7月26日(月)
朝食は、宿舎の外で卓を囲む。
朝食後、この日は、4グループでの行動。学校調査、女性と生活調査、協同組合調査、農家調査に別れて夕方まで、動く。通訳を入れて、総勢22名のメンバーである。チャーターバスが必要なポイントで降ろしていく。
僕は、学校調査担当である。昨年10月の一次調査に次ぐ、二次調査である。
午前の最初は、プルム学校専攻部のホンソンミョン先生への表敬訪問であった。日本側から、お礼の気持ちを多様な形で伝える。
ホン先生からは、最近出た2冊の本の紹介を受けた。著名な人権弁護士である朴元淳さんの『村が学校』、イジンチョルさんの『学校が変える』である。邦訳はまだないが、プルム学校精神に通じるものがあるとのことである。
また、今回は、直前に、TNK大学グループの参加ができなかったこと、大東文化大のOさん、中央大のYさん、それにH先生が、今回受け入れ条件(宿舎、その他)を越える人数になったため、来れなくなったことを、惜しまれていた。
ホン先生は、日本の平和憲法と韓国の6.15共同宣言の精神を共に実現していくことを語られた。
相互の挨拶を終えて、今度はプルム農業高等技術学校(高等部)へ移動する。
チョンスンガン校長先生(Chung Seung Kwan)から、当方の質問に対してお答えを頂く。質問点は、①韓国の代案学校の性格とプルム学校の代案学校のそれとの異同、②プルム学校の管理運営の構造、③地域の人々の考える教育像とプルム学校の教育像・理念との共通面とズレについてであった。インタビューの詳細はここではふれない。
昼食の場で、協同組合グループと一緒になる。チョンスンガン先生がご親切に、食堂に来られて学校まで戻ってくださる。
午後の第一は、父母のインタビュー。ソンジュハン(Song Ju han)さんである。(下記の写真)ここでは、プルム学校との関わりのきっかけ、お子さんのプルム学校進学の動機、両親の思いとお子さんの学校での様子などをお聞きした。興味深い話が満載であった。ただし、これも詳細は略する。
次にインタビューをしたのは、プルム学校の数学教師、朴ヒョンミさんである。(下記の写真)大学の恩師から、この学校で働いてみないかと打診されて軽い気持ちで応じたのがきっかけで、当初2年のつもりが13年になった。13年の教育実践とこの地域での暮らしについて、これまた実に示唆に富む話が多く出された。詳細は、ここでは省く。
その次は、崔チェソップ先生(農業担当)のインタビューであった。
崔先生は、プルム学校の卒業生でもある。仁川で農業と、福祉施設経営もしていたのだが、請われて教師として赴任するために家族共々、当地に越して来られたのである。プルム学校入学、そして卒業、さらにその後の波乱に満ちた人生歴程は、生徒たちに大きな影響を与えていると思われた。詳細は、略したい。
さて、この日プルム学校での最後のインタビューは、学父母の申ミエさんだった。
写真をとるのを忘れて、ここには紹介できないが、申ミエさんご自身も、夫君もプルム学校卒業生であり、二人のお子さんも現役のプルム学校在学生である。お話しの中では、親の立場から率直にお子さんのことを語られた。例えば、最近のこととして、次女のお子さんが、学校での行事負担と、2週間の農業実習などもあり、ついていけなくなり、また本人の大学受験希望もあり、学校のハードなスケジュールのリズムと自分の勉強負担との間で、精神的なジレンマに陥り、疲れてしまい、家に戻ってきて4日ほど学校に行かなかったことがあったという。長女は、がんばり屋で、これらをクリアしてきたが、次女は、やや重荷だったのだという。親子で、学校のカウンセリングを受けたが、大丈夫とのことで、次女も5日目には、学校に復帰した。しかし、こういう問題をどのように考えるかを、次回の父母の運営委員会で話してみるとのことであった。プルム学校でも、他の学校で生じるような課題を引き取っていく時代になっていることを、いみじくもこの事例は示しているといえよう。その他、父母と学校との関わりについて、多く話していただいた。
プルム学校を辞した後、今度は、昨年訪問した、ホンドン中学校の李ジョンロ校長先生を訪ねることになった。訪問前の、日程調整で、やりとりがずれて、今回急遽この日の夕方の訪問となったのである。時間調整の不備をお詫びした上で、昨年来の学校改革の状況を詳しくお話しいただいた。
校長公募で選ばれた、李ジョンロ先生は、現在単身赴任で学校のそばの公舎に仮住まいされている。国の「田園学校」指定の、補助金を受けて改革は進み、運動施設は地域住民に開放して地域社会にひらかれた学校づくりを目指されている。学校の評判を聞いてなのか、入学者の生徒数は、大きく増加している。データなど、多くの指標を討議したが、ここでは省略したい。インタビュー終了後、食事を共にして、その後、宿舎にお送りいただいた。多謝である。
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