2008年10月20日 札幌は薄曇り。
誕生日。58歳。今日は、渡英の日、朝5時起き。土日をかけてパッキングしたのだが足りないものもあるが重い。細君も起きて、空港まで見送り。成田で、携帯受け取り。7300円。英国内でのやりとりはこれでOK。チェックインの際に重量オーバーで15キロ、6万2千円の追加料金。これはまいった。KLMは(オランダ人のせいでもあるまいが)厳格な適用。これだったら、本などは、航空便のパーセルで送っておくのだった。空港が込んでいて、駐機ゲート入りが遅れたせいもあって1時間半での緒手続きで時間が消えた。買い物も、食事もできずに搭乗。あとはひたすら11時間半のフライト。高齢の女性2人旅の人が隣席。貧富の拡大の中で、こういう老婦人たちも増えている。幾度も個人的外国旅行を楽しみ、老後の心配もなさそうだ。最初にイクスキューズされてはいたが、確かに、トイレにしばしば立たれる。その都度、僕はイヤホーンを外し、ベルトを外して立たなければならない。恐縮されているし、お年寄りなので致し方ないが、やや往生した。余り、寝られなかった。二回の食事と、1回の中間時間のカップヌードルかアイスクリームかの選択。時間つぶしに、映画を4本見た。(日本の隠し砦の悪人、相棒、オランダ映画の少年の成長物語、同じくオランダ映画のサスペンス映画)睡眠不足と頭がさえない状態で、アムステルダムに到着。また、例によって、アムステルダムで4時間45分の待ち時間。英国行きは、Dゲート、群衆の中で、顔つき、雰囲気、などで言葉を聞く前に、英国人を見分ける勘みたいなものが育っているのを感じた。この待ち時間も、時間つぶしに苦労した。アムステルダム-リーズは、city hopperとかいう欧州間の都市間航空の一つ。離陸―着陸が、わずか1時間15分。この距離でも、大陸と英国では、時差があって、英国は1時間遅れる。第二次大戦でもそうであったが、まして、ミサイルや高速ジェット機の時代に、欧州間で戦争を起こすのは狂気でしかない。EU圏という考えは当然だ。乗客に幾人か外国人とおぼしき面をみるが、圧倒的に英国人客。リーズ空港では、先回と同じくヒースローやマンチェスターと比較して、入国審査は簡単で、さしたる問題なく通過。空港には、デビッドヨーマンさんが待っていてくれた。多謝。ありがたい。その親切さに彼の心遣いが感じられ何とお礼を言うべきか。英国経済は、アメリカの金融危機を受けて大きな打撃もあること、さらに先回の、札幌を後にしてからの東京滞在時の話を聞いた。気候の不快さを除けば、東京滞在を楽しんだようだ。クリフローンホテルまで送ってもらった。
このホテルは、いつからか、こうした場合の定宿。ただし、値段の高さに対して、朝食などは少し質が落ちてきた。物価高のせいか。ま、疲れもあったのでしようがない。夜、水を買いに行ったが、そのまま眠るのはだらしないと思ってシャワーを浴びた。少し、気持ちがすっきりした。シャワーと朝食、快適なベッドがあったのだから文句言うまい。明け方目が幾度も覚める。ジェットラグか?
2008年10月21日 薄曇り、16度。
朝、時差があったことを忘れて、オランダ時間にしてあったので、早く起きてしまった。1時間英国は遅いのだった。テレビをつけて、気づいた。クリフローンホテルの朝食はいつもの伝統的英国食。ブラウン小麦のトースト、ジュース、コーヒー、卵、ソーセージ、マッシュルーム、焼きトマト、ベーコン。しかし、以前にあったヨーグルトやフルーツがない。 荷造りをして、午前中ホテルにそれを預けた上で、大学へ。アコモデーションオフィイスで、エド・ロジャースに会い、挨拶。鍵は、すでにセキュリテイセンターに預けてあるとのことで、今度は、そちらへ行く。ようやく、鍵を受け取り、次に、生涯学習Institute(LLI)へ、行く。ミリアムに会う。彼女は、僕が明日到着と思っていて、驚く。いずれにしても、再会を喜ぶ。ミリアムは、見違えるほどスリムに。多分、一時期の半分のサイズだ。ダイエット(野菜食とダイエットサプリメント)の努力のせいだ。彼女にできて、僕ができないでどうするよという気持ちになる。超多忙な様子。この日の午後は、ヨーク新大学(スタッフ600人、学生6千人)のガバナーの仕事。短時間で、評議会、カウンシルとガナナーズの3つの関係性について、説明してくれる。また、York新大学はガバナーズの元締めがキリスト協会とかで奇妙だという。ミリアムは、リーズ大学においても、評議員であり、カウンシルのメンバーでもある。経済危機にふれて、ブラウン首相の評価がここにきて上がっているという。ヨークに行くという彼女の時間がなくて、短い時間で失礼する。なお、LLIの秘書のジャズは、大きな会議があるので、今日は不在。研究室の鍵などは、明日になるという。その後、大学食堂で昼食。一応、鍵を得たので、タクシーで、ホテル経由でフラットへ。2階(英国風では、1階になる)の6号室。フラットもそうだが、周辺地域の風情には、変わらない面と変化の激しい面のコントラストがある。この近くの個々の住宅の雰囲気は、20年前とほとんど変わらない。だが、ヘッデイングリーの商店街は総入れ替えに近い。角の中華料理店が消えて、インド系レストランになっていた。ちなみに、この中華料理店が消える事情について、前にキースが冗談交じりでDYNASTY(ダイナステイ)(をもじって、die nasty汚い死に方をした。争いで殺された)と言ったことがあった。ダイナステイは、「皇朝」という名のレストランだった。フラットの一階のレストランがタイ料理店ならば、ヘデイングリーの商店街の端には、タイカフェやワインバー。英国人の、好みにも変化が生じているのかも知れない。いずれにしても、スーパーストアや金物店などを含め、店のオーナーは大きく変容している。20年間は、それなりに長い時間なのだ。
さて、宿舎の6号室は、キッチンが隣に付いている部屋だった。これは、一長一短だ。部屋の独立した暮らしは、完璧だが、20年前にあったような、部屋同士の交流は、皆無になるだろう。20年前は、トニーとスーザン、フランス人のヤニク(それ以前は、ギリシャの医師)、韓国の趙さん、岡山大学のH氏(この人とは折り合いが悪かった)、大学事務部門の職員など、共用キッチンでの交流があった。このことは、大きな変化だ。また、当時は週に1回、ゴミの片づけや、掃除は、その仕事での女性が来ていた。今度は、自分ですることになった。(どこへ、ゴミを出すのかは、聞かなければなるまい。)英国も、人件費がかさむことは、効率性の観点から止めにしたのだろう。その分、部屋の備え付け(とくに、キッチンは、4口のガスバーナー、オーブン、電子レンジ、冷蔵庫付き)の備品は、タンス、机、椅子、ソファー、書架、アイロン、アイロン台、テレビ、など多い。ただし、ベッドの毛布はなく、これから寒くなったときは、夜間はスチームが消えると思われるので、少々難儀だ。
夕刻前に買い物。リストをつくって、購入した。まだ足りない面もあるが、初日はこんなところか。疲れて、風呂は、翌日のシャワーにする。
10月22日 曇天、12度。風が強い。時折、小雨。
夜中、妙な夢を幾度か見た。疲れのせいだろう。潜在意識の隠れた表出か、夢の心理学的研究もあるように思うが、この場合どんなものだろう。
朝のシャワー、朝食(パンと、ハムエッグ、牛乳、紅茶)、部屋の片づけなどをしてから、ゆっくり目だが大学へ。バスは、片道1.6ポンドであった。エッと一瞬思ってしまう。1ポンドが、日本を出てきたときで189円のレートだったので、302円になる。安くない。ちなみに、昨年調査に来たときは、為替レートが、1ポンド=250円近かったので、20年前のレートと変わらず、しかしその分物価高もあって、あらゆるものが高くて、まいったことを思い出す。このバス代も、ついこの前までは、60ペンスくらいだったと思う。車内は混み合い、人種の入り交じった風景は変わらない。ともかく、大学前で降りて、LLIへ。秘書のジャズに会い、色々な説明を受け、研究室の鍵を受け取る。なお、身分証明の写真を撮りに、メデイアセンターに2時半に向かうことになった。研究室は、前から知っているが、日本と比べて狭い。図書館の活用や、資料の活用を重視して、研究室に本をあまり置かないこの国の研究者のスタイルからだろう。部屋の隅には、メールを頂いていたが、Tさんが置いていってくれた炊飯器、オーブントースター、日本の食材や接続プラグなどがあって助かる。いくつかは買おうと思っていたので、余分な出費にならず良かった。早速、日本のTさんに電話した。聞いてはいたが、危篤状態だった母親が、最近亡くなったとのこと。ずっと看病していたので、気落ちして、連絡を取れずにいたことを伝えてほしいとのこと。その後、キースの家に電話するが不在。札幌の細君に電話して、こちらの様子を簡単に伝える。
S出版の仕事を再開。昼過ぎに、書店と食堂へ。4冊の本の購入。貧困問題、青年問題、14-19歳問題、研究の進め方の本、併せて 90ポンドほどだ。食堂では、この日は、ポテトチップ、油抜き豆入り焼きライス、ニンジンカボチャ煮みたいなもの、それに水で3.8ポンド。
午後、仕事を少ししてから2時半にメデアセンターヘジャズと一緒に行く。途中色々な話をする。彼女は、意外だったがケニア出身。しかし、人種的にはインド、パキスタン風なので、独立運動後のアフリカからの最後の離脱組だろうか?詳しいことは、聞けないので分からない。ここに来て25年になるという。Tさんか、Hさんから聞いたと記憶するが、彼女も大学のリストラで職の見通しが不安定で、いつ辞めるか皆心配して(彼女に代わるような人材が考えられない)いるという。僕は、旧成人教育学部の建物の時代から、彼女を眼にしていたし、ジャズのデスクのpcのスクリーンセーバーの写真には、お孫さんとの写真などに混じって、旧い成人教育学部の写真が写っていた。キースがTさんのことを気にしていたというので、Tさんの母親の逝去で、つらい時間があって、返信ができていないことを話す。ジャズは、メールで、キースや皆に知らせるという。
メデイアセンターで、必要事項を書き、写真をとる。名前の発音が気になっていたが、ジャズの南アジア系特有の発音のせいかとも思っていたが、夕刻近く4時半に届けてくれた職員のIDカードは、××○ではなく、×○×になっていた。写真は、あまり笑顔風でなく、ややブルドッグ風で、我ながら写真写りが悪い。訂正をジャズに頼もうと思って出たが、もう帰宅。明日は、不在との連絡の張り紙。それで、もう一度、今度は僕がメデイアセンターへ届けてきて、職員が了解して、明日送るとのこと。夕刻、研究室のプリンターの交換に、技術職員のリチャードが来てくれた。USBの接続差し込みもお願いする。あとは、パスワードの入手で、研究室のコンピュータは使えることになる。夕刻帰宅前に、キースに電話。奥さんのスーザンが出て、挨拶。明日、ヘッデイングリーのコーヒーショップで会うことになった。
夕刻、帰宅後、スーパーへ買い物。色々と、リストしたものを買って19ポンド。夕食には、パンとチーズ、野菜とマッシュルーム、ジャガイモ、ベーコン入りのチキンコンソメ味のスープをつくる。テトリービールを1本空けてしまった。今日は、1万2千歩歩いたが、食事の面では、ダイエットは、これではだめだ。
来てからまだ三日目だが、世界の状況について、テレビ以外の情報について知らないので、週末新聞を買ってみよう。
10月23日 天気予報は最高11度と寒いが、陽光はあるようだ。
朝、シャワー、食事、後かたづけ、整理仕事をしていて、11時にキースと会う約束で比較的ゆっくりしていると、ミリアムからメール。9時のミーテイングだったとのこと、そういえば日本でのメールでそういうことを受け取った気がしたが、出かける前のどたばたで失念していた。電話をして(こういうとき、携帯は助かる)夕刻5時に予約を変更。11時にキースとヘッデイングリーのコスタカフエで会う。キースは、やや老けてきたが、元気そうだ。キースとミリアムとの話は別に書いたので,そちらは文末に転記する。
ジャズに会い、IDカードの氏名誤記を謝られる。そんなに恐縮されなくてもと思うが、すべてについて腰の低い方だ。白人でない分、そういう風にすべての研究者、学生に対して丁寧な応対をされて仕事をされてきたのだ。いい人だと思う。大学は、こういう人もリストラの対象にしかねない。コンピュータの登録の場所について案内してもらう。レベル10のISS(information student service)センター、それと宿舎の支払いはアコモデーションセンターとのこと。 ゴミ処理についても、伺う。 昼は、student unionの購買でプラグとサンドイッチとフルーツ、それにマグカップを購入。レジの男性が、声をかけてきてどこからかと聞く。日本からだと言うと、彼は、インドネシアからという。アジア人同士の見えない友愛? 夕刻は、ミリアムの話で少し、遅くなって帰宅。サマーフィールドショップで買い物。トマト、豚肉、アイリッシュスタウト。ガーデイアンは売り切れていた。食事後眠くなる前に、院生のNさんから電話、2月の博論審査委員会の件、Kさんの都合が大事。細君からも携帯メールで、息子のKの住所問い合わせ。ジャガイモの送付の宛先照会だ。以下は打ち合わせ記録。
2008年10月23日 11度。寒い。
11時―12時半、HeadinglyのCosta caféにて、キースとの話。
1 僕の調査プロジェクトにおけるバーンズリーでの調査について
ノーザンカレッジの学長トニージョイットが定年で辞めて、新しい学長。方向は異なる。欧州の最貧困困難地域への補助金は過去4-5年間大きな供給がなされた。南ヨークシャー、リバプール、スペイン、東欧(ハンガリー?)など。しかし、それはもう終了。バーンズリーは困難な時代を迎えている。地域の組合その他も危機的。トニーは、社会的企業の関わりをしている。オルタナテイブな方向を目指しての地域的起業活動。彼は、最初は、繊維産業と労働運動との接点での教育学習に関心(ブラッドフォードセンターの時代)、ノーザンカレッジでは、宿泊型カレッジの経営・管理のリーダーシップの実践と研究、それも終わって、現在は上記の活動に移行。 オルタナテイブの方向については、協同組合カレッジが面白い活動をしている。相互精神(mutuality、cooperates)の発揮で、多様な地域的社会企業を支援している。プロフットボールの経営参与(デビイジョン3などの弱いチームのいくつか)、やその他。この地域でも熱心な活動をしている女性がいる。ただし、論文に書くなどはむずかしい?協同組合カレッジは、全体的な方向は、政策追随ないしベッタリ主義で、やや疑問。地域の活動には、注目すべきものがある。WEAについては、全体的な動向は、以前に指摘したように厳しい。リベラル教育については、今や市場価格で事業提供し、社会的困難者への助成はしていない。ただし、受講者は少なくない。南ヨークシャーの活動については、Joel Miskin(Yorkshire WEA)がキーパーソン。(ネットで検索すると、一定の情報が得られる)
2 現今の英国の政治的コンテキストについて
労働党は、今や壊滅の危機。ゴードンブラウンは、トニーブレアの代わりに登場したが、スコテイッシュ人の特徴か、表現力も、指導性も、社会的アピール力も欠けて、民衆は飽き飽きしている。一時的に、この間のアメリカの金融危機で、人気を回復している(何もしないことでの危機回避)が、ただし、それは、環境のせいであって彼の政策指導性ではない。(M.サッチャーがフォークランド紛争で、奇跡的に人気回復したのと似てはいるが、ただし比べると小幅で根本的な回復ではない。幸か不幸か、金融危機が影響した。)労働党の人気回復ではない。次の選挙で、労働党は分裂するかも知れない。(財務大臣、もう一人の内閣大臣などが動くか)民衆は、若い保守党のリーダーの政治的パフォーマンスに、惹かれている。多分、次の政権は保守党になる。これは、皮肉なことだ。ガーデイアンのポリー・トインビーも「労働党は終わった」と評している。 しかし、民衆は深いところで怒っている。例えば、大手銀行への公的資金(多額の税金)の投入には、多くが不当と憤慨している。ロイド銀行、イングランド銀行の頭取は、巨額のボーナスを依然として受け取っており、貧富の拡大と経済不況の中で、これは許し難いことだと思っている。
先週来の毎朝の新聞記事を読むと、弱小国・中堅国が通貨破綻危機(currency crisis or bankrupt)を迎えて破綻を宣言する国が続出している。ハンガリー、ウクライナ、韓国、アルゼンチン、チリ、等々。IMFや世界銀行が動き、緊急のG7会議が招集されているが、どこまで効力を発揮するか。ケインズの著作がここに来て再評価されて、重版の増刷を重ねている。資本論も同様である。新自由主義の暴威はここにきて、死の宣告を受けている。しかし、これは、もはや昔の社会主義への回帰ではない。欧州の共産党は力を失い、東欧はむろんだ。ただし、様々な、組合や社会運動がストライキや、キャンペーンを張っている。フランスの民衆がその点では、最前線にいる。資本主義の本質的危機の中で、しかしどのような方向で、道を拓くか。この先についての予言は誰も簡単になし得るものではない。
3 キースへの執筆依頼について、
メールで原稿依頼をすることで了解。キースは、ロンドンメトロポリタン大学での、プロジェクトへの参加など2つのリサーチプロジェクトに関与。しかし、今は、退職して、やや一線を引いた気持ちでもある。ケビンとは毎週、ヘッデイングリーのアルカデイアパブで会って話をしている。3時に会い、5時前に帰る。一番静かな平和な時間。
p.s.
Mさんのプレゼン、北欧での学会の報告をして、素晴らしいものだった。Kさんも一回した。良いプレゼンだった。両人とも、積極的に、各地へ出かけ見聞を広げ、調査をした。
教育学部での範囲での報告だ。
10月23日(木曜日)17時―18時半 ミリアムの研究室
互いに再会を喜び、土産をわたす。(硯、墨、筆、一筆書き便せん、水墨画カレンダー、拙著)
1)執筆依頼
最初に、日英韓合同本の執筆依頼を行う。了承を得る。午前に会ったキースも同様。内容の概略の説明と、担当項目の確認。
・主に、1990年代以降の事象や理論・実践を対象とする。
ミリアムの場合、デアリングレポート、widening participation, initiative education,
Linkage of university and industry, university governance, skill based training and education , smashing of liberal adult education, crisis of continuing education, innovation of pedagogical theory and practice
・字数、締め切りの相談。
・社会的企業(social enterprise)の節の執筆者については、HMさんと相談すると良い、適切な名が浮かばない。英国の場合、経済的な観点の研究が多く、教育学的な視点はあまり多くない。
2)調査の候補地について
・バーンズリーの場合は、キースの方が詳しいかも知れないが、やはり、色々な障碍が生じている。社会的運動は、この国では多くの場合、壊滅的な打撃を受けている。
もう一度キースに聞いてみたらどうか。リーズ周辺の地域と言うことでは、castle fordが面白い。地域再生のまちづくり、歴史的にも社会運動や女性の活動が盛んだった。テレビのchannel 4で興味あるドキュメントを放映していた。 誰がコネクトできるか?
3)英国の大学の統治方式については
ミリアム、ジェレミーが、実際の状況について知見提供は大いにできるが、専門的にはデビッドスミスが一番良い。彼は来年、グラスゴーカレドニア大学に動く(教授として)
*調査は別に動く必要がある。
大学の、最近の最悪の政策-学位と連動しての大学院学生の受け入れ、スタッフの雇用-が、継続教育などの分野では、大きな困りごとになってきている。デイックテイラーもそのことに弱っている。要するに、そうしなければお金が来ないし、受け入れも雇用もできない。
4)僕の研究のその他-省略。僕のセミナー報告は、相談して、教育基本法改正など近年の日本の教育改革について話すことになった。 12月初めか?
6)ミリアムの2009年の計画
教育についてのコンピテイション応募があり、大学から推薦されている。もし取れれば、1万ポンドの助成が出る。他の資金も含めてそれを使っての、2009年3-5月くらいのサバテイカルを考えている。オーストラリア、帰路に日本での研究(D財団のお金が付けばなおよい)それまでに、依頼された本の担当部分の執筆はしたい。
院生の指導や、6月にはデンマークでの大きな学会があるので帰国しなければならない。このあたりは、僕と同じ事情。
10月24日(金)12度、小雨まじり。
朝、シャワー、食事、後かたづけ、そして大学に出向く。ジャズが10時にメデイアセンターの職員がIDカードを持ってくるか、学内便でポストに届けるというので時間前に行くがない。彼女は、所用で今日は休み。英国に良くあることなので、しばらく待ち、ポストを見に行くがやはりない。11時頃、もう一度行くが、やはりない。向かいのポールに聞くが、直接行く方が良いというので、メデイアセンターへ行く。昨日送ったはずだという。このあたりは効率性や敏速性に欠けるところだが、こういうオフィイスを持っていること自体は、日本の大学よりもずっと進んでいる。院生とおぼしき女性は、博論の製本を頼み、理系の研究者は、ビデオのコピーを頼んでいる。郵便を待っていては、来週になるので、今日ほしいと交渉して、その場で作成してもらう。今度は、それをもってISSセンターへ行き、しばらく待ってPCのユーザーネーム、パスワードをもらう。次に、宿舎の今月代金を払いにアコモデーションオフィイスに行くと、キャッシュオフィイスがそこだという。(確か、インボイスの紙にはそう書いてあったが、ジャズは学生とは違い、客員教授の場合は、アコモデーションオフィイスと言ったからだが、そういう誤解はよくあること)もう一度、移動してキャッシュオフィイスで代金をクレジットで支払う。時計をみると、良い時間になったが、今日は昼食はいらないという気分になった。研究室に戻り、さっそくPCを立ち上げてみる。H大のアクテイブメールにアクセスしてメール受信を確かめる。100通近く来ているが半分近くは、不要な情報。それでも20くらいは返信をする。英国へは、そのまま文字を書き込めるが、日本の場合、PCに日本語フォントが入っていないので、読めるが打てない。幾人かは、ローマ字書きで行う。Mさんには、電話で用件を頼んだ上で、メールを打っておく。ジェレミーとデビッドについては30日に食事を一緒にすることになった。ミリアムには、Sさんの依頼事項のことについて書いておく。キースには執筆依頼をしておく。そういう作業をしていると6時になった。金曜日の夜だ。宿舎に戻った後で、着替えて買い物。一人でパブに行く気分はもはやない。
夜、食事後、飛行機の中で途中読みだった「反貧困学校」という本を読み進める。宇都宮健児弁護士が代表の反貧困フェスタの動きの継続版だ。内容は、今の時代精神を映し出している。ネオリベに押され放しだった時代からもう一度、時代は反転していく。
10月25日(土)寒い、11度。 小雨、天気予報では、午後からスコットランド、ウエールズ、西イングランドなどで、激しい雨と強風、高地では雪の可能性と報じる。西ヨークシャーでは、夕刻から強い雨のようだ。
明け方幾度か目が覚めるが、すこしゆっくりしてベッドで過ごして7時半過ぎに起きる。毎朝の習慣で、シャワー、食事、あとかたづけ。その後は、今日は少し、テレビのながら族。テレビの英語の話す速さにまだ耳が追いついていないような気がする。パッチワーク的なフォローに時々なる。
さて、今日は何をしようか?懐具合や、年代のせいか。かつてのようなどこか行こうという気分にはならない。とりあえずは、洗濯をしなくてはと思う。
ヘッデイングリーの商店街を歩いてみる。kfcの角を右に折れてあるくと地域図書館、右にかつてはあった映画館(今は閉鎖)、少し歩くとコミュニテイセンター、小さな「桜」という持ち帰りの日本食ショップがあるが、閉まっている。この地の嗜好からして、多分営業は厳しいだろう。だがかつてあったところには、別の店。肝心のコインランドリーがない。今度は、戻って、大学方面の道を少しあるくとoxfamの店。その古本屋で数冊購入。ポストモダンの貧困、大学のガバナンス、スクールガバナーズの本を求めた。しかし、こちらにもコインランドリーはない。しかたなく、スーパーと金物屋で必要な食材と生活用具を購入。宿舎に戻って、手洗いの洗濯をする。一週間分の洗濯、アイロンをかけて乾かすが、なかなか乾くのに時間がかかりそうだ。
夕食は米を鍋で炊いてみる。少し底にこびりついたが、まずまず。残っていたスープに野菜を入れ、カレー粉を加えてカリースープを作る。ワインを半分空ける。小林多喜二本を今度は読む。
10月26日(日) 寒い10度 夜通し雨
今日の夜一時からサマータイムが終わり、冬時間。1時間時計が遅くなる。
もう1週間が過ぎようとしている。洗濯ものは、まだ生乾き。気分換えに、バスタブに湯を張り(バスジェルを入れて泡立たせて)、体を伸ばす。ややリラックス気分。
朝は、残りのライスを使い、卵、ベーコン、マッシュルームで炒飯。トマトジュース、とフルーツ・ヨーグルトを添える。体重計で、ウエイトを量ると××㎏。これでは、駄目だ。やはりダイエットを考えないと。この地の食材は、肉、ハム、ベーコンや牛乳、チーズ、バターなど乳製品が多い。車がないと、郊外の大型ストアの魚介類の入手はできない。今回は、車は買わない。代替は、町中にある大きなmarketだ。そこには刺身にできる魚は無理だが、サーモンや貝類はあるはずだ。しかし、バスに乗っていかないと駄目だ。それは、来週末にしよう。とはいえ、これでは、やせない。アルコールも当然のように飲んでいては、バツ。しかし、楽しみも大事だ。ここにややばかげたデイレンマを抱えているのが今の僕だ。物価は、レートが好転したとはいえ、お買い得感はあまりない。バター、パン、ビール、ワイン、フルーツが安い程度。あとは変わらないか高い。
ちなみに、日英物価対照表(2008年秋版)リーズのスーパーストア
バター:100グラム 1.13£ 213円
トイレットペーパー 2.19£413円(4個)
ペットボトル水 2リットル 0.35£ 66円
卓上胡椒 1ポンド 189円
卵 0.86ポンド 162円(6個)
牛乳 2パインツ 0.88ポンド 166円
3つチーズ組み合わせ 2.69ポンド 508円
テトリービール 4本 2,99ポンド 565円 1本141円(440ミリリットル)
みかん(satsumas)10個くらい 1.50ポンド 283円
リンゴ小粒 10個くらい 1.95ポンド 368円
スライスハム(イタリア風) 1.05ポンド 198円
ボックステイッシュ(2個)0.88ポンド 166円
チキンキューブ 1.25ポンド 236円
トマトジュース 1リットル 0.97ポンド 183円
リンデマンワイン白 3.99£ 754円
パン 1.25ポンド 236円
ギリシャヨーグルト 1,26ポンド 238円
緑茶テイーバッグ 20袋 0.69ポンド 130円
冷凍野菜 1,09ポンド 206円
マッシュルーム 0.85ポンド 160円
レタス(iceberglett) 0.85ポンド 160円
tetley紅茶バッグ 40袋 0.95ポンド 179円
卓上塩 0.73ポンド 138円
オリーブ油 1,05ポンド 198円
小粒ジャガイモ 10個くらい 1ポンド 189円
マーフィースタウトビール 2.99ポンド 4本 565円
豚肉ステーキ2枚 2.40ポンド 453円
小粒トマト10個くらい 1ポンド 189円
ジョンスミスビール 3.99ポンド 754円 1本188円
スパゲッテイ麺 500グラム 0.64ポンド 120円
七面鳥ハム 1.89ポンド 357円
パテ 0.99ポンド 187円
Edam
cheese 1.73ポンド 326円
多目的布 0.49£ 92円
卓上小型ナイフ 1.0£ 189円
まな板卓上 0.99ポンド 187円
口内洗浄液 0.99ポンド 187円
コルクスクリュー 0.99ポンド 187円
ナプキン0.59ポンド 111円
ドライバーセット 0.99£ 187円
ゴミ袋 0.59£ 111円
風呂用スポンジ 0.19£ 35円
はさみセット 0.80£ 151円
小林多喜二再考の特集本読み終える。小森陽一の評価良し、中野重治の多喜二評価の高踏性、しかし、多喜二の進歩性と歴史的限界。ふと思い出したのは、小樽市立文学館に展示されていた母親の多喜二を思っての金釘文字の手紙。僕の祖母の字もそうだった。この地にきて、あらためて貧困認識について、再度認識を深める必要を感じた。文献的、学問的にのみならず、身の回りに、そのことを実感させる材料は数多ある。(ここでは書かない)
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