8月25日に社会教育研究全国集会は終わった。その後、関わった方々から多様な感想や声が届いている。それぞれに貴重なものだ、2008年夏の記憶・ドキュメントとして極力僕のコメントは控えて、そのエッセンスを拾っておこう。
1 集会事務局長のMさんは、「新たな歴史が刻まれた!」として、以下の感想を寄せられた。
<長い旅を終えた後のような軽いめまいを覚えつつ、日常が再開しました。とはいえ昨日は、まだ日常に戻らず、一日中、めまいの中にいました。日が沈む頃になり、「時間はすべてのものを包み込み、かつ何事も 無かったかのように過ぎゆくが、それにどのような意味を与えるのか
は、私たちの活動次第なのだ」ということを考えるに至りました。2008年、私たちは新たな歴史を刻み込みました。関わってくださった全ての皆様に、心より感謝いたします。>
(8月27日)
2 集会事務局次長であったKさんは、以下の感想を寄せられた。
<熱い熱い夏が3日間で終わったかのように感じています。しかし私たちには多くの宝物をたくさん残してくれたことにはまちがいのない事実です。申込締め切り日後に襲った焦り「300人でもやるっきゃない!!」の覚悟がよみがえりますが、当日の参加・関係者総数が約1000人にまたまた驚きながら、M事務局長が集会開催の実行委員お誘い時に、どなたかから頂いた言葉「このような集会が開催されるのを待っていた」をまさに実感しています。いろいろ困難に悩まされたこの準備期間でしたが、社会教育を熱く語る人々に励まされながら「やっぱりやって良かった」が今の心境です。>(8月26日)
<Iさん、Sさん SWさん、そして第一全体会を創って下さった関係者のみなさん。
本当にお疲れ様でした。当日は皆様方の御協力により会場からの大拍手と大声援のなか無事終了したことに対し心から感謝申し上げます。大会趣旨である基調提案を舞台で表現したいという実行委員会側のわがままを真摯に受け止めて頂き、企画内容に反映して下さったI氏、S両氏に先ずはお礼申し上げます。
また遠路大人数で駆けつけて下さった八雲町のみなさん、小さな子どもを連れての参加大変だったと思います。浦河町の「座・たくあん」のみなさん、お疲れ様でした。大好評でした。アイヌ舞踊を用意下さったYさん、Tさんすてきな舞台をありがとうございました。会場の参加者から「一緒に踊れたこと一生の宝にしたい」との感想も寄せられました。
へんてこ教授のM先生と学生たち、会場を沸かせました。M先生、大学教授の他にこのような才能を秘めていたとは…驚きの声もありましたよ。
開拓の村ボランティアのみなさんも堂々の舞台でした。道青協の若さいっぱいの発言は、集会づくりの原動力になりました。
やまびこ座ユースの人形浄瑠璃もあっと驚かせた企画だったようです。すばらしかったです。
その他活動紹介で登場してくれたり、スライドや読み原稿で御協力下さった、Tさんはじめ自然環境3団体やユーラップのHさん、マイペース酪農のMさん、奈井江町の子どもの権利条例、恵庭市ブックスタート、子育て3団体ありがとうございました。
ナレーションのSWさん、準備段階から加わり貴重なご指導ありがとうございました。司会のTさん、ありがとうございました。
私、事務局の不手際ばかりが目立ち皆さんにご迷惑を多々掛けましたこと深くお詫びします。
これからも手をしっかりつないで地域に住む私たちが豊かになるよう活動していきたいと願っています。ほんとうに「つながって良かったです!」感謝します。>(8月30日)
3 社全協委員長のNさんは以下の感想を寄せられた。
<・・・オホーツク集会から18年。北海道集会は、市民と大学と地域・自治体の「つながり」がどれだけ大切なのかをあらためて私たちに示してくれたように思います。 和歌山大学のYさんは、「『社会教育』が、日本社会の希望の塊のある部分が凝集するターミナルのひとつになってきた印象がありますね。」とメールで伝えてきてくれました。私も同感です。そしてこのことを確信させてくれる集会の組み立てをしてくれた北海道実行委員会のみなさんの力量の高さを感じます。>(8月26日)
4 企画、会場、送迎運搬、事務局を掛け持ちし奔走されたSさんは、以下の感想を寄せられた。
<企画・会場係、いや何でも屋のSです。皆さんのメールを拝見し早々にお礼をと思いながら、ここ数日、仕事を何となくこなし、ぼーっとした日々を過ごしてしまいました。
Mさん、Aさん、kさん、Oさん、Sさんなどなど大勢の方々のメールがすべてを物語っていると思います。 今は、この集会に関わってくださったすべての皆さんに感謝!感謝!です。特に、すがすがしい学生ボランティアの皆さん、本当にありがとう。
あなた方の力は、この集会成功に欠かせないものだったと思います。
明るい話題の少ないこの時代に、若者たちのはつらつとした姿は、
希望の光を感じさせるものでした。
私自身、まだまだ整理がついていない状態ですが、今は、多くの方々との出会いを大切にしてゆきたいと思っています。本当にお世話になりました。ありがとうございました。>(8月30日)
5 全体交流会を取り仕切ったSさんは、助力された多くの方に感謝されながら次の感想を寄せられた。
<学習会や分科会には参加できませんでしたが、私にとってこの集会は、
宝物のような「つながり」をたくさん頂いたように思います。つたない食糧班長でしたが、やらせていただいて ありがとうございました!>(8月27日)
6 速報係のOさんは、次の感想を寄せられた。
<今回は、私どものやりたい放題の速報発行にご理解・ご協力をいただきまして、ありがとうございました。 思い起こせば、速報の必要性についての議論が1年前に起こり、オホーツクが乗っ取る形で作成を許されました。 全道の仲間に声をかけ、6名の快諾を得て、O組を組織。
そして、私の呼びかけに応じ、我が母校・TF大学Aゼミの面々が、私のたった1通の手紙を真剣に議論し、5名の2年生が名乗りを上げ、その後2名の4年生が加わってくれました。恩師・A先生のお心遣いに涙の出る思いでした。さらに私の住む留辺蘂出身の学園生も私との縁を大切にしてくれ同級生を含め2名でお手伝いをかって出てくれました。 当日、全くいずれの支配も受けずに行動した速報係は、それぞれの役割を忠実に果たし、混乱なく目標号数を発行することができました。・・・>(8月27日)
7 第二分科会の世話人のIさんは幾度も丁寧な感想を拾うメールを寄せられた。
<正直、地域の民生児童委員のおばちゃんが、なんだか 乗せられて勘違いのまま突入したカンがありました。ただ、私は”人・ひと”が好きです。それだけで生きていけます。そんな変な自信を持っている自分も好きです。だから、最後まで皆さんと創ってこられたのかな、社会教育??と未だに本当は分かっていないんです。知ったふりは嫌いだから、分からないことは分からないなりに、分かろうとしたい!(そこを、子どもたちにも伝えていきたい) 結局みんな完璧ではないから、どうやって素直に助け合えるか・・ミエや体裁や役職や立場や~抜きにした生身の私たち大人が試されていますね。極限に来るとみなさん本当の自分を出さないわけにもいかず・・昨日のメールのM先生も なんだか 《人間.M!^^》というかんじがして 。
そういうのが、うれしいです。色んな地域の、いち人間が参加して学んだこと、つかんだ事、出会えたひと、言葉一つでも持ち帰って種まきできるゆっくり大きく育つのを、世代を超えて見守っていける、そんな温かで穏やかな社会を 全ての人たちと創っていけたら~と素直に思える つながるっていいよね~ の 分科会・集会でした。>(8月27日)
<集会は終わりましたが、今から!ここから!”つながるパワー”で私も少しは成長できるでしょうか・・大人が ちゃんと 大人になるために いつでもアンテナを張って色んなものを学びたい.吸収したい.と改めて考えられるのってステキですね。>(8月28日)
8 集会後、僕のもとに、Yさんからはがきが届いた。「集会おつかれさまでした。集会まとめ簡潔で要を得たものでした。研究者がこんなに活躍した集会もなかったでしょうね。学会、和歌山でお待ちしています」とあった。嬉しいたよりである。僕は、「研究者」という指摘に、多くの院生の方々の尽力も加えて考えてありがたく思った。会計のHさん、Nさん、Mさん、受付のSさん、広報のW君、Kさん、学生ボランテイアのI君、N君、O君、企画のS君、広告のAさん、報告集作成のW君、Kさんなど彼らの助力がなかったらこの集会は開けなかった。多謝である。社全協のNさんへのYさんのコメント「『社会教育』が、日本社会の希望の塊のある部分が凝集するターミナルのひとつになってきた印象がありますね。」と重ねて嬉しいコメントであった。
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