韓国から帰国すると、お盆も終わっており、この地では、小中高の学校は18日くらいから第二学期(後期)の開始である。大通りのビアガーデンもお盆前には店じまい、海水浴場もとっくにそのシーズンを終わっている。(今年も一度も海に行かなかった)
秋模様である。
なんだか体が長年に覚えた四季感覚とこの地の季節のずれは毎年変わらず。(無駄な心の叫び。8月後半はまだ秋であってはならない。まだまだ、夏なのだなどと・・・。)
10年もこの地に住んでいるのに、中年だからだろうか。体と心の適応能力の低さを痛感する。だから、無駄なことを言わない努力もするのだが、この地の人々からは、(もしもこんなことをいつまでも言っていると嫌われるのは当たり前だ)馬鹿にされるのだろう。
この季節感のズレは、夏はまだ救われるが、冬は(とくに2月ー4月は)気分的に鬱になるから困る。
この季節、本州に行くと、ラジオで小学生たちの追い込みの夏休み宿題相談などをやっているとそうだ、そうだと思ってしまう。記憶をたどれば、8月31日は特別な日だった。9月1日からの第二学期に無理矢理、心もカラダもあわせる、そうやって毎年しのいできたのだ。8月後半の日々は、特別な日だった。
そんなことを思い出しながら、韓国からの帰国後を、夏の学びの収穫のために、国内を移動して過ごした。
一つは、社会教育研究全国集会だ。今年は長野県下伊那郡・阿智村での第49回集会。北海道からだと開始時間には、当日では間に合わない。東京経由もあるが、時間がかかる。名古屋に前泊して今回も出かけた。
中部国際空港から常滑を経由して名古屋入りだ。
常滑ボートのレース場はこの日は休みか、静かだった。
この日8月21日は、前泊ついでに、今回は実に久しぶりに、中学時代の同級生の在日コリアンのO君に事前に電話して予約して会って話すことにしていた。彼とは、同じ1966年卒業で、その後高校時代も行き来し、大学・大学院時代も交流があり、その後間隔をおいて時々会ってはいたが、僕が名古屋を離れる少し前の、クラス会(1990年頃)が最後だった。年賀状のやりとりはしているが約20年ぶりの再会だ。僕がこの間韓国を行き来していることもあって、彼と会って色々な状況を在日の眼から見てどうなのかを確認したい気持ちもあってのことだ。話してみると、彼の奥さんの逝去とお子さんの消息などと僕の場合のことなどお互いの家族のこと、ご母堂の逝去と韓国での分骨と先祖の本家との交流、最近の御尊父の介護、この間の中国への彼の幾度かの旅のことなど、さらに朝鮮半島の緊張と統一方向をめぐる難問のこと、またこの間の国際的経済不況と日本の在日の人々の困苦のことなど、尽きない話題があった。今度は、北海道で会おうと約束して別れたが、良い再会の機会だった。
8月22日は、高速バスで名古屋のバスセンターから阿智村・昼神温泉へ向かい、途中渋滞もあったが、何とか無事に会場地入りをする。会場に行く前に、宿泊ホテルに荷を預け、タクシーで会場の中央公民館へ急ぐ。会場に着くと、昨年の北海道集会で、僕が説明していたように、担当の方が、今年も各分科会の受付説明がなされていて、その後半に遅れながら僕も参加したわけだ。それで、早速受け付け開始だ。ブースは、あいにく太陽の日差しを避ける場所ではなく、日光浴というか、汗を吹き出しながら受付を待つ役から、僕の今年の全国集会が始まった。
開始後しばらく受付をしていたが、流れが途絶えた段階で切り上げて、全体会に参加する。今年はオープニングは、下伊那らしくオーソドックスに、公民館と下伊那の関わりを問うシンポジウムから開始だ。
この日は、夕刻には全体交流会で、その後夜には、流れての自由交流だった。お酒も、食事もたっぷりの日だった。韓国からの皆さん15人とも交流が深まった。パク団長やヤンビョンチョンさんとも再会した。
夜半、宿泊したホテル「阿智川」の温泉につかる。昼神温泉の湯量は多く、刺激のない肌さわりの良いお湯だ。少しは疲れがとれたか。
8月23日、この日は一日分科会。担当の「大学と地域連携」分科会は16人の参加者で、4本の報告。盛り上がった内容だった。僕の全国動向の基調提案、松代のNPOと清泉女学院短大との連携によるまちづくり事業実践、松本大学の多様な地域連携事業、和歌山大学の10年にわたる地域連携実践の総括、など学ぶべき教訓が多く詰まった一日だった。現地でコーデイネートしていただいたTさんや、ギリギリ日程を縫うように参加いただいた和歌山大学のYさん、Hさんには多謝の限りであった。参加者の方々の率直な声も傾聴すべき内容が多かった。
夕刻宿舎での夕食後、日韓の生涯学習の交流の夕べは、歴史的な総括にたっての今後の展望を探る会だった。
小林文人・東京学芸大名誉教授の日韓相互の社会教育・生涯学習の実践と研究の交流の歴史的回顧と総括を軸とした報告で始まり、その後各自の紹介など短時間に濃密な会だった。
公州大学校のヤンビョンチャンさんだ。
向かって、真ん中にパクインジュ韓国平生教育振興院院長、左にチェウンシル韓国平生教育総連合会会長、右に社全協委員長の上田幸夫さん。日韓双方の代表の記念写真。
この夜遅くと翌朝に、お湯に入る。朝の露天風呂は気持ちのよいものだ。
8月24日、この日は最終日。第二全体会があり、これまた公民館の今後の展望と未来への役割を問い直すシンポであった。
開始前のまだ集まりきっていない時の風景。
パネル討議。
今年の集会参加者は、812人。集会担当のNさんによれば、「初日の課題別集会は372名、昨日の分科会参加者数は774名、今日も新たな参加者がいらっしゃいましたので、820名を超える参加者」であったという。小さな村での成果の大きな集会であった。
札幌までの帰路は、松本で長く社会教育に関わってこられた手塚英男さんが書かれた、小説『酔十夢』(上下)の上巻をずっと読んで帰った。若き日の恋愛、進路への懊悩、サークル活動、学生運動など、大学も時代も少し異なりはするが、共通の時代精神も感じた。挿入される歌声の歌詞は僕にもなじみの多いもの。長じてからの手塚さんしか知らなかったので、彼の若き日を知ることで、ある意味で親近感を抱いた次第であった。手塚さんに代表されるような、若き日から、社会教育、地域の公民館の営みに対して情熱と誠実さを寄せられてきた方々の実践の蓄積があってこそ、そして、そのような信州の職員と地域の人々の深いつながりがあってこそ、度重なる試練に対しても、簡単にくじけない信州の社会教育の底力と人間味があることを、感得した思いであった。そのようなロマンを感じながらの集会の余韻が残る帰路の旅であった。
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