大学院入試が終わって、ほっとする間もなく、今度は細々とした校務が続く。通常試験の採点・評価は、毎年の悩ましい事柄である。学生・院生の成績の出来・不出来は、彼らの努力の帰結ではあるが、同時に当方の教育の出来・不出来の反映でもあり、成績の上昇の見られる学生にはほほえましいが、不出来の学生が散見されるとなんとも言い難い無力感も覚える。今年は、例年のように、前期の全学教育(他大学では一般教育ともいい、かつての教養部科目)、学部教育、大学院教育、(例年後期は、教職科目も加わる)の講義、演習の評価があった。レポートを読み続け、出席を考慮し、共同担当の場合は、他の教員の評価と突き合わせての合同評価を行い、それを電子入力するといった作業がようやく、今日の夕方で終わった。この間に、博士学位の申請論文があれば、その指導と審査(今年は今のところ2件)が続く。今日は、一つ予備審査委員会の審議を行ったところだ。また例年、学会紀要の査読依頼や、外部からの要請によるレフリー業務も今年は3件あった。なので、一見鷹揚な(そう見えるらしい)僕も、大いに神経をすり減らざるを得ないことをしているわけだ。
ついでに、大学評価改革の近年の動向について、いくつかの私見を述べておこう。
最近では、大学教員のFDなどの教育能力開発(大学設置基準改訂、大学院設置基準改訂にともない義務化)研究が盛んだ。加えて、「厳格なる成績評価」が叫ばれている。成績分布の正常曲線化、学生の優良可不可の評価に加え、秀評価の追加がなされ、成績評価の電子入力化などのシステム改善に加え、学生の科目履修の上限設定とGPA制度、それにともなっての学生の「パス・ノンパス制度」(仮称)の導入、等々めまぐるしい業務革新が続いている。これらは、学生による教員評価(順位表も毎学期手渡される)とも連動し、教育評価におけるexcellent teachersなるものも外部に公表されることになってきた。シラバスの改善と毎年の公表は無論のこと、講義・演習などの授業時間の15週確保+1週(試験)=16週の唐突な提示(2008年から)による夏期休業や冬期休業の短縮化、卒論や修論、博論の指導におけるコースワーク化などの動きは、強まりはすれど弱まることはない。大学人は、孤独と自由を享受する自由人などという「古き良き」時代のイメージは、もはや幻想にしか過ぎない。まして、上記のことについて行けなければ、落伍者のレッテルを貼られかねない時代の空気だ。
こうしたことは、大学評価(業務)への関心がかつてなく高まっていることが背景にある。大学評価とは、この場合、①大学の経営・管理評価、②研究評価、③教育評価、④社会貢献評価に大きくは分かれる。上記に書いたことは、③の教育評価の個人に押し寄せている実態であったが、①、②、④についても、その意味づけは、第三者評価ともからんで、より強いものとなってきている。
特に、国立大学法人化以降、運営交付金の減額と外部資金の獲得が大学経営の基本軸となってきた。トップマネジメントにおける経営能力なるものが声高になり、民間的手法の導入、効率と卓越性の優位性などが、大手を振って歩き出してきた。それに異をとなえることは、守旧派の烙印を押されることになり、経営近代化が大学全体を覆うものとなってきた。
とりわけ、財政配分原理における、選択と集中の新自由主義的成果主義的評価が露骨になってくるにつれて、大学の上層部は、そうした評価の優劣に無関心ではいられなくなっている。新聞社の大学ランキング、あるいは世界の大学ランキングの毎年の上下動には、かつては大学人はそれほど関心はなかった。根拠なき数字だと高見の見物もできた。しかし、最近では、その位置の上昇への執念は強い。ある種のリーグテーブルでの位置づけは、大学の存亡に影響するというわけだ。とりわけ、リサーチ大学を自認する大学にとっては、大型の外部的競争研究資金の獲得は、研究活力の経済的基盤であり、神経をとがらせることになる。COE、GCOEの選択数は大学の格付けに通じ、大型科研費の獲得の順位については、部局間評価にもあらわれる。研究評価での競争的評価が強められ、研究能力の優劣は、外部資金獲得の多寡として露骨に語られる場合が多くなってきた。スターを何人擁しているかが関心事となり、欧米並みとは言わないが、教員人事におけるヘッドハンテイングは、任期制や年俸制の議論の根拠づけにもなってきている。大学の空気が何か、ギスギスしたものに変わってきていることは確かだ。風を切って歩く人と肩身の狭い人が、研究資金の多寡によって規定されていくというのは、文化的とは言い難い情景である。
しかし、この評価のありよう、あるいはその尺度・基準、何のための評価かなどについては、存外に研究が遅れていることについては、あまり語られてこなかった。あらためて学問的な光をあてることが求められ、大学評価学会も設立された。http://www.unive.jp/
例えばだ。この間の各国立大学法人の中期期間・中期計画評価での、基準性が相当程度、いびつであったこと、あるいはまだ未形成なまま、行われてきたことが明らかになってきた。そもそも第三者機関とは言い難い、大学評価・学位授与機構が評価すること自体おかしなものだが、その「機構」の研究評価基準の定まらない内に、現実の制度が動いてしまったことがまずボタンの掛け違いのはじまりだった。結局は、「機構」は、学問的に説得力のあるリーダーシップも発揮できず、細かな指示事項ばかりが示され、それも間尺にあわなくなると、結局は、大学側の自己評価に丸投げされることになった。大学が「機構」の二転三転する示唆に、その都度とまどったことは言うまでもない。そして、結局は、評価結果が、文科省よりも財政権限の強い財務省の示す評価によって、運営交付金評価に直結することが分かるや、各大学は、いかに自己評価を高めるかに躍起になるといった苦い経験を当事者にもたらした。最終締め切り期間には、自己評価作成にかかわった面々に(僕もそのひとり)は、もはや笑うしかないような激務を課した。
そして、僕は、数年前からの英国調査や文献ですでに承知していたことだが、さも、権威ある尺度であるかのように言われた学術誌・ジャーナルのインパクトファクターや論文の被引用数なるもののある種のいかがわしさも、この間に明白になった。また、それらのある特定自然科学分野での研究評価の単一尺度に合わない分野(人文、社会科学、芸術など)でのピアレビューなるものも、結局は、科研費審査の基準に準じるとなると、この国の研究評価行政の立ち後れが明白になっただけともいえる。国立大学協会の研究評価ガイドブックが、唯一の研究的副産物というのでは、そもそもこれだけの経費と労力をかけて行うには、準備も、研究もされていなかったということを示しただけであった。とはいえ、こうしたことは一般の大学人にはあまり示されていない。またプラグマテイックな人種には、批判的見解などはどうでもよい、いかにしたら外部からの評価を高めることができるかの書き方を示せといった、本末転倒というか、精神的堕落が身近に始まっていることを見聞したのも、この間のいやなことの一つだ。
話題を変えよう。
昨夜は、中国北京師範大学講師のKさんの、僕の研究グループでの送別パーテイだった。平日の夕刻だったこともあり、都合で出席できなかった方々も多かったのはいたしかたないことだった。彼は、文科省の奨学金を得ての2年間のポスドク(博士学位取得後の研究)期間を終えて、この9月末に帰国する。
彼が滞在期間中に、書いた論文(僕と討議して内容を検討し、指導もしたもの)の一つは下記だ。http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33939/1/105_p151-160.pdf
昨夜は、出席した面々に、Kさんは感謝を述べていたが、果たして、彼にとって、この2年間が後々にどのように財産となっていくのか、それが実り豊かであることを期待したい。帰国直前の日には、もう一度僕の家に招待する予定だ。もう一度、彼の2年間の経験や感慨を聞いておきたいと思っている。
中国料理のレストランは、瀋陽出身の主人が経営している。中国の東北料理だが、やや日本風テーストにもなっている。昨夕は、勧められるままに、やや紹興酒を飲み過ぎたせいか、帰宅後は睡魔が猛烈に襲い、やるべきことがあるのだが、睡魔には負けて、仮眠をした。
それでも、深夜2時半に起きて、シャワーを浴びて眠気をとったあと、次の日の子どもの権利条約・条例早わかり講座なるものの講義用のレジュメを作成した。http://sites.google.com/site/kodokenblog/motomeru-huiyorio-zhirase
事務局のSさんにそれらを送信して印刷をお願いすることになっていたので、何とかギリギリに間に合った。5時過ぎだったが、思考には睡眠が不可欠だ。明け方にもう一度仮眠をした。
この日は、最初に、上田市長も出席して、彼の弁護士時代からの念願でもある、子どもの権利条例実現にかける思いを拝聴した。そこには、政治家・市長としての公約実現にかける抱負も当然にあったが、同時に、人間としての誠実さがあふれていて、心打たれる話であった。
僕は、子どもの権利条約・条例のおおげさに言えば、人類史における意味づけ、さらに今回の条例制定の積極的意味について話した。また最後に、6月の市議会文教委員会の時の発言にも触れたのだが、少し時間の余裕がなかった。僕の発言そのものではないが、6月2日のことについては、記録をこどけんサポーターのKOさんが書いているので参照されたい。http://blog.livedoor.jp/future_for_children2/archives/51031811.html
質疑も熱心にあって、平日の午前の時間(超多忙な市長の空いている時間に合わせたことでもあった)にもかかわらず、参加された多くの方々に感謝を申し上げたい。同時に、僕も微力ながらこの運動に関わっているが、多くの方ととともに、この条例の実現に尽力したいものだ。帰り際に、取材に来ていたA新聞の記者と話したが、単なる政治的力関係の構図にしないためには、子どもの権利条例制定に関しての市民への世論喚起と普及を今一段トーンを高くして、しかも地域の草の根のレベルにまで進めていくことが肝要だ。その意味ではまだまだ僕たちの努力が必要なのだろうと思う。(p.s. 翌朝のA新聞市内版に記事が掲載された。市長の話はよくまとめてあった。記者の方の努力に感謝だ。ただし、僕の部分は、大きくは間違いではないが、専門的にいえば??というまとめかただった。いかなる記者にしても、短いスペースにまとめるのは、至難かな。ま、よしとしよう。)
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会場のかでる27から大学まで歩き、午後は博論の予備審査委員会であった。随分と議論をした。一定の方向での結論が出たことは良かった。内容は省略しよう。
p.s.
M新聞のT記者が、大学間連携、とくに近年の国立、公立、私立を超えての戦略的連携動向について、取材にくる。次期の中期計画策定を含めて、各大学の戦略的サバイバル、大学力強化の方向が、文科省の大学統廃合方略ともからみながら、微妙に合致したり、拮抗したりしていることを話した。もう一度現場取材を重ねて、話にこられるとのこと。記事になる、ならないは別にして、こういう事実を踏まえての取材への協力・共同は、メデイアの質を高め、研究の実際的リアリテイを強めるためにも、互いに良いことだ。
リーズ大学のミリアム・ズーカス教授から、D財団の研究資金応募の提案があり、法政大学のHさんと僕、ミリアムとケント大学のJさんが共同メンバーで、応募書類作成についてこの数日間、ひんぱんにメールのやりとりを行った。何とか、今月末までに間に合いそうだ。
同じく、同僚のS教授から、科研費研究の英国での調査の打ち合わせ、関連しての共同研究出版物(予定)の執筆者の英国側メンバーの依頼について、この間幾度も協議を行う。これまた、幾つかの英国での訪問を予定することになった。
夕刻、最初の勤務校であったA大学での同僚であったH先生逝去の訃報を受け取った。この数年癌との闘病生活だったと聞いている。スポーツ分野専門の女性研究者の方だった。お嬢さんは、僕の長女よりも少し上で、職場の家族スキーでご一緒したこともあった。享年63歳。まだまだの人生であっただろうだけにご家族の悲しみも大きいだろうと思う。ご冥福をお祈りしたい。
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