僕たちが「大都市研」と通称で呼んでいる研究会。正式には、「大都市社会教育の研究と交流の集い」である。今年で31回目を迎える。僕は、第1回目から参加している。
創始期の発起人の中心だったのは、故小川利夫教授(当時名古屋大学)と現東京学芸大学名誉教授のKOBA先生であった。日本社会教育学会有志と当時の自治労加盟の各政令指定都市教育委員会事務局支部とが協同で大都市社会教育の可能性と展望を、理論的にも実践的にも切りひらこうという趣旨であった。前史的には、KOBA先生と川崎と東京の自治体職員などが加わった社会教育推進全国協議会(社全協)調査研究部での研究者と自治体職員との協働の作業があったこと、もう一つは、小川先生の欧州などの社会教育研究に見られる労働組合と大学との連携による学習と政策の対案的実践のイメージがあったことがあげられよう。後者については、現神戸大学(当時は彼もT大院生であった)のSさんは、日本的WEA(workers educational association、英国が発祥の地)と評したことがあった。僕はWEAの組織と特徴は、正確には少し違うと思うが、この会のイメージを広げる点では効果があったと思う。こんなことが、このつどいの誕生に関した背景的事情であった。
当時は、労働組合としては、川崎と大阪が勢いがあり、それに名古屋、福岡、横浜、京都、神戸などが最初の自治体参加メンバーだったように記憶する。僕はまだ博士課程後期の大学院生であり、名古屋での社会教育学会終了後、愛知県青年会館(当時)のやや古びた会場で、缶ビール片手で祝うシンプルな発会式に立ち会った。その前の年だったか、宮原誠一先生が、お亡くなりになり、やや沈痛な雰囲気が学会の一部にはあったが、それを乗り越えての大学と組合の協働で、当時すでに始まりつつあった自治体行財政合理化と社会教育職員分断の動きに抗すること、先行した中小都市の社会教育づくりの経験を生かすこと、大都市のもつ多様な資源や人材を力にして、新しい都市型の社会教育を創造しようという意気込みがあった。
それから31年である。
31年の間に、この研究と交流のつどい(大都市研)の継続と発展に関しては、いくつかの危機があった。また、現在も引き続く危機がないではない。それは、主体的にとらえれば、学会側にも組合側にもあった。
社会教育学会について言えば、このような一定の社会的運動及び労働組合にコミットする研究に対して忌避感情や不快感情を持つ人は当然に存在する。また、様々な行政審議会や自治体との関係をもち、この種の研究に出ると不利益が生じると考える人々もいよう。勿論、都市の社会教育、とくに大都市の社会教育に関心をもたない人もいる。さらには行財政合理化などもあり、純粋にあるいは効率的に研究成果を上げようとする人たちには、この研究のつどいにかかわることは労力がかかり、大変なのであまり魅力を覚えないと考えられている領域になっていることもあげられよう。
<自治体社会教育職員と住民と研究者との協働による公的社会教育の拡大>というごくまっとうなシェーマに対しても、この間の根強い敗北主義があるせいか、80年代後半以降には、困難へのチャレンジへの気概の縮減があるように思われる。そういった学会の構成員の中にひろがる、保守的な雰囲気と、他方では現在の新自由主義に親和的な個人の学習能力開発といった理論的関心に傾斜する一定のメンバーの人たちとの奇妙な親和性があるのかやや醒めたまなざしを感ずるときがある。そういう人たちから見れば、この「大都市研」の活動は、在野で、左派的で、守旧派的だというラベルになるのかも知れない。また、つまらないことだが、たまたま小川利夫先生とKOBA先生が組織化の中心だったことから、ある種の「学派」(シューレ、school)、「学閥」と見なす浅薄な見方があり、それに関係しない人々は距離を置くということがあったのかも知れない。
食わず嫌いもあるだろうが、僕にはもったいないことだと思う。どの世界にもこの種の事情があるのかもしれない。しかし、まことにつまらない了見だとは思う。
とはいえ、悩みも多い。「大都市研」に関わる研究者の再生産において、若手研究者の組織化が肝要なのだが、この分野へのアプローチに加わる若手メンバーが少ないのである。この問題の打開にあたっては、上記の学会の動向も含めて、現実の学問研究の方向などの内容検討とより深い考察が必要だ。
もう一つは、組合サイドである。やはり組合の政治路線問題が避けては通れないものとして当初はあった。特に自治労の分裂再編で自治労と自治労連に分かれたことは大きな打撃だった。この間には、大変な努力もした。詳しくは書かないが、ようやくにしてというか、相互の人間的信頼の醸成-学会メンバーの仲介などもあったが-ができてきたことは嬉しいことであった。また行財政合理化があまりにすさまじいことからくる共通闘争課題の成熟などもあって、なんとか克服してきたと僕は思う。しかし問題は、それだけではない。当局の圧力もあるのだろうが、組合に入らない職員が一定数増えたこと。さらには、短期契約、派遣労働などの非正規職員の増大は著しく、外郭団体の財団、事業団による社会教育事業もやや横ばいながら依然として多く存在する。また近年では指定管理者の増大による民間経営のもとに置かれ、ワーキングプアの典型ののような労働が、そこで働く職員に強いられている。それに対する対案としてのNPO法人による運営も脚光をあびてきたが、これとて万能薬ではない。困難は相変わらず大きいのである。しかし、真の明るさは、暗い時代を透視する力と、人々の連帯とつながりによってしか切りひらかれない。僕は、そう思う。
新自由主義とグローバル市場経済原理による行財政合理化は、今や競争的成果主義的評価や短期雇用契約方式などによって、労働者管理も行き着くところまできている。労働組合の危機は、全世界共通の課題だ。しかしだ、僕の知っている英国の場合もやや同様の事情にあるが、まだしたたかな戦略と運動がある。現実的なパワーも無視できないものを持っている。日本はこの点で、アメリカ追随の施策で最もそれに影響を受けている一つが、労働組合運動の分断と破壊であったかも知れない。メデイアのバイアスのかかった報道もあるだろうが、人々の眼に写るのは組合の既得権意識であったり、腐敗構造だったりした。本来はそうではなく、民衆の権利と民主主義の守り手であるはずが、そうではないという人々の実感は民間企業別組合などで、さんざん見せつけられてきたというわけだ。だが、わずかながら救いとなっているのは、ようやく、近年になって、格差社会・不平等への憤り、ワーキングプアの問題の広がりへの危機感、人間の尊厳を守り、デイーセントワークをとする要求などによって、ユニオンの復権と拡大が見え始めてきたことだ。
日本の社会教育の民主主義的前進には、労働組合運動の力が大きかっただけに、ここをどう打開していくかは、21世紀の社会教育の一つの重要な焦点である。
さて、ここで話を本筋に戻そう。
「大都市研」の歩みは、10年前の記録だが、東京学芸大学名誉教授のKOBA先生が話した記録だが、その段階のまとめとして適切なものだし、分かりやすい。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/daitoshi971006.htm
この集いの歩みの年表は以下だ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~daitoshi/ayumi.htm
上記のトップページに戻ると、このつどいの性格や概観は分かると思われる。以下だ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~daitoshi/index.htm
また、公民館関係者のブログにも関連記事があるようだ。
http://love.ap.teacup.com/kouminkan/536.html
今年の参加自治体労働組合は、仙台、川崎、横浜、名古屋、大阪、堺、神戸、岡山、福岡であり、研究者の所在する大学地域は、札幌、釧路、仙台、千葉、東京、和歌山、神戸であった。
初日は、前のブログに書いたが、和歌山大学生涯学習教育研究センター10周年記念フォーラムへのオープン参加と夜の懇親会で始まり終わった。二日目は、各都市の社会教育・生涯学習の現況報告が9本あり、そして午後は、研究者からの2本の報告、さらには開催地和歌山大学の地域連携事業報告があり、全体討議を含め4時には終了するプログラムであった。
2006年の教育基本法改悪は、大きな影響を持ち始めている。教基法改正を受けて引き続く教育諸法「改正」は、2007年の学校関連の教育三法改正に続き、2008年6月の社会教育法等(社教法、図書館法、博物館法)の「改正」となって具現化してきた。千葉大のNさんの報告は、自身の国会参考人としての証言のDVD放映を含めて、問題点をシャープに分析してくれた。自治体では、まだ教基法改正や社会教育法改正に連動した条例改正の動きは、端緒的だが次年度以降急速に動いていきそうである。その場合、各都市の総合計画の再編や立ち上げと絡んで、地域教育振興基本計画(06教育基本法17条関連で)をどのようにするのかが、問われ始めている。(大阪など)また、社会教育行政の学校支援特化の動きは、各地に胎動し始めている。(横浜、川崎、名古屋、など)
もう一つの動向は、行財政合理化のすさまじさである。区役所への教育委員会の事務執行委託は、社会教育施設としての都市型公民館を名前だけでなく、組織も事業内容も一般集会施設に変容させ、利用者を激減させ、職員の労働意欲を奪い、「死んでしまった」施設に変え、廃止や統合を加速させている。(名古屋、福岡、など)
例えば、名古屋では、革新本山市政時代に運動的に形成され創られていった青年の家はついにすべての非宿泊型施設が閉所され(北、中村、熱田、瑞穂)、残った宿泊型青年の家も、子ども青少年局の青少年交流プラザとなり、在学青少年施設に変じた。報告者は、「青年教育事業の終焉」と言ったが、何たる無惨さであろう。社会教育法にもとづく公民館として出発した社会教育センターも生涯学習センターに名を転じた時点で、僕は危惧したが、今や単なる区役所付随の集会施設化し、法的根拠をもたない類似施設だ。そこでは、トップダウンの「現代的課題、なごや学、親学・青少年育成」課題だけを扱い、国民意識統合の「教化施設」化しようとしている。僕の知っている幾人かの職員は、これ以上堪えられず、嫌気がさして早期退職してしまった。残された職員たちも、頑張っているが、半端ではない厳しい現状に立ち向かっていることを、この夏の社会教育全国集会で聞いた。
さらに、全国に押し寄せているのは、最後の砦と目されていた図書館の指定管理者委託化の動向である。(札幌、仙台、横浜、神戸、堺、大阪など)この中で、横浜は一時保留状態、堺は政策撤回、大阪は一部業務委託に止めたが、この流れはさらに加速する勢いとなっている。
考えてみれば、70年代末葉にまず私立博物館の商業主義と自治体立博物館の増大の中で、博物館機能論争ともいうべき議論があり、北九州市で教育文化事業団導入がなされた。(このことは、『岐路に立つ大都市生涯学習』(北樹出版)という本に、僕はその政策分析を書いた)
80年前後からは、臨調行革のはしりか、名古屋や他都市で、文化、スポーツ分野の事業団、財団委託が起こり、これも大きな争点となった。僕はその当時、反対運動に加わり、ドキュメントをまとめる編集を行い、資料集を刊行した。また、社会教育学会でも分析を書いた。
京都では、80年頃には、図書館の根幹、非根幹議論があり、さらに社会教育施設の財団委託がされ始めた。
その後、臨教審(1984-87)→生涯学習振興整備法(1990)→生涯学習審議会→地方分権一括法(1999)→社教法一部改正(2001)→指定管理者導入→教育基本法改正(2006)→社会教育法改正(2008)という20余年の歴史は、それまでの動きに加え、女性施設合理化→公民館合理化→青年教育施設合理化→そしてついに図書館への指定管理者導入というように、政策側からの行財政合理化を貫徹させてきた歴史でもあった。
この30年ないし、20年の歴史をどう見るか。色々な総括が可能だが、残念ながら、基本軸としては、国家の力の強力が上回ったのか、民衆の力を分断させて、多くの民衆の学びの権利や培ってきたつながり(社会資本)が奪われていった歴史でもあった。
今回は、それぞれに市民との協働で、仙台、川崎、横浜、大阪、堺、福岡などでは、一定の歯止めをかけてきていることも確認できた。とくに、岡山市の自治体職員運動は、この厳しい中でも、公民館の嘱託職員の正規職員化を実現させ、図書館の直営を堅持し、事業においても持続可能な教育(ESD)を展開してきているなど、重要な教訓を有しているように思われた。神戸大学のSさんの「ESD(維持可能な社会への教育)」に関する報告は、この点で両義的な面を示してくれて僕には有用だった。一つは、政策の課題への単純な追随は恐らくは何も生み出さないこと、もう一つは、自らの言葉と実践・運動に変える努力がある場合には、大きな可能性を示すであろうこと。岡山の公民館実践の事例は、後者への踏み出しの一つの可能性の端緒を示すものであった。参加者も、僕も絶望はしていない。岡山のような道は、どこにも可能なはずだ。そのための運動と智恵が必要なのだ。
新自由主義的改革が、小さな政府政策を進めれば逆に多くのほころびを生み出し、結果的に高コスト処理を後の世代に課すことになることは、世界の事例が証明している。規制緩和路線、制度解体が民衆の利益破壊に過ぎないとすれば、徹底的にその罪悪を立証することが肝心だ。曖昧な批判や改良は、恐らくは、もう通用しない時代にさしかかっている。
そして、いったん壊された制度を、いかにもう一度再制度構築するのかが問われている。その意味で、ポストモダン派が言葉として論じただけの、脱構築-再制度化の具体的な、構想力と実践が問われているように思われる。
さて、僕は残された時間で何ができるかだ。
P.S.
麻生政権が誕生した。「選挙内閣」とAS新聞は見出しに書いた。総選挙がかつてなく重要な意味を持つことになろう。亡国の政権は、もうたくさんだ。はたして、国民の理性は働くのか。運動的に注視しよう。そして、私的には、渡英前に投票できることをのぞむのだが・・・・。
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