先週末は、土曜日に北海道教育学会の理事会があり、3月後半の日本教育学会との共催シンポジウム企画の推進実行役として幾人かの方と共同で進めることになった。その具体化は今後、幾度かの相談を重ねていくことで担当のTさんと了解し合った。
翌日、2月1日の日曜日は、子どもの権利条例に関わっての僕が参加する通称「こどけん」の臨時総会とそれと連動した、< 2009.2.1 札幌市子どもの権利条例誕生記念シンポジウム「条例と救済制度の可能性」>を開催した。
僕は司会・コーデイネーターの役割だった。
開催の趣旨は、以下のようなことを僕は考えて準備し、事前に相談し合った。
<シンポジウム趣旨>
子どもの権利が侵害され、あるいは傷つけられていったときに、教育現場や関係者にその原因となる事実がきちんと把握されていない、あるいはそれが知らされないまま、痛ましい事件になったりするケースが後を絶ちません。また、そうした場合に当事者が孤立させられたりする事例が全国に少なからず起きています。また、関係者のきちんとした話し合いや、当事者の深い人間的な痛みに寄り添った事実の確認、相互の信頼の回復がなされないまま、事態が深刻化していく事例も少なくありません。
今回は、東京町田市でおきた中学校でのいじめによる自殺を余儀なくされたお子さんのご両親である前田功さん・千恵子さん、北広島市中学校いじめ事件の保護者であるKさんご夫妻、そして類似ケースの事例を少なからず扱ってこられた弁護士の秀嶋ゆかりさんに、それぞれご報告いただきます。具体的な子どもの権利侵害が生じたときに、その問題をどう考えたら良いのか、どのような解決の方向がめざされるべきか、それぞれの立場から、率直に問題点と課題をお話しいただきます。また、何が問題を深刻化させたのか、あるいはさせるのか。のぞましい解決方向とは何かについてご報告いただく予定です。
同時に、今回のシンポジウムでは、学校や、地域社会、家庭、あるいはメデイア・ネット世界などで抑圧的、閉鎖的、攻撃的な風潮が少なからず存在すること、人々のつながりがかつてなく分断され、相互に信頼をもって話し合い、行動を共にしていく上での多くの障害があることも認識した上で、しかし、その改善や解決について絶望し、悲観するのではなく、少しでも事態の改革のためにできることを考えたいと思います。
とりわけ、以下のことがより明瞭になっていく必要があるかと思います。
①今回制定された「札幌市子どもの権利条例」で明記された救済制度や相談機能を活用して、学校や家庭や地域社会で起き得るさまざまなトラブル、いじめ、虐待、暴力などについていかなる新たな改善効力を発揮することが可能なのか議論を深めたいと思います。とくに、救済委員制度の活用は、どのように可能か。こどもを守り、子どもが参加できるネットワークを、既存のシステムとつなぎながらいかに広げていくか、活用するかを考えたいと思います。
②同時に、子どもの権利条約にしろ、「子どもの権利条例」にしろ、法や制度は、無論万能ではありません。法や制度にのみ頼ることはできません。問題は、日常的に子どもを守る(家庭も、学校の教師も、地域社会も、コミュニケーション世界も)ための関係性の構築をいかにはかれるかが大事です。誰もが居場所があり、心の風通しがよく、相手を尊重しながらいかに自由に意見が言え、行動できるようにするのか、そのあたりの智恵を考えあっていきたいと思います。
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当日の報告は、町田市の中学校でのいじめによる自殺事件の当事者の親である前田功さん、千恵子さんご夫妻のお話、北広島市でのいじめ事件の当事者であるKさんご夫妻、少年審判を多く手がけ、いじめ事件にも関わってきた(滝川市のいじめ自殺事件の原告弁護団の一員でもある)秀嶋ゆかりさんの順で報告いただいた。前田さんご夫妻には、事件をまとめた著書『学校の壁』(教育史料出版会、1998)があり、当日も新聞資料(このブログ記事にもupできるようにしてある)を補足資料として配付されつつ、短時間の制約の中にも関わらず、当事者の切実な思いや、事件が起きてから18年にも及ぼうとするのに、まだ同種の事件が後を絶たないことの日本社会(教育社会)の構造的体質をリアルにご報告いただいた。Kさんご夫妻も資料を用意され(事件を報じた新聞記事、事件の経緯、当事者のお子さんの声、など)いじめを注意したが故にいじめられることになり、それを隠蔽する学校にはもはやいけなくなり、転校を余儀なくされた事実が切々と話された。秀嶋さんは、日本の法や制度を活用しての救済や解決の現段階の問題点、川西市の子どもの権利条例の先駆性に学びながら、札幌市の条例をいかに生かしていくのかを簡潔にご報告いただいた。
それぞれに、短い時間の中で言い尽くせなかったことは、ご報告前の打ち合わせ、さらにはシンポジウム終了後の交流企画の中でも話され、その一つ一つの言葉とエピソードは、日本社会の持つ病理の深さと、それに甘んじない勇気をもつことの大切さを感じさせるものであった。また、こういう問題を社会的に解決していくための、法や条例の理解、また裁判によって明らかにできることと裁判によらないで解決をはかっていく方法などについては、秀嶋ゆかり弁護士から示唆をいただいた。
悲しみから勇気をもらうというのは変な表現だが、この日は文字通りそのような精神回路を自分の中に感じた。
非人間的な精神的・身体的攻撃や暴力、いやがらせ、集団的圧力を受けて、耐え難い苦痛と日常生活の破壊を受けることが仮に「いじめ」であるとすれば、そのような苦しみを受けることによって、精神的な傷と場合によっては自死を強いられていくことになりかねないことは事実である。親や保護者が事前にそのことを知り得たら、まだ最悪の事態は回避出来得るかも知れないが、まったくそういうことの事実や情報が伝えられず、ある日、悲劇が起きるとすれば、それはつらく悲しいことである。しかし、そういう事実があったことを知りながら、また悲しい事件が起きた後で、それがなかったかのように隠蔽工作を行い、箝口令を敷き、事実をねじ曲げて当事者を逆に攻撃させる噂を振りまくなどのことがあれば、それは二重に痛ましいことである。
「いじめ」を黙認、容認することは、人間的なありようとしては許されないことであろう。しかし、多くの場合、「いじめ」は陰湿に隠れて行われ、それを隠蔽する暴力的体制が背後に潜む。声をだすこと、抗議することは多大な勇気がいる。また、「加害者」も「被害者」も子どもの場合、互いに、成長途上にある未完成な存在であるという制約が存在することは事実である。しかし、あってはならない、許されないものとして「いじめ」を規制する倫理と人間的関係性があれば、子どもの人権侵害とそれによる被害は未然に防がれ「加害」の子どもも立ち直る可能性がある。
いじめの背景には、複雑な日本社会の病理がある。強い者だけが生き残り、弱者は排除されるような新自由主義的政策が、過去20年ほど猛威をふるってきたことが根っこにはある。そして、民主主義的な対話を育てる基盤の遅れ、正義や公正を排除するような抑圧的なシステムは企業にも学校にも浸透してきた。排他的競争は「格差」と「貧困」をうみだし、シチズンシップ教育や人権教育は、取り組みが遅れ、仮になされていてもその実質を発揮できるような支援体制は弱い。客観的には、いじめ加害に加わる子どもたちも人権意識を剥奪された犠牲者ではある。しかし、だからといって断じていじめが許されるわけではない。
問題はいじめを受けた子どもが「大人は誰も信用できない」「誰も守ってくれない」と感じる場合だ。この悲痛な当事者の抗議を受け止められなくなったら、教育の営みはもはや不可能である。しかし、存在した「いじめ」に対して、「いじめは我が校では存在しない(しなかった)」、「いじめはない(なかった)」と被害を受けた子どもの親や保護者に言い切り、その裏で「事故報告書」なるものを、外部には公表しない形でまとめて上申処理し、記憶からも記録からも「いじめ」の事実を消し去ろうとするシステムは、人間的システムとはいえない。これは、システムとしても関係者の人間的理性と良心においても、相当に重篤な病理である。教師や、教育委員会関係者が、このような深刻な倫理的欠落と精神的貧困に痛みを感じなくなったら、「学校」はもはや「学校」ではない。
学校は真空に浮かぶ城ではない。現実世界から逃れることはできない。(残念ながら)学校という本来は「学びと信頼と連帯の共同体」において、実際にはいじめは存在する。
<学校に行かない>という選択も、<学校に行く>という選択も本来はあり得る。いずれの場合も、教育が教育としてまっとうに機能するならばだ。
しかし、かつて、干刈あがたが、小説『黄色い髪』で作中で「母から夏実へ」で語らせたように、
学校に行くことも、学校に行かないこともそれだけでは解決にはならない。
「学校におさまることは魂の死につながるようなところがあると同時に、学校からはずれることも絶望感から死に向かいかねないようなところがある、と思うようになりました」(1987)
もしも、「学校」を信用し、大人(教師)を信用せよと言うつもりならば、大人は、率直に起きた事実を直視し、事実の存在を明らかにして、再発を徹底的になくすための、時間とお金をかけ、関係者に丁寧に事情を聴いての、総合的な研究と調査を行う責任がある。そのような努力なくして教育の再生、信頼の再建はあり得ない。そうしなければ、関係者が、自己保身や評価のために、平気で親にも外部にも嘘を述べるという構造は改革されない。
まずは、被害者・家族の悲しみを深く受け取め、感じることからしか、改善は進まない。昨日のシンポは、一つには、「いじめ」に関する当事者の声を聴き、事実を知り、何が問題なのか、どう考え、お互いに気持ちを交流させたら良いのかを共有していくことが大事であるということが確認できた貴重な機会であった。二つには、秀嶋弁護士が整理したように、各地の子どもの権利条例での救済制度のこれまでの日本での蓄積の活用、教育裁判の可能性と限界の見極め、多くの人の合意と協力の中での問題解決のより良い方途の探求などが議論された有益な場であった。もっともっと色々な場で、こうしたことを研究し、議論し、また一人の市民として、人間として何ができるかを考えながら、声高に叫ぶのではなく、一つ一つ地道な運動としても進めていくことの重要性を確認するものであった。
なお、この日の参加者は30名余であり、滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件の当事者であるOさんも参加をいただき、交流会にも出席いただいた。同事件裁判での原告を支援する会のことも討議され、第一回公判のことも真剣に議論された。
文科省のHPhttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/003.htm
事件の概要を伝えるweb記事http://www22.atwiki.jp/edunote/pages/59.html
シンポジウム前の「こどけん総会」の一場面
151999.5.pdfをダウンロード
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