日本教育学会が行われた広島から帰宅した夜、入浴後、少し涼んでいると、NHKのEテレビで「埋もれた声-大逆事件から100年」を放映していた。
感じたことがあったので、以下に記しておきたい。
知られるように、日韓併合と大逆事件(1910年)は一つのものであった。日韓併合への石川啄木や夏目漱石のような批判的まなざしは、当時にあっては、希有で例外的な存在であった。しかし、日韓併合のもたらす犯罪性については、理性をもつ人々がいたことは我が社会のまだ救われる面である。しかし、同年の大逆事件に対しては、必ずしも、そうではなかった。無実な人々を巻き込んでの国家的処罰(死刑と無期懲役)とキャンペーンによって、そうした批判的なまなざしは、封印され、世間のバッシングを受けることになった。
日韓併合と大逆事件は、その後の帝国主義的国家体制づくりの前哨的画期をなすものであった。また国家とメデイアが仕組んだ最初のマニピュレーションであり、フレームアップであった。
日韓併合に反対し、朝鮮の独立を叫んだ朝鮮・韓国人の人々には苛酷な弾圧が度々なされた。(後の悪法、治安維持法では、日本人への弾圧がすさまじく、被告への拷問や転向を迫る圧力があったが、それでも死刑判決はなかったという。しかし、治安維持法の拡大解釈によって、朝鮮・韓国人には、死刑判決や拷問が加えられた。政府は、彼らを恐れたのだ。)
大逆事件では、国賊扱いされた被告は無論のこと、家族や親族も世間から冷たいまなざしや非難を浴びせられ、非国民とののしられた。逮捕された佛教各派の住職3人には、国家を恐れた宗派本山から、被告には僧籍剥奪がなされた。幸徳秋水などの思想は、禁忌され、危険視された。その状態は、治安維持法を廃止した戦後においても長らく温存された。いじめや迫害を受けた家族や親族は、生涯このことについて触れなかったり、身を隠すように生きざるを得なかった例も多かったようだ。とくに、子どものいじめに、当時の教師が荷担して、国賊の子どもはあいつだなどと扇動したことは、日本の教育の貧相な姿の一つであった。
しかし、それを覆していく営みが長く細くなされてきたことも事実である。
なお、放映された番組を見ていて、再発見したことがあって、同僚のBさんにお知らせした。
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B先生
昨日のNHK教育テレビ
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
「埋もれた声-大逆事件から100年」の中で登場した
正木健雄さんはやはり日体大名誉教授の正木先生でした。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/area/wakayama/news/20100612ddl k30040497000c.html
毎日新聞記事によれば、下記のことが報じられていました。
真実を次世代に大逆事件(1910年)に連座させられた「紀州・新宮グルー
プ」6人のうちの1人、峯尾節堂(1885~1919)と事件の資料を集めた
「峯尾節堂資料館」が、那智勝浦町にオープンした。「『大逆事件』の犠牲者を
顕彰する会」副会長で日本体育大名誉教授の正木健雄さん(80)=東京都在住
=が「事件の真実を次世代に引き継ぐのは私たちの責任」と収集してきた資料で、
事件から100年目の今年、悲願を結実させた。資料館は、正木さんの妹義子さ
ん(74)宅2階に開設。生前に撮られた節堂の写真、大逆事件関連の書籍を集
めた。
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番組を見て、僕には、被告人たちの名誉回復をすることは、日本の民主主義を鍛えていく重要な営みの一つに思われた。
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