谷大)氏の挨拶、龍谷大学文学部長からの歓迎挨拶などにつづき、事務局からの会務報告があった。
懇親会では、幾人かの会員と多様な話題について、フランクに懇談した。
夜のライトアップされた校舎。大宮学舎は文化財(歴史的建造物)も含み、なかなかに趣がある。
龍谷大は西本願寺境内に建立された「学寮」(寛永16年、1639年)を淵源とする。その意味で、創立から370年の歴史というのも分かる。ハーバード大学の前身、ハーバード・カレッジ設立が1636年であるので、ほぼ同時期ということになる。さて、厳密に、大学史的に考えるとどうなのだろうか。ヨーロッパ西欧モデルと東洋型仏教学僧養成所の接続をどうとらえるか、他の佛教系大学も同じように考えているのだろうか。ベトナムや中国、韓国などもその意味では、学問研究、学者養成機関は、近代以前にもあった。大学というものを西欧モデルですべて説明可能なのか。それは、「智」「あるいは「知」をどう考えていくのかということに行き着く。東洋と西洋、あるいは伝統的知と近代的知の違いと共通性。何やら、かつて議論された知の葛藤の問題にもっどっていくようだ。これらは、素朴な疑問だが、案外難しく、重要な論点である。
9月6日。学会2日目。
この日午前は、課題研究Ⅱ「学校支援と学習社会の創造」と題したテーマの部会に参加した。
報告者は、貝ノ瀬滋(三鷹市教育長)氏、生田義久(京都市教育政策監)氏、竹井敦史(兵庫教育大)氏の3人である。三鷹市の学校支援地域本部事業、京都市の教育改革(市民参画、学校運営協議会、学校評価などの事業を軸に)、公教育ガバナンスと学校支援地域本部(三つのガナバナンス戦略;取り込み戦略、協働戦略、再組織化戦略)の理論的枠組み報告である。
学校支援地域本部事業をどうとらえるかは多様な論点が存在する。政策的理念的分析は、恐らくは単純ではない。僕は、政策分析的視点や法的文脈からの見解は論文等で報告もし、僕なりの見解も有している。従って、手放しで賛成はできない。しかし、同時に、実践的な側面での改善、改革的可能性も存在する。
この日の貝ノ瀬氏の報告は、教育長としての立場からの報告であり、政策的理論的な面での検討といったことは、一応横に置いた上で、どう実践上内容を豊かにつくっていくのか、それを政策実施側から分析総括したものであった。また武井報告は、SSN(スクール・サポート・ネットワーク)事業評価を踏まえながら、学校支援地域本部事業そのものの実践内容には、やや距離を置いて、公共政策評価論的に論じたものであった。また、それらとも少し異なった文脈での京都市の教育改革の政策的実行過程分析が、政策当事者の生田氏からなされた。京都市の改革については、かねてから自民、民主、両党も注目し、前教育長であり現市長の門川大作氏は、この改革の仕掛け人であり、教育再生会議委員でもあった訳で、きわめて教育政治学的対象でもある。学校を軸としての地域統合、地域パワーポリテイックス改革実践でもあり、当然ながら批判も存在する。教育政策論としては、その懐が深く単純には論じられない内容をもつ。京都市の教育改革については、これまでに、多様な見解があることも承知しているし、その政策・改革分析や批判的・肯定的双方の評価を読んではいる。従って、その内容評価については、この日の報告だけでは仔細には分からず(額面通りには受け取れず)、より突っ込んだ調査や、利害の異なる関係当事者の評価を聞かなければ分からない面も多いように感じた。学校支援地域本部事業についても同様である。武井報告の理論枠組みに従えば、三鷹市も京都市も文科省も取り込み戦略と協働戦略の中間に位置することになり、再組織化戦略は内閣府・首相サイドということに分類され(果たして、次期民主党政策はどうなるのか?)ることになるようである。実践に距離を置いた「客観的」政策評価は、中立的なようでいて、意外に政策に影響する。しかし、それが、どれほどに有効性とリアリテイがあるものなのか。そういうことも多分検討が必要になるのだろう。(なお、僕は、いくつか質問もした。京都の改革については、生田氏には僕の質問意図があまり伝わらなかったようで申し訳なかった。武井氏は、三鷹と京都の評価は想定外だったようであり、答えは、上記の追確認でもあった)
いずれにしても、この日の三報告には、僕には、僕なりのやや醒めた眼や、独自見解もあるが、ここでは、不正確な評価はしたくないので、これ以上は書かない。ただし、その意味で、研究の深化の必要を刺激いただいたので、三人のご報告には大いに感謝である。
門川大作・京都市長が和装スタイルで現れ(和服が好きだという)途中で挨拶した。
帰りの飛行機の関係で、午後の公開シンポジウム「学習社会における「教育の不平等」について考える」参加は、やめることにした。内容上、興味深かったが、必ず、途中退出になり、フラストレーションがたまること必至であり、またこれ以上聞き続けることも、やや疲労を感じてきたからである。帰りは、関西空港からである。
京都駅ビルの景観は、やや古都のコンセプトに対して違和感が残るが、これで建ってから何年になるであろうか。いつも思うが、京都の人たちはどう感じているのだろう?多分、賛成、反対両論あるのだろうけれど・・・・
関空へは、高速バスで向かった。空港での時間待ちもあり、出発時には、千歳の濃霧情報が流れ、関空や羽田へ引き返すかも知れないとの条件付きフライトだった。何とか無事に着いてやれやれである。しかし、帰宅は10時過ぎだった。疲労もピークだった。
かつて、名古屋時代や埼玉時代は、京都は身近でしょっちゅう出かけたので、地理的、心理的に近かった。従って、ありきたりの観光にはもう興味はない。今は、むしろ、その歴史性や人々の思考回路に興味がある。しかし、今の北海道(アイヌ時代を除けば歴史の浅さから)に移ってからは、京都は、地理的のみならず、心理的にも、やや遠いなといつも思うようになったから不思議である。
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